2021年の映画

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旅の宿で

昨年は「パラサイト」も「新聞記者」も、これは駄作だと思ったものが、どちらも日米のアカデミー賞に輝いた。賞に輝いて、その後、まったく顧みられない作品があるが、2つはきっとその種の映画となることだろう(多分に負け惜しみっぽいが)。前者は富者と貧者のあいだの恨みや葛藤が描かれていない。韓国の貧富の格差ってこんなに生ぬるいものなのか。ラストに至るための絵解きがしつこく施されていて、ポン・ジュノの衰えさえ感じる。(のちの記:『映画評論家への逆襲』<荒井晴彦森達也白石和彌井上淳一小学館新書>で「パラサイト」の評価が低い。わが意を得たり、である。格差なんて描いていないし、ポン・ジュノは思想性が弱い、と指摘。ラストもしつこい、と)
後者は、日本の黒い霧を追うのに、日本語がたどたどしい韓国女優を起用する。それに見合った必然のストーリーが展開されるわけでもない。ハリウッドの政治告発ものは、見させる工夫が一杯である。それに比べて何と貧相なことか。
韓国映画では「はちどり」を推したい。どこかの映画祭で「パラサイト」と争ったらしいが、断然こっちの方がいい。私塾の書道の先生と歩く道筋に解体予定のフェンスで覆われた工場が出てくる。必ずその白い遮蔽幕がじっと写されるのだが、何の説明もされないが、こちらにはある種のイメージが流れ込んでくる。そういう抑制の利いたことを、この映画はあちこちでやるのである。見る者を信頼しているから、こういうことができる。幼い恋と裏切り、友人との何度かの喧嘩、憧れの女先生の謎と失踪、公園での母の謎のような振る舞い、自らの病気……いくつも織りなされる事柄のなかで、少女は神経がひりひりするような経験を重ねていく。
黒澤清「スパイの妻」も傑作と呼ぶ声が多いが、そんなものではないだろう。蒼井優演じる妻がミステリアスというが、あんなに旦那一途の女はいない。甥を夫のかわりに特高にいけにえに差し出す女である。だから、あの映画のどこにも謎などないのである。気になるのは、生硬な芝居じみたセリフのやり取りである。(のちの記:やはり前掲書ではくそみそ扱い。黒澤はそもそも人間を描けない、国家の機密情報を一介の商社マンがどうやって手に入れる、特高ではなく憲兵隊がスパイを追うのはおかしい<ぼくのこの原稿では特高と書いている>、女主人公が描けていない、などなど)
圧倒的だったのが「異端の鳥」、3時間、まんじりともしなかった。暴力的に過ぎると批判されるが、本当に怖いのは暴力に至るまでの緊迫した過程である。嫉妬に我を忘れるウド・キアがすごい。
それとレンタルで借りた家城巳代治の「姉妹」が秀逸。労働組合の退潮が見え始めたころの様子を、性格の違う姉妹の点から描いたもので、モノクロだが絵も構図もきれい。ダムで生計を立てる人たちの住む長屋にある差別や、貧困から抜け出せない肺病病みの家族の問題などもユーモアをまじえて描かれている。かつての日本映画のすごさを実感。

 

1 マ・レイニーのブラックボトム(S)

ヴィィオラ・ディビスを初めてみたのが「ダウト」で、うまい役者さんが出てきたものだ、と思った(たしかこれで助演女優賞を獲った)。それから4作、テレビシリーズものを1作見ている。その彼女がどう変身したのか超肥満のブルースシンガーでレスビアンの役を演じたのが、この映画だ。ほぼ室内で終始し、ちょっと演劇っぽい作りだが、黒人女性で力をもった人間が、それを保持するために懸命に悪者を演じる様子を描いている。「ブラックボトム」というタイトルの歌をうたうが、卑猥な意味も込めているようだ。黒人が腰をくねくねして踊るダンスのことらしい。

 

2 i―新聞記者(S)

森達也東京新聞望月衣塑子を扱ったドキュメントである。政治マターとしては辺野古の赤土の違法な投入、記者会での彼女の発言規制、伊藤詩織さんの裁判、森友問題ということになる。登場人物はほぼ誰か特定できるが、詩織さんをレイプしたという山口敬之は名前を入れないと誰だか分からない。それと安倍と菅の真似をしたザ・ニュースペーパーも分からない。

タイトルの「i」は、人は党派性で固まるのではなく、個々人に帰って、政治などの問題に立ち向かうべきだ、という意味である。そうでないと、いがみ合うだけで、妥協点が見つからないという趣旨である。

意外なのは山口が望月の取材に、同じジャーナリストとして敬意を覚えるし、こんなふうに正々堂々と取材をかけてくるなら取材を受けたい、と語ったことである。その後、どうなったかは明示されないが、この顛末は気になる。

RKB毎日の記者が、われらを左翼と呼ぶ奴がいるが、もし左翼政権ができても、同じく正義を求めて取材をかけていく、と述べたことが、とても印象深い。望月記者もそれに大きく頷いていた。

籠池が国策でハメられたおかげで、いまは朝日新聞しか読まなくなった、と述べている。これは一考に値する発言である。

森が、本来望月は当たり前のことをやっていて、なぜ俺はそれをカメラを回して撮っているのか分からなくなると言う。外国人の記者たちが入れ替わり立ち代わり望月に会いにやってくるが、彼らもまた望月的な在り方はふつうなのだ、と言っている。

しかし、たしか上杉隆が書いていたと思うが、アメリカではエスタブリッシュメントなペーパーしか大統領との定期的な囲み懇談ができない。たしかに日本の記者会の閉鎖的な面があるが、アメリカにだってそれがある。向こうのジャーナリストがすべて正しいとはいえない。そこもまた森がいう「i」が大事になるのもかしれない。

 

3 白い巨塔(S)

初めてみるモノクロ映画(1966年)である。田宮二郎が主演。危機のときの彼の目の光が異様に強い。なにかこの役に強く入れ込んだものがあったのだろうか。冒頭、群衆のシーンで頭一つ抜け出ているので、遠くからでも彼と分かる。「悪名」ではそんなに大きなイメージはなかったのだが。小さいころに「悪名」のイメージで親しんだ田宮二郎だから、とても違和感がある。彼がゲイで、猟銃自殺と知ったとき、どれほどぼくは衝撃を受けたことだろう。なぜあんなにスクリーンでにぎやかで、生き生きとしていた人が……と思ったものである。小川真由美はいつもの役柄だけど、やはりいい。最後に医学界のためと田宮=財前五郎を守る滝沢修が、倫理と政治を体現して見事である。監督山本薩夫、脚本橋本忍

 

4   テキサス・ロデオ(S)

いやはや、やはり映画は選り好みしないで見るべきだと思う。この映画、とても抑制が効いていて、しかも音楽の使い方も好ましく、さらに神話的要素を最後に見せて、いい結末にもっていっている。描写はじっくりと細やかで、とても納得のいく展開である。ものすごくレベルが高いことだけは確かである。参りました、である。女性監督・脚本アニー・シルバースタインAnnie Silverstein。短編とドキュメントだけで、これが初長編映画(2019)のようだ。主演の少女がアンバー・ハーバード、黒人のロデオの名手がロブ・モーガン。冷たいけど優しいお婆さん、暴力沙汰で収監されているお母さん、その離婚したテキサスなまりのひどい悪党の父親、そこにたむろするゲーム好きの青年たち、みんな配役がきとんとはまっている。

 

5  11.25 自決の日(D)

若松孝二という監督は大して客を集められないし、演出がうまいわけでもないのに、延々と映画を撮ることができた幸せな人である。ぼくは連合赤軍を扱った作品で、暗然とした。封印していた感情が戻ってきた感じである。テキストとして彼らの所業は読んで知っているわけだが、それを映像でもう一度確認するというのはいたたまれない。この三島をめぐる作品ももちろん知っていたが、映像として見る勇気がなかった。ある事情で見ざるをえなくなったわけだが、いろいろとまた考えることがあった。三島が余りにも兄貴、あるいは家父長的な存在に描かれているが、楯の会ではそう振る舞ったものか。だとしても、その嘘はいくら相手が青年たちでもすぐにバレるのではないか。剣道を森田必勝に教え、お前は筋がいい、などと言うが、まさか運動音痴の三島がそんなことを言うだろうか。東大での討論も資料不足なのか探索不足なのか、論争の仕方がまったく違っている。それにしても、三島死して50年、未だに彼のことを考え続けている人たちがいる。三島の、あえていえば“至誠”は生きたことになるか。

 

6 スタントウーマン(T)

惹句が「ヒーロー」となっているが、「ヒロイン」の間違いだろう。中身は、いかに女性スタントが頑張って今のポジションを掴んだというもので、彼女たちの類いまれなスタントの技を見せるものではなかった。マーシャルアーツと棒術の練習風景が、心に残る。

 

7 マンク(S)

映画を見たな、という感じである。ゲイリー・オールドマン主演、監督デビッド・フィンチャーNetflix製作・配信「市民ケーン」の脚本家ハーマンJマンキーウィッツを描くモノクロの映画。左翼的作家で、新聞王ハーストをおちょくる内容で、自分の名をクレジットさせた。ドイツの村のユダヤ人を100人以上、私費で救っている。白黒の映像が本当に美しい。「ローマの休日」の脚本家ドルトン・トランボのほうがもっと過激で、筋金入りの左翼の感じである。しかし、1930年代のアメリカではもう社会主義が禁句となりつつある。マンクは54歳、アルコール症との合併症で死んでいる。ラストに気の利いた彼の言葉が紹介される。I seem to have become more and more a rat in a trap of my own construction,a trap that I regularly repair whenever there seems to be danger of some  opening that will enable me to escape.どんどん自分で作った罠にはまるネズミのようになってきた。逃げ出したくなるたびに修繕しているから、余計にそうなる(私訳)。全篇、こういうセリフが横溢している。

 

8 かぞくのくに(D)

2012年の作。 脳腫瘍の手術のために3カ月、北朝鮮から日本に帰国した長男(井浦新)と家族の物語である。ピョンヤンからの命令ということで、すぐに帰国ということになるのだが。こういう制度があったこと自体を知らなかった。舞台は北千住柳町の蔦のからまる喫茶店である。主演井浦新、妹が安藤サクラ(2014年に「100円の恋」)、母親が宮崎美子、父親が津嘉山正種、叔父に諏訪太朗。監督ヤンヨンヒ、「ディアピョンヤン」を撮った女性の監督である。ぼくはDVDで見たような気がする。プロデューサーが「新聞記者」の河村光庸(みつのぶ)である。ぼくは舞台となったあのあたりを歩いたことがあるので、少し土地勘をもって見ることができた。簡にして要を得た映画という感じである。

 

9 ワンチャンス(S)

小さいときから歌うのが好きな子が、長じてイタリアに勉強に行くが、憧れのパヴァロッティの前で緊張しぎて歌えない。君は永遠にオペラ歌手になれない、と宣告される。まちのスマホ屋に勤めながら、結婚もし、虫垂炎破裂間際とか自転車事故など波乱がある。たまたまネットでYou got a talent の応募画面を見て、妻の後押しもあって出場。見事勝ち抜き、最終戦も優勝。プロデビューし200万枚のCDを売り上げ、女王の前で歌う栄誉も授けられる。オーディションの審査員は、実際のテレビ放映の映像を挟んでいるので画質が明らかに違う。これはわざとそうしたのかもしれない。妻役をやった女性がはまり役で、きれいなのか、太っているのか、という境界線上にいる人で、これ以上はないという適役である。主人公が住むのは鉄鋼産業のまちで、だれもイタリア語のオペラなどには関心がなさそうに見えるが、パブで彼が道化のなりをして歌うと、それまでバカにしていた聴衆が大喝采である。それはオーディション会場でも同じである。ぼくはたしかこの彼の本物が出たときのシーンをYou-tubeで見ている。

 

10 素敵なウソの恋まじない(S)

ダスティ・ホフマン、ジュディ・ディンチという老齢のお二人の恋物語。最後に落ちが用意されているが、さて辻褄は合っているか。楽しく見させていただきました。

 

11 ランナウェイ(S)

女性ロックバンドの走りである彼女たちのサクセスと早い崩壊の様を映し出す。ほぼ最後までまえに見た映画と気づかなかった。だけど面白かった。ダコタ・ファニングがセクシーなボーカルという役だけど、無理あり。リズムギターのリーダー役が好感。

 

12 黒い司法(S)

ハーバードを出た北部の黒人青年ブライアン・スティーブンソンが南部アラバマ州で冤罪専門の弁護士として活動する。Equal Justice Initiativeという組織を作り、そこを拠点にした。白人の証言者が1人、それも犯罪歴のある人間を脅かして司法取引で偽証させ、有罪にさせた。24人の黒人の証言は無視されている。餌食にされたのはマクシミリアンという黒人の伐採業者である。6年の収監で無罪を勝ち取った。30年ぶち込まれて無罪となったレイ、それが確定したのが2015年である。ブライアンは120ケース以上で勝利している。死刑囚の10人に1人が冤罪というデータが最後に紹介される。原題はJust Mercyである。日本でも冤罪事件があるが、ここまでひどい、ということはないのではないか(司法と警察の腐敗が地理的に集中している、という意味だが。熊本県志布志事件というのがあるが)。マクシミリアンの事件で救いは最後には地方検事が改心したことと、死刑を見て衝撃を受けた刑務所員が収監者に温情を見せる点である。ブラック・ライブズ・マターはずっとアメリカという国で続いてきた問題である。

 

13 ヒルビリー・エレジー(S)

監督ロン・ハワード、主演エイミー・アダムス、グレン・クロース(祖母)、ヘイリー・ベネット(姉)、ガブリエル・バッソ(主人公)、Netflixオリジナルである。ケンタッキー州から隣のオハイオに移り住み、悲惨な家庭環境から息子がイエール大学に入り、就職するまでを描く。アメリカでベストセラーになった自伝の映画化である。時間を現在と過去で頻繁につないで、無理がない。アダムスは太り、色落ちした髪を振り乱しているが、気の強い役ははまり役ではないか。ベネットは「イコライザー」で見せた見事な肢体は見るも無残に変わっている。役作りと思いたい。アダムスについても。強い女を演じてきたグレン・クロースもすっかりお婆さんである。でも意志の強い役は相変わらず。アパラチアに住む人々は意外と女系が強いか?

 

14 聖なる犯罪者(T)

これ以上でも以下でもないというタイトル、原題は分からないが。ポーランド映画と知らず見たが、途中からポーランドの映画かもしれないと思いながら見ていた。少年院で教導にやってくる神父に刺激を受けた子が、出院後、ふとしたことからある教会の補助司祭、そして司祭の代理をすることになった。彼はその村の解き難い問題にまで手を出していく。自らが重罪犯であることを明かしながら、人々の“悪”をなだめていく。主人公が院を出てすぐにドラッグ、セックスに走るので、ああそっちに行く話かと思うと、じつは違うという展開である。薬でやられて踊りまくるときの見開いた目と、ラストの必死に逃げるシーンの目が同じ目である。フランソワ・オゾンの聖職者による青少年への性的ハラスメントを扱った映画でもそうだが、宗教から離脱する人が多いといいながら、まだまだ宗教には根強く人々を牽引するものがあると思わせられる。

 

15 天国にちがいない(T)

エリア・スレイマンというパレスチナの監督作品、彼自身が出ている。落ちのないコント集みたいな作りになっている。監督はただじっと事実を見つめるだけだが、そこに彼がいることの意味がある。カフェの外の椅子に座りながら、目の前を過ぎる女性の腰のあたりばかり眺めるシーンなど、さもありなん、人生は、という気がする。冒頭に迷惑な隣人が出てくる。勝手に監督のオレンジの実を取ったり、その枝を落としたり、それに水遣りをしたりするが、監督は別に非難の表情を浮かべるでも何でもない。隣人であるとは、そういうことだ、とでもいうように。もう一人の隣人は、狩りでの秘蹟を語る。それもまた隣人のあり方である。ラストに踊り狂うディスコの若者たちを見つめる監督の目に少し潤いが見える。彼は同胞を限りなく愛おしむ。もう一度、見たい映画である。

 

16 シカゴ7裁判(S)

Netflix製作、配信である。主演エディ・レッドメイン(トム・ヘイデンというリーダー役)、彼は「博士と彼女のセオリー」「リリーのすべて」で見ている。1968年、シカゴで民主党全国体が開かれるのに合わせて、ベトナム反戦の若者たちが民主党の大統領候補ハンフリーではなく、左派マッカーシーを支援するためにシカゴに集結する。それを警察が力で押さえ込む。
ジョンソン政権の司法長官は、警察側の挑発によって暴動が起きたと考え、大統領との話し合いで告訴しないと決定したが、ニクソン政権になって新しい司法長官は有罪にするために若いが敏腕検事を立てて、裁判を開始する(彼は共同謀議を立証できないと主張したが、やむなくその任を受け入れた。しかし、あまりにも強権的な裁判官のやり方に、最後には反旗を翻す)。地裁は5年の実刑判決が出るが、上訴審で翻る。その初審の最後に、リーダーのトム・ヘイデンは終始強圧的な裁判官から、こう言われる。「審理のあいだ、君は他の被告と比べずっと大人しくしていたから、将来国にとって有望な人間となるだろう、ゆえに発言を許す」。ヘイドンはそれを最大の侮辱ととったのか、ベトナムでのアメリカの戦死者の名をすべて読み上げることで、その裁判官の高慢な鼻をくじく。ぼくはサイモン&ガーファンクルの「水曜の朝、午前7時」を思い出した。もう一人の運動指導者アビー・ホフマン(サシャ・バロン・コーエン)がスタンダップ・コメディアンでもあるのか、そういうシーンが挟まれるが、彼がヘイデンに抗いながら、裁判の弁論ではかばうシーンには泣かされる(高平哲郎は『スタンダップコメディの勉強』でホフマンをジェーン・フォンダの前夫としているが、トム・ヘイドンとの勘違い)。
このデモのことは、ベケットやジュネ、D.H.ロレンス、イヨネスコ、フランツ・ファノンなどのアメリカへの移入を図ったグローブ社の編集者リチャード・シーバーの自伝で読んでいる。シーバーはジュネの雑誌取材に同行したのである。映画にも出てくるアレン・ギンズバーグと遭遇し、ギンズバーグはジュネのまえに跪き、頭を地に着けて敬意を表した。

 

17 ジャングルランド(S)

その日のねぐらにも困る兄弟がナックルファイトで大金を稼ぐ夢を頼りに、目的地まで向かう。アングラで借りた金が返せず、一人の女を届けるようにいわれる。それが高齢やくざのひもだった女で、弟のほうが心をぐらつかせ、兄貴はおれを食い物にしている、と言い出す。結局、兄貴を助けるために、女を孕ませた高齢やくざを殺すことに。最後、弟は試合に勝ち、リングサイドに兄を探すが、兄は警察に拘束されている。言葉通り、無償の愛を兄は実践したのである。戦いの場面がほどとんどないのが残念だが、じっくりしたロードムビーとして見れば、見ていられる。だらしないが人のいい兄貴がチャーリー・ハナム、憂い顔のファイターが弟のジャック・オコンネル。問題を引き起こす女がジェシカ・バーデン。

 

18 ラン、オールナイト(S)

まだリーアム・ニーソンで見ていない映画がある。雪原ものもまだ見ていない。場所が限定されると、想像力が縛られる感じがあって、手が出しにくい。エド・ハリスがやくざ稼業の兄弟分、その息子をニーソンが殺したことで復讐劇が始まる。ニーソンは疎遠だった息子、ジョエル・キナマンを助けようとして兄弟分の息子を殺したのである。キナマンは、テレビシリーズ「The Killing」で初めて見たスウェーデンの俳優である。冒頭に傷を負って横たわるニーソンで始まるが、ジョン・ウィックがやった手口である。もっと前でいえば、プールに浮かぶ死体から始まった名作映画がある(ビリー・ワイルダーサンセット大通り」)。劇の作りとしては、どうかな、という感じである。監督ジャウム・コレット=セラで、ニーソンと組んで何本か撮っている。「アンノウン」「フライト・ゲーム」「トレイン・ミッション」である。

 

19 この空漠たる荒野で(S)

南北戦争で生き残った男が、町から町へニュースペーパーを読む仕事をしている。妻がいるらしいが、それがどうなっているかは明かされない。その途中、一人のドイツ系の少女を助けることに。彼女はカイオワ族に誘拐された子だった。叔母夫婦がいるところまで少女を連れて行くプロセスであれこれと起こる。主演トム・ハンクス、監督ポール・グリーングラス、ボーンシリーズの2、3作目と5作目を撮っている。アクション映画とは違って、じつに落ち着いた映像を見せてくれる。遠景で撮る荒野と低い山並みが夕暮れに青い色に浸されて美しい。これもNetflix配信、このくらいのほどほどの出来の映画がたくさん作られたら、映画館に行かなくなる可能性がある。

 

20 フランク伯父さん(S)

アマゾン配信、ソフィア・リリス主演。Netflixの「ノットオーケー」続編がコロナで打ち切りになった。その代わりにアマゾンがリリスで映画を撮った。ゲイであることを父親の遺言で明らかにされた長男(これがリリスの伯父で、NY大の教授)が、やっと家族に受け入れられる話。 信心深い父親は長男を許せなかった。聖書は同性愛を禁じ、奴隷制を支持しているらしいが。

 

21 素晴らしき世界(T)

 西川美和監督、主演役所広司、2時間超。殺人で13年刑期を務めた粗暴な男が出所し、なかなか現実になじめない。というか、理不尽な暴力、圧力に我慢がならないところがあるために、いざこざを起こす。いわば、正義のための暴力しか使わない人である。自然と彼を庇護してくれ、心配してくれる人が増えていくのは、そういう彼の性向を見ているからである。そもそも妻とやっていたスナックに敵対組織の男が日本刀を持って押し入ってきたのを反撃して死に至らしめた男である。いけすかない男が次第に変わっていく。一度は昔の兄弟分(白竜)のところに身を寄せるが、そこも警察が立ち入ることに。その姉さん(キムラ緑子がいい)が、堅気になりな、つまらないことばかりで大変だが、青空が大きいと言うわよ、と金を渡して彼を押しやる。身元引受人も、ふつうに生きていくだけで、俗世間は大変だと諭す。暴力でかたをつけるほうが簡単である。その複雑な世界でやっと生きられそうになったのに、ラストシーンはむごい。故郷の福岡で兄弟分のはからいで一夜を共にした女がなかなか情愛があっていい。なんとなく西川監督と似ているような。ネットでは名前が分からない。役所の窓口になった北村有起哉という役者が公務員の範囲のなかでやれることをやる、信頼の置ける人物の感じが出ていた。

 

22 モンテッソーリ 子どもの家(T)

モンテッソーリ哲学で運営される北仏保育園の子どもたちを映すドキュメンタリー、といってもほぼ室内。いやはや子どもってすごい。この集中力、好奇心がずっと続くと、世の中天才だらけになる。いかに既存の教育が子どもを、そして青少年をだめにしているかが如実に分かる。教材? 遊具? は基本的に生活で必要とされる動作と関連づけられている、と言っている。文字や発音、算数的なものも自然に取り入れている。先生はあくまで子どもが自発性をもって活動するための補助(介助ではない)者的な立場。教科書がない杉並の和光小学校を扱った映画も上映されていたが、残念ながら見ることができなかった。iTuneで見ることになるか。

 

23  イップマン完結(S)

新宿で見たのが最初のイップマンだ。ぼくはナショナリストではないが、日本軍があまりにも悪玉扱いされるのは気持ちのいいものではない。悪として単純に割り切り過ぎているからだ。完結編はアメリカ軍がやっつけられる。中国の覇権をそのままなぞったような展開に、映画を見る気も失せがちになった。なかなかいいアクション映画が来ないから、仕方なく見てしまった映画である。格闘技シーンも驚きはなし。ブルース・リーのそっくりさんが出ていた。ワンス・アポンナ・タイム・イン・ハリウッドでコケにされていたが、さてそれは真実か?

 

24 ブレインゲーム(S)

アンソニー・ホプキンスコリン・ファレルが未来が見える者同士で戦う。先にあるものの映像を挟むお決まりの進行。でも、ホプキンスの何もしない演技が求心力をもっている。死の苦しみにもがく娘に何か薬を投与したあと、腕を強く振る一瞬の動作があるが、えっという感じである。すごいな、と思う。アホンソ・ボヤルトという監督だが、あまり撮っていないようだ。刑事のジェフリー・ディーン・モーガンアビー・コーニッシュ、どちらもOK。

 

25 ボビー・フィッシャーを探して(S)

 1993年の作品で、チェス物である。まちの賭けチェスを見たことで興味を持ち才覚を表していく子ども。その才能を信じて最強の教師を付けたつもりが、子どもは勝つことだけに意味を感じない。ラストの大試合でも勝ちが見えているのに引き分けを言い出す。タイトルは実在の世界チャンピオンで、そのあとに失踪した。この映画の主人公は結局、そのボビー・フィッシャーを含めた人間性のない世界への反措定となっている。父親役がジョー・マンテーニャ、母親役がジョン・アレン、どちらも子どもの才能を信じて真っ直ぐでありgood。賭け場のキングともいうべき人物がローレンス・フィッシュバーン(最近もジョン・ウィックの闇の帝王役で見ている)、そしてチェスマスターがベン・ギングスレーである。主人公を演じた子は、少なくともウィキでは関連情報がまったく出てこない。

 

26 マザーレス・ブルックリン(S)

エドワート・ノートン主演、監督である。探偵事務所を経営するブルース・ウイルスが孤児だった彼を含めて4人を拾い、育ててくれた恩義がある。その死をめぐる探索行で、クラシカルな探偵ものを目指した。可もなし不可もなし。ただ、地下の黒人バーで、ジャズの演奏とその撮影がびしっと決まっていた。ノートン、ジャズ好きかもしれない。ニコルソンの「チャイナタウン」と違って、最後の種明かしも驚きなし。

ノートンがチック症で、急激に首を振りながら、心に思っていることをつい言ってしまう。たいていは「イフ」というのだが、それが「仮定」をもとに捜査を続けていくアナロジーになっている。客演ググ・バサ・ロー、ウィリアム・デフォー、アレック・ボールドウィンと豪華。中にタイムスはダメで、ポストなら情報を渡せる、というシーンがある。タイムスは記事を政治的に判断し、国益に沿わないものは載せないメディアである。そこを言っているのかもしれない。Netflixオリジナル。

 

27 オペレーション・フィナーレ(S)

イスラエル(モサドか?)がアルゼンチンからアイヒマンを連れてくる映画を3本ぐらい見ているのではないか。これはハラハラドキドキを狙ったもので、それは成功している。意外なことにアイヒマンは有能で、感情豊かに見える。ベン・キングスレーが見事に演じている。監督クリス・ワイツ、女優メラニー・ロラン(かなり一時期痩せて見えたが、今回はそんなことはなかった)、男優オスカー・アイザック(何の映画で見たか、思い出せない)

 

28 DAU.ナターシャ(T)

何だか鳴り物入り過ぎて、困った映画である。リアルに虐待が起きたとか、セックスシーンは本物だとか、まるでマッド・マックス以来の前振りである。セックスシーンをモノホンで撮ったからといって、何か価値があるとは思えない。映画は作りものというのが基本である。要らぬ情報を流さないほうがいい。

 

壮大な仕掛けの割に、登場人物は少ないし、セットも単純である。これがソビエト映画なのだといわれたら、さもありなん、である。貧寒としている。構造もシンプルで、あるレストランの女性上司ナターシャと女性部下オーリャ、科学者男子数名、尋問・拷問係1名男子である。これらみなオーディションで選ばれた素人らしい。ナターシャを演じた女性は美しい。

 

ナターシャがオーリャに理由のない因縁のようなものをふっかけ、ウォッカを飲むよう強要する。その様が、後に自分に向けられる尋問(拷問は脅し程度)の様子とパラレルな関係になっている。科学者たちはフランスから来た権威ある科学者に従って、何か実験をしている。その合間、あるいは終わったあとに店にやってくる。初めての日、ナターシャはその仏人科学者とセックスをする。そのことを国家機関は嗅ぎ付け、尋問する。

 

都合、2時間ちょっとの映画で、4シーンぐらしかないから、1つが30分。とくにセックスのシーンは別に短くていい。尋問のところはカフカ的な感じがしてグッド。尋問室と拷問室が狭い廊下をはさんで、斜め前というのがいい。ナターシャになぜか目の前にある新聞紙から偽名を選ばせて仏人科学者告発文に署名させているが、それが“ルネサンス”というのは皮肉。彼女に書かせる文章も下手な検事調書みたいでグッド。彼女はどんどん尋問官に取り入るが、尋問官もまるでそのためにやっているような様子なのだ。

壮大なシリーズの1篇らしいが、さて2本目が来るかどうか。

 

29  ミナリ(T)

レーガンの時代にカリフォルニアからアーカンソーへと農地を買い求め移り住んだ韓国人家族を扱っている。彼らは鶏の雛のおす、めすを分ける仕事に就いている。夫はその技術に長け、妻は家にまで持ち込んで練習をする。捌く数で給金が違うのかもしれない。手に持ってすっとお尻を水に付け、そして覗いて判定する。

タイトルのミナリは芹の意味であるらしい。韓国人はこれをよく食べるらしい。ぼくは輪島で食べたいしり鍋やキリタンポ鍋に入れている。

 

まえの土地の持ち主はうまくいかず、銃で自殺している。夫は地味があるといって喜ぶが、水が出ない土地のようだ。いわゆるトレイラーハウスを2つくっつけたようなのが住まいである。それを見た途端に妻の機嫌が悪くなる。

父親は年に3万人の移民がある韓国人相手の野菜を作ろうとする。子どもは2人、上は女、下の男の子は心臓が悪いという設定である。冒頭から「走ってはダメ」と仕切りに注意するので、何かと思っていると、そういうことだった。

子どもを見てもらうために韓国から母親に来てもらう。これが花札好き、プロレス好きのおばあさん。この破天荒をもっと描いて欲しかった。筋としては、彼女が自分を犠牲にして2つの貢献をする。それをさりげなく描くところが、この映画の良さであろう。そのサクリファイスのおかげで、男の子の心臓が快方に向かい、夫婦の仲がよくなる。映画の最後にThanks to all grandmother.と出るのは、そこと関係している。

 

アメリカ人は木の枝で水の出るところを占ったり、大きな木の十字架を実際に担いでキリストの苦難を思い出すなど、非理性人の扱いだが、最後には彼らとの和解が用意されている。

一カ所いいな、と思うのは、テレビで夫婦の思い出の曲がかかり、カメラが寄って大写しになったところで外から家を見た映像に切り替わり、次は俯瞰でその周辺の夜の映像が撮られる。その間、ずっとその幸せな曲が流れている。

主演スティーブン・ユアン(アメリカで活躍)、ハン・イェリ(妻)、祖母ユン・ヨジョン(有名な女優)、子ども2人が達者、とくに下の子が自然に演じてグッド。監督リー・アイザック・チョンで、アーカンソー州リンカーン生まれ。「君の名は。」の実写版を撮るそうだ。あちこちでいろいろな賞を獲っているいる映画である。アメリカ映画でこれだけ外国語がふんだんに交わされるのも珍しい。ブラッド・ピットのPlan Bが製作に関わり、ピットはエグゼクティブ・プロデューサー。同製作では「キック・アス」「それでも夜は明ける」「バイス」「ビールストリートの恋人たち」「ジェシー・ジェイムズの暗殺」「ツリー・オブ・ライフ」「マネーショート」を見ている。「グローリー」と「ムーンライト」は見ていない。どんどん傾向がはっきりしてきて、政治性や社会性の強いものになりつつある。A24も話題だが、こっちの映画には触手が出ないのはなぜなのか。「Waves」と「20th ウーマン」しか見ていない。

 

30  ダーク・プレイス(S)

兄が家族を惨殺? それには事情があった、という映画だが、ただダラダラと。シャリーズ・セロンは映画の選び方が間違っているのでは?

 

31  ノマドランド(T)

 ミナリが移民が「ホーム」を見つけようとする話、これは企業城下町が立ち行かなくなり「ホーム」を離れざるをえなかった人の話。前者が男のこだわりを描き、後者は女のこだわりを描く。ぼくの趣味は後者で、主演のフランシス・マクドーマンドコーエン兄弟の「ファーゴ」以来の付き合いだ。前の「スリービルボード」ですごく強い女を演じたが、本来、とぼけた味がある人で、その感じは今回の作品に出ている。プロデューサーも務めている。

移動する人の問題としてトイレや車の故障のことなどが盛り込まれるのは分かるが、ちょっと下の話は1回でよしてほしい。キャンピングカーで暮らすIT人間たちの話はこの10年ぐらい前から知っていたが、これは貧窮にある人の話である。そこに女性がけっこういることに驚く。アメリカに移動しないトレーラーハウスで暮らす人がいる。リーサル・ウェポンメル・ギブソンを始め映画にしょっちゅう出てくる。女性監督でクロエ・ジャオ、音楽がルドヴィコ・アイナウディで、ピアノの静かにせり上がっていく感じがいい。

アカデミー賞作品・監督・主演女優賞に決まった。慶賀に耐えない。

 

32 悪魔を見た(S)

どろどろの韓国血まみれ映画である。むかしの韓国映画は残酷なりに美学があったが、これはちょっと、である。スーパー刑事にイ・ビョンホン、モンスターにチェ・ミンシク。義妹が拉致されたあとや、妻の指輪を見つけるところなど、もっと細かい演出が必要な箇所がいくつかある。敵を苛んでいく過程に身を入れて見ている自分がいる。暴力性が体内に眠っていることが確認できる。アクション映画をしきりに見たくなることがあるが、こういうバックグランドがあるからである。それにしても、キレキレのアクション映画がなさすぎる。

 

33  ゴールド・フィンチ(S)

美術館で絵を見ているときにテロの爆発で母親を失った少年の成長の物語といっていい。ラストで思いがけない展開をするのだが、途中までのティストはぼく好みである。苛酷な環境のなかでも少年の初々しさ、素直さは決して失われない。主演のアンセル・エルゴートは「ベイビードライバー」で見ている。義母役がナタリー・キッドマン、骨董商がジェフリー・ライト、父親の恋人サラ・ポールソン(愛情のないまま母的な感じがなかなかいい)。監督ジョン・クローリー、「ブルックリン」を撮っている。

 

34 ボブという名の猫(S)

ロンドンが舞台、野良猫が元ジャンキーのストリートミュージシャンを救う。歌で身を立てるのかと思いきや、猫との交流記を書いてベストセラーに。実話がもとになっている。猫好きは世界にいるということか。ハイタッチする猫である。

 

35 競艶雪之丞変化(上)(S)

ひばりが3役をやる。冒頭に、この映画は長谷川一夫の当たり役、僭越ながら一生懸命相務めます、と口上を述べて始まる。その長谷川のを見たことがあるが、どうも気持ちが悪くてしょうがなかった。それに比べて、ひばりのは安心して見ていられる。盗みの親分闇太郎をやったほうが、すっきり“男映え”する。監督渡辺邦男、共演阿部九州男、丹波哲郎(すごい下手くそ)、宇治みさ子(お初)、坊屋三郎(お初の手下)。昔の映画はこの1人何役というのが定番みたいなもので、映像的な奇抜さもこう何度もやればすぐに飽きがくるから、基本は階級を飛び越えるところにある快味があるのではないか。お姫様がまちなかの十手持ちになったり、旗本が素浪人になったり、それは庶民の生活をつぶさに知ってほしいという願望が生み出したものではないか。あとマキノ流でいえば、筋をややこしくして“綾”を付けるということ。情報取得の手段は盗み聞きが主になるから、都合のいい設定が多い。お初が「たまたま」見かけた雪之丞のあとをつける、闇太郎が「たまたま」立ち聞きする雪之丞と門倉兵馬(丹波哲郎)とのいざこざ……そんなアホなということが連続するが、その時代の人はそれでいい、と思っていたのだろう。

 

36 Marley & Me(S)

 今度は犬である。わがまま勝手な犬が家族の紐帯となって引っ張っていく。よく演技をするものである。それを題材にコラムを書くオーウェンウイルソン、その妻で子育てのためにコラムニストを止めたジェニファー・アニストン。新聞社ではコラムニストよりレポーターのほうが格上であることがよく分かる。

 

37 ゴッドファーザー(S)

2度目である。すべてがⅠのなぞりで、もうコッポラにはこの映画を緊密な、映像的にも豪奢なものにしようという意識がない。音楽も途中でマカロニウェスタンのようなビンビンビンというような曲がかかる。それでも最後まで見ていられるのは、おそらく復讐劇の古典的な構造を押さえているからだろう。いつ悪人をやっつけるのか、という期待である。演技が光るのが意外なことにダイアン・キートンタリア・シャイア(妹のコニー役)。いくら天才コッポラにして、同じレベルを保つのは難しいということか。あるいはこの映画、彼が撮っていないのでは?

 

38 デリート・ヒストリー(S)

フランス映画、緩いコメディ調だが、見ていられる。3人の登場人物が個性的で、明るく、エキセントリックだからである。それぞれGAFAに恨みを抱いている。一人は酒場で会った若者とセックスをし、それをスマホで撮られて脅される。一人はテレビドラマ中毒になり原発での仕事を辞めさせられ、UBERを始めるが、どうやっても星一つの評価しか貰えない。一人は娘が学校でいじめに遭い、その動画がネットに流されている。最初の一人はアメリカにまで飛んでグーグルに記録の消去を迫ろうとする。次のは、アイルランドに交渉に行くといって、じつはモーリシャスのコールセンターのミランダに会いに行き、単なる機械であることを発見する。もう一人は、UBER支部へ乗り込み、チェンソーでPCを切り裂く。結局、みんなスマホを捨てて、安心の生活に戻る。こういう突き抜けたバカ映画で社会批評する精神に賛同する。

 

39 フードラック(S)

寺門ジモン監督、焼肉を死ぬほど愛するのなら、それにふさわしい映画にすべきだった。主人公が母親の糠漬けの味の秘訣として、長めに甕に入れて古漬けにしていたと気づく、というのはばかげている。母親が死んだあとの主人公のセリフも口跡が悪く聞きとりにくい。川崎ホルモンという店が出てくるが、行ってみたくなる。ほかの店のことは映画のホームページに出ているが、なぜかこの店だけ出ていない。一軒目の店は批判されているにもかかわらず載っている。

 

40 味園ユニバース(S)

何回目になるか、初見ではデジャブな映画と思い批判したが、その後何度も見て、ここがポイントかと思うことがあった。それは静と動の対比で、静のときの時間が意外と長いのである。主人公茂男が記憶喪失から戻って、公園のベンチに座る。そこに段ボールに茂男の持ち物一式を入れて二階堂ふみがやってくる。彼女と諍いがあり、一人になる茂男。彼がその段ボールを開くまでに、カメラ据え置きで、結構な時間が流れる。自分の子どもに会いに行ったシーンでも、当然会話はごく少なく、まあまあの時間を費やす。その静があるから、音楽シーンのリズミカルな感じが生きてくる。山下敦弘監督、音楽ものの妙技を見せている。二階堂も余計な演技を一切しない。ごく稀に微妙な表情が現れることがあるが。

 

41 ハート・オブ・ウーマン(S)

女性のこころが読めるようになった広告マンの話である(2000年)。それまではマッチョマンだった。あるアクシデントで女性の内奥の声が聞こえるようになり、ナイキの女性向け広告を勝ち取ることができるようになる。

メル・ギブソンがシナトラの曲に合わせて帽子を腕に転がし手に取るパフォーマンスや帽子掛けに投げたり、その帽子掛けで踊ったり、アステアへのオマージュに満ちている。自分の地位を奪った女性がヘレン・ハント、彼女は残業でシナトラの歌を聞いている。目立たないオフィスガールにローレン・ホーリー、ダイニングカフェのメイドがマリサ・トメイ、彼女はギブソンと一夜を共にし、最高の夜を経験したのに彼から連絡が来ない。ゲイではないかと問うと、ギブソンを彼女の自尊心を思い、そうだと答える。そのときにギブソンがナヨっとした感じや、弱々しくこぶしを握る演技をする。ギブソンが自分がもてるいろいろな技を試した映画といえるだろう。成功したとは言い難いが、マッチョだけではないと見せた意味は大きい。最後は完全に女性の心が自然と読める男になっている。

 

42 マイ・ブックショップ(S)

田舎町の古い建物に本屋を開くが、そこを芸術センターにしたい町の実力者の夫人が事あるごとに邪魔をし、追い出す過程を描く。「ニュースルーム」のエミリー・モーティマー主演、脇にビル・ナイパトリシア・クラークソン。落ち着いた外連味のない映画で、好感である。なんだか久しぶりに気持ちのよくなる映画を見た。

 

43 SNS―少女たちの10日間(T)

冒頭にチェコでSNSで性的な被害を受ける児童の率などが示されるが、驚くような数字だ。20歳以上の女性で幼く見える3人をオーディションで募り、12歳だとしてSNSに登録すると、瞬く間に年配者から連絡が入る。胸を見せろ、もっと見せろと要求し、そう言いながら自慰に耽り、自分の性器の写真を送りつける。延々とそれが繰り返される。最後に実際に21人の男と会うところまで写すのだが、そういう場でも彼らは下半身の話に終始する。スタッフが自宅まで追うのは1名だけ。ふだんキャンプ場などで子どもを相手にしている50代ぐらいの男、自称トラベル会社経営。自分がしていることの何が悪い(児童虐待に当たる、と監督たちが言っても動じない)、かえってネットにアクセスする少女たちの両親こそが問題だ、こんな問題に無駄に時間を使わないで生活保護を受けている“ジプシー”を取り上げろ、と言い出す。アクセスしてきたなかで1人まともな青年がいて、知らない人間に裸を見せてはいけないよ、と言ったりする(あとでスタッフが調べても、その姿勢・発言に嘘はなかった)。その相手をした女性は思わず涙を流す。干天の慈雨と言うべきか。しかし、なぜこの恋人もいる青年がそういう12歳の少女とチャットしようとしたのか、それが分からない。映画のホームページにはリアリティショーと命名しているが、それは間違いだろう。あくまで現実を見せつけた映画である。

 

44 ジェントルメン(T)

ガイ・リッチー監督である。ダウニーJrの「シャーロックホームズ」の監督である。見事に古典的な探偵ものを現代に生かしたものである。その手腕たるや敬服に値する。最近では「コードネームアンクル」を見ている。初期の「スナッチ」は途中で投げ出したくなった映画である、たしか。

今回の映画は、語り手がいて展開するという古臭い手法で、しかも最初にミステリーを置いておいて、劇をそこに向けて進行させるという、これまた旧式なやり方をとっている。でも、充分に楽しみました。現役引退を考えた大麻王が結局、身を退かず何人か人を殺すという変な映画。

主演マシュー・マコノミー、妻役にミシェル・ドッカリー(ぼくはこの女優に心当たりがない。「ダウントンアビー」「フライトゲーム」に出ているのだけど)、部下にチャーリー・ハナム、語り手にヒュー・グラント、若者のトレーナーにコリン・ファレルなど。チャーリー・ハナムという役者さんがいい。理知的で、切れるときは切れる感じがよく出ている。セリフが長く、しかもどうでもいいことをしゃべり続け、そしてどぎつい映像にたどり着く、というスタイルで、タランティーノを思い出した(もしかして真似したのか?)。スターティングロールはまるでマコノミーがプロデュース、主演した「トルー・ディテクティブ」のよう。いま(July12,2021)アメリカのベストセラー5位にマコノミーのGreenlightsが入っている(ちなみに37週ランクイン)。30年以上つけてきた日記が基になっているらしい。やはり才人か。

 

45 海辺の彼女たち(T)

ポレポレ東中野だが、よく客が入っていた。以前、お世話になったのは部落解放同盟の活動を追った古い映画だった。東海テレビシリーズもここで見ている。今回はベトナム技能実習生3人が給料をけちられ、土日も働かされて三月で逃げ出し、冬の新潟の小さな漁港にやってくる。1人が体調が悪く、妊娠していることが分かるが、保険証も滞在証明もない。そこで5万円で偽造を手に入れ、医者にかかるが、小さな生命が息づいている映像を見て、ツーッと涙を流す。同僚2人は始めはかばってくれたのだが、子どもを堕ろす決断をなかなかしないことから、仲違いに。偽造書類を買うことにも、それで足がつかないか心配のようだ。結局、薬を飲んで子を諦めることになるが、その薬を飲んだところで、プツンと映画は終わる。技能実習とは名ばかりの低賃金強制労働、仕事先を選べないことから不法就労に逃げるのもよく分かる。漁村に行ってから彼女たちの暮らすのは納屋のようなところで、一度も雇い人との交流の場面もない。胸を衝かれる映画だが、出来はうんぬんするレベルではない。

 

46 真実の行方(S)

再見である。リチャード・ギアローラ・リニー、そしてエドワート・ノートンローラ・リニーが抜けるように白く、そして美しい。ノートンという役者の映画を追いかけた時期があった。それを「二重性の震え」として、だいぶ前のコラムに書いたことがあった。むかしほどの衝撃を彼から受けることはなくなったが、いまだに気になる俳優で、新作が来れば見ている。

 

47 田舎司祭の日記(T)

1950年、ロベルト・ブレッソン、ぼくは「スリ」を見ているだけ。身体のどこかに不具合を抱えて田舎の司祭となった若者が因習固陋の人びとに接して信仰の揺らぎを覚えながらも、一瞬だけ垣間見せる神の恩寵を信じようとする姿を描く。いよいよ身体がいけなくなって都会の医者に診てもらおうと駅に向かうときに、領主の甥っ子で外人部隊に入っている青年がオートバイに乗せてくれる。司祭は自分も若者であることを思い出し、そこでも一陣の風のような恩寵を感じる。朝日新聞映画評では、神の束縛から逃れたい人々と、今のコロナ禍の閉じ込めは状況が似ている、と書いていたが、神もコロナと一緒にされてはたまらないだろう。その「アクチュアリティと強度」で「現在上映されるあらゆる映画を凌駕する」と大褒めだが、さて、いま上映されている映画に何があったろうか。「ジェントルメン」に「北斎」か、あるいは吉永小百合の「停車場」か。比較が過ぎるかもしれない。

 

48  Nancy Drew(S)

ソフィア・アリス主演、スリラー崩れの青春もの。彼女の清純な感じはいつまで続くのか。たくさん作品が来ることを願うばかり。

 

49 ニューヨークで最高の訳あり物件(S)

写真家の年上の旦那がまた若い子に入れ揚げ、マンションから出ていく。そこに最初のワイフが部屋の権利が半分あるといって住まいはじめる。自立型の女と、いつまでもいなくなった旦那を思い切れない二人の関係を描く。スターティングロールでドイツ語のような名前ばかりで、なんだこりゃ、と思ったら、ちゃんと英語を使うNYが舞台の映画だった。途中で、最初のワイフの娘とその小さな男の子がスウェーデンからやってくる。落ち着いて最後まで楽しんで見ることができた。最初のワイフがカッチャ・リーマンという女性で、とても美しい。

 

50 スノーロワイヤル(S)

トンデモ映画に入るのではないだろうか。子どもの復讐劇に一気になだれ込むかと思うと、白人麻薬組織とイヌイットの遺恨バトルに発展する。その白人側のボスが子煩悩で、妻はアジア系。主人公リーアム・ニールソンの弟で、かつてその組織にいた人間の妻は中国人。最初から、妙に風景がきれいに撮れているな、と思った。息子の死体を見にモーグルへ行くが、下段に入れてあるのをキコキコ音をさせながら上にもってくるのだが、その時間が妙に長い。殺した死体を金網で縛って深い滝に落とすが、その際に谷の反対側から引きの大きな絵で捉えるようなこともやっている。そのボスの息子が頭がよくて、ちっとも拗ねていない、とてもいい子。彼をニールソが人質にするが、寝るときに本を読んでと迫られ、読むものがないからとスノートラクター(?)の説明書を読む。子どもは頭をニールソンの肩に預け、ストックホルム症候群って知っている? と尋ねる。……というような変なことばかりの映画である。どういう脚本になっていて、なぜニールソンはこの映画を受けたのか?

 

51 人生はビギナーズ(S)

マイク・ミルズ監督、「20センチュリーウーマン」を撮っているが寡作、もっと撮っていい監督である。ぼくはこういう小技が利いた映画が好きである。一人引きこもる性格の男(ユアン・マクレガーイラストレーターの役)が友達にパーティに連れて行かれる。そこで出会ったのが女子高生みたいな服装のメラニー・ローレント、彼女は咽頭炎で声が出せず、筆談と身振りになる。それがサイレント映画のもどきになっている。彼の煮え切らなさから別れたあと、思いなおしてマクレガーがNYの彼女のアパートメントに行くと不在。電話をすると、ロスに留まっていると言う。鍵のありかを教えてくれ中に入ると、電話越しにそこはキッチン、つぎはバスルームと教えてくれる。ここにもサイレントの写しがある。彼には父(クリストファー・プラマー、息の長い役者である)が可愛がった犬がいるが、これが言葉を解すことができると言い、その言葉が文字として表記される。こういう遊びも好ましい。マクレガーの父は74歳にしてゲイに本格的に進むが、母親もそれを知っていて結婚したことが分かる、「結婚したら、私が治してあげる」と言ったらしい。彼が描く人物イラストはどこかで見たような筆致だが、自分の部屋に飾ってあるのは60年代のポップな感じで、ほかにルソーのような絵もある。この監督の映画をほかに見たいが、さてその機会があるかどうか。

 

52 ザ・ネゴシエーション(S)

ヒョンビン(「スウィンダラー」を見ている)、ソン・イエジン(ぼくは見たことがないかも)主演、ヒョンビンの悲しそうな顔がいい。人質もので、コンピュータ画面を通したやりとりに終始するので動きはないが、じっと見ていることができる。

 

53 殺人の疑惑(S)

ソン・イエジン主演、父親が少年拉致殺害の犯人ではないかと思い始めたことから物語は始まっていく。お父さん役のキム・ガプスがなかなかよろし。ひたすらに娘を愛するが、裏には別の顔があることも分かってくる。最後の笑いは脚本上の要請なので仕方がないが、違和感がある。イエジンはずっと短パン姿で、上記作でも初登場がタクシーから突き出される脚線美であり、すぐに捜査車両のなかで下着を見せて着替えをするのだが、そういう売りの女優なのかしら。

 

54  いとみち(T)

豊川悦司メイドカフェの店長と店員1人が標準語で、あとは青森の言葉。けっこう何を言っているのか分からないところがある。主人公はほぼ言葉を発しない女子高生いとで、それが青森市メイドカフェのアルバイトを見つける。そこに馴染んだところで、経営者が違法販売で逮捕され、店の存続が危うくなる。寡黙ないとが三味線ライブをやって客を呼ぶ、と提案。あれだけ大人しかった子がダイナミックな演奏姿を見せる。とても抑制された演出の、好ましい映画である。メイドの先輩黒川芽衣が気丈だがすごく優しい感じでいい、店長の中島歩はのんびりキャラだが芯がありそうでいい。おばあさん役の西川洋子(高橋竹苑)といとが並んで三味線を弾くシーンがあるが、いとはきちんと弦を押さえて弾いているが、竹苑はまるで蝶々が舞っているような軽やかな演奏に見える。それで音の切れ、響きはすごい。青森市内でお店をやり演奏も披露していたようだが、2019年の年末に閉店している。やっていれば行きたいところだったが。監督は青森出身の横浜聡子

 

55 一秒先の彼女(T)

まったくぼく好みの映画。ユーモアに小技が一杯で、ヒューマンでロマンスでもある、といった出来である。最初からバレンンタインデーが1日盗まれた、というところから始まる。冴えない郵便局勤めのヤン・シャオチー(リ・ペイユー)30歳は、せっかちで何でもつねに人より先にやってしまう。彼女をめぐる2人の男のうちの1人は、逆に何でも人より遅れてしまう。
独身の彼女を何かとからかう局長、小さいときに失踪した父親、衣装箪笥のなかにいるヤモリ男(舌先がちょろちょろし、後ろに太い尻尾が揺れる、すごく気持ち悪い)、いつも楽しみに聴く小さなラジオのDJはその都度、彼女の部屋の窓に姿を現すが(よく芝居でこういう仕掛けをやる)、どういうわけか口元にぼかしが入っている。隣の同僚女性局員はNHK囲碁教室に出ているプロ棋士のヘイ・ジャアジャアさんで、もてもての役。それに比べてまた今年もヤンは一人のバレンタインデーかと思いきや、奇天烈なことが起きる。その詐術は、さて理屈に合っているのかどうか。チェン・ユーシン監督は長く不調だったというが、これで完全復活か。

 

56 ベスト・オブ・エネミーズ(S)

西部の人種差別の濃い町で、小学校の統合の話が持ち上がる。シャーレットという方法で白人と黒人の混成チームが作られ、2週間で結論を出す。その過程で相手の事情が見えてきて、KKKの地区リーダーは統合賛成の票を投じる。しかし、まちの白人たちに疎外され、経営するガソリンスタンドも干されてしまう。ところが、黒人たちが助けにやってくる。ずっと黒人お断りの店だったのに。

実話を基にした映画で、白人リーダーをサム・ロックウェル、黒人女性アクティビストがタラージ・P・ヘンソン。ロックウエルを主演に据えるとは粋なものである。

 

57  第一容疑者(S)

ぼくが初めてヘレン・ミレン(テニスン役)を見たのが、このシリーズである。こんなおばさんがヌードを、と驚いたのを覚えている。いま女性刑事ものはごまんとあるが、それの走りかもしれない。
NHKの連続ものとして見たのだったか忘れたが、レンタルにもなくて、ずっと見たいと思っていたものだ(未だにレンタルにはない)。それがいまアマゾンで別料金だが見ることができる。やはり細部まできちんと人物像が描かれていて、飽きさせない。大人の警察ものになっている。
パンクっぽいチンピラ役でレイフ・ファインズが出ていたり、田舎警察官にマーク・ストロングがいたり、意外な発見も楽しい。女性脚本家(リンダ・ラ・ブラント)である。単行本が出て、それを本人が脚本化しているパターンのようだ。

58 バケモン(T)

2時間超、じっと見入ってしまう。鶴瓶が「らくだ」を錬磨させていくのを本筋にして、いかに進化し続ける人間かを描く。100(たしか160と言っていたような)を超える素人の話題をしゃべり続ける2時間の舞台「鶴瓶話」もすごい。
母親は他人の家に押し入っても人の不幸を助けようとする人、父親は大店の出で段ボール箱づくり、しかし絵を描くのが好きで、外を歩く姿は品があったと近所の人が証言する。この2つながら鶴瓶のからだに流れ込んでいる。
「らくだ」はぼくの好きな噺で、小さん、志ん生で聴いている。最後に屑屋が酒を飲んで怖くなるところが見せ所である。映画では死人とカンカン踊りの関連も追っていて、両者を結び付けたのは鶴屋南北らしい。それを笑福亭松鶴4代目が落語に創作したとして、鶴瓶は毎年お墓参りに。ところが4代目ではなく2代目であることが分かり、墓も大阪ではなく京都にあった。奇矯破天荒な人で、酒で身体をやられ、右足を切って高座に上がるもあえなく死亡。死体となったらくだと親近性がある。その顛末を映すときに、やけに賑やかな音楽に変わるが、さていかがなものか。
監督は長く鶴瓶を撮ってきたテレビ畑の人らしいが、その説明がないので、知らない人が見ると訳が分からないのではないか。ナレーションが「私」で、だいぶ経ってからテレビ屋だったことも触れられる。死んだら放映していい、と言われながら今回封切りとなったのはどういう事情なのか、それも触れるべきである。そこまでは鶴瓶も禁止はしなかったのではないか。最初に「死んでからな」と念を押されているのだから、公開となった事情は明かされないとおかしい。

間あいだに鶴瓶の名言が、墨痕あざやかな書体で大写しにされるのだが、見事過ぎて何が書かれているか分かりにくい。書道字の字幕を付けてほしい。
ナレーションが香川照之だが、最後までだれだか分からなかった。2カ所、言葉のイントネーションでひっかかるところがあった。最初の言葉は忘れたが、東京風に言うところを語尾を上げて関西風に、次が「癇癪玉」の「かんしゃく」という落語のタイトルで、こっちは頭を高く発音して、そのまま語尾へ低く発音していた。標準語では「く」は心持ち音を上げる感じがある。

 

59 ぼくたちの家族(D)

川の底からこんにちは舟を編むバンクーバー朝日石井裕也監督である。脳腫瘍で記憶が途切れる母親(原田美枝子)が家族をまた一つにしていく物語。ある種の軽さがこの監督の持ち味だが、重くなりがちなテーマをうまく処理したという感じである。ただ記憶障害をうまく利用したといえなくもない運びになっている。早めに症状を出したり、長男(妻夫木聡)が余りにも手際よく対処したりできすぎの感があるが、了としなくてはならない。意図的にやっているからである。父親長塚京三、弟池松壮亮。しつこく可能性のある医者を探したことが吉と出た物語。

 

54 イエローローズ(S)

アメリカ生まれのタイ少女がカントリ歌手へと成長していくそのとば口を扱っている。写し方ですごくきれいに見える。体格も立派で、顔のあどけなさと開きがある。保守的なカントリー歌手とのいざこざがあればもっと感動的なのだが、みんな彼女を受けいれる。作る曲はあまりカントリーっぽくない。

 

55 プロミシング・ヤング・ガール(T)

キャリー・マリガンはいい役を見つけたのではないか。かわいげだったのが、同時に怖い感じも身にまとった。スタイルがいいので、びっくりした。ハッピーエンドか、と思っていると、なんだかそのあとがダラダラする。そうか、と次なる展開を思いついた次第。まさにそのようなエンディングとなった。女性監督エメラルド・フェネル、これが長編第一の映画。製作にマーゴット・ロビーがいる。しかし、彼女が性的に誘った男たちは、間際に拒否されて誰も暴力沙汰に及ばなかったのか。そして、彼女もまた相手を押しとどめるだけ。安易としか言いようがない。手錠の件は、ちょっとね、である。

 

56 トルークライム(S)

再見、イーストウッド監督である。冤罪もので、「ミスティックリバー」「リチャード・ジュエル」も同種の趣向。黒人(ビーチャム)が犯人とされるが、新聞記者が死刑執行日に冤罪を晴らすという映画。最初の10分ほどで手際よく劇の大枠を描くのはイーストウッドお得意のところである。テレビ放送で死刑に使われる薬の種類、量が報じられるのはアメリカらしい。ビーチャムがイーストウッドに無罪をいわれたときの口を空けたまま看守たちの雑談のシーンに切り替わり、またその口ぽかんのシーンに戻るという変なことをやっている。まだ演出に雑味が残っている。イーストウッド共和党支持者だから保守派と考えるのは、この映画を見ても間違いであることが分かる。まったく黒人への偏見など感じ取ることができない。

 

57 イヴの総て(D)

1950年の作品で、いろいろな賞を獲っている。ザナックがプロデュース。主演が40代の名女優役のベティ・ディビス、その座を奪おうとするイヴを演じたのがアン・バクスター。若きモンローも出ているが、目線がおかしく、素人っぽい。イブが最初から企みをもっていたことが後で分かるが、彼女の秘かな野望をマーゴが嗅ぎ取るのが、ハリウッドに行った恋人ビルからの電話。イブから毎日のように手紙が来ている……。

分からないのは、マーゴの友人カレル(セレステ・ホルム)にイヴがマーゴの代役を頼み、マーゴとビル、カレル、その夫ロイドと車でどこかへ向かうシーン。ガス欠になり、ロイドがガソリンを手に入れるために出て行く。数日前に補充したばかりなのに。どうもその日がマーゴが立ち稽古をする日だったらしく、遅れて着く間、イヴが代役を務め、関係者にその力量を知らしめたようだ。カレルは共犯者だったことで後でイヴに脅されるが、そこでガス欠事件のことが明かされるわけである。しかし、なぜにそこまでカレルが肩入れするかが分からない。誰にでも愛されるイヴではあったのは確かだが。主なる登場人物ごとに本人のナレーションが入るかたちで話が進む、という不思議な作りになっている。

 

58 狂猿(T)

葛西淳というプロレス・デスマッチのレスラーのドキュメント。狂い猿かと思ったら、キョウエンと読む。試合や取材には左目に義眼を入れている。
剃刀を立てて板に何十と張り付け、それをロープに立てかけておき、対戦相手の衝撃で飛ばされた時にその刃に背中が切られる。蛍光灯で殴ったり、剃刀で相手の額を切ったり、ものすごく高いところから相手目がけて飛び落ちたり、この47歳は過激である。
頸椎と腰痛でリングに立てなくなった間を撮り、やがて復帰して何戦か戦う姿を追っている。とにかく見ているだけで怖い。そこまでしても食えないというし、子どもはまだ小さい。帯広に住むお母さんは優しそうな人で、それは息子にも遺伝している。プロレスなどまったく興味がないが、そこでしか生きていけない男たちというのは魅力的である。奥さんがとても普通の人で、どこで知り合ったのか知りたいところである。

  

59  オキナワ サントス(T)

1943年に突然、ブラジルに移住し生活していた日本人に収容所への移送が強制される。彼らはサントスという港町に降り、そこに根を下ろすことで、いずれはまた船に乗って日本へ戻ろう、と考えていた。だから、もっと別の土地へ、という選択肢にはならなかった。

命令が出て、翌日には着の身着のままで列車に押し込まれ、収容所へと運ばれる。食料はごく僅かなものしか与えられない。家に残してきたものは掠奪される。彼らに浴びせかけられた言葉は「スパイ」。母国が繰り広げた侵略行為と国際連盟からの脱退などのニュースのたびに、海外に生活の基盤を求めた人々に強い負荷がかかる。

日本人のブラジル移民は現地で比較的好意的に受け入れられた、というイメージを漠然ともっていたが、この戦時の収容もそうだが、戦後、日本は戦争に負けたのか勝ったのかで日本人同士で殺し合いまでに至った経緯は(100人近くの死者が出ている)、ブラジルの人びとに嫌悪感を抱かせたらしい。新憲法に日本人の移民だけは認めないという一条を入れる動きがあったらしい。日本人の謙虚な振る舞いも、周辺の人には何か企んでものを言わないだけと見られたようだ。憲法に特定の民族の排斥をうたうのはおかしい、という議員の声もあって、その動きは撤回されたようである。ちょっと気になったのは、日本人同士の殺し合いをテロと呼んでいることである。かつてゲリラと呼ばれたものもテロと言いかえる動きもあるが、同国人同士の諍いをテロと呼ぶのは違うだろう。

サントスには沖縄出身者が多かったという。その沖縄人を本州出身者が差別し、コミュニティセンターのようなものを作るにも、両者で別々に作るようなことが行われていた。そのあたりのことも、生存者たちのインタビューから分かってくる。

 

60 ボーンコレクター(S)

3回目か、意外と小品だな、という印象である。デンゼル・ワシントンが半身不随になり、自殺願望を持っていることが描かれ、すぐに窓辺に座るアンジョリーナ・ジョリーに切り替わる。手前ベッドで男が寝ている。二人の関係がそれほどハッピーではないことが分かる。ジョリーは警邏巡査なのか、青少年の防犯課に移る気持ちでいる。そこに異常な事件が発生し、デンゼルの推しもあって巻き込まれていく。デンゼルの看護をする太り気味の女性が味がある。嫌われ役の本部長もいい。古い俗悪推理ものをなぞって犯罪を犯す、というアイデは面白く、その殺しに相応しい現場を選ぶというのもいい趣向だが、知的にもデンゼルに復讐したいという感じがいま一つ伝わってこない。

 

61 アジアの天使(S)

石井裕也監督・脚本である。ちょっとこの映画はひどい。何を撮りたいのか、本人も分かっていないのではないか。子連れの弟(池松壮亮)が韓国でビジネスをする兄(オダギリジョー)を訪ねる。目的の部屋に兄はいず、韓国人が一人いて、不法侵入者に食ってかかるのは当然だ。その間、けっこう長い時間を使うが、兄の名前一つ出せば意図は通じたはずだ。作家だというが、そういう機転も利かない間抜けである。

兄は何につけいい加減な人間らしいが、そんな人間に韓国語もできない男が小さな子を連れて渡韓することがおかしい。兄の対応のいい加減さに怒るが、怒る方が悪い。韓国コスメを輸出して儲けて月に100万儲けているというが、倉庫めいた事務所での寝起きである。そこを疑わないのは阿呆であろう。

韓国人パートナーに裏切られたがワカメ事業があるといって、その現地へ行くことに。電車のなかで、デパートで見かけた女性(チェ・ヒソ)に出会う。兄(キム・ミンジェ)と妹(キム・イェウン)と一緒で、墓参りに行く途中。彼女は元アイドルで、いまは再起の最中だが、デパートでは聞き手は数人、館内放送がかかると歌は中断しなくてはならない。そのデパートの地下なのか、別の地下なのか、サングラスをかけた彼女が酒を飲んで泣いているのを、池松が見つけ、声をかけるが、日本語は通じないから無視される。その間、デパートに一緒に来ていた兄や息子のことはほっぽらかしである。親として問題ありでは。

兄は彼らを誘い、宿代を出すから一緒に行こう、と言う。言葉が通じないから、コミュニケーションは当然、深まっていかない。お墓を守っている叔母の家に泊めてもらうが、そこの娘に兄は惚れたらしいが、翌日にはそのことはまったく触れられない。
最悪は、意を決して自分の思いを女性に伝えようとしたときに、彼女は韓国語で「運命の人に会ったのかな?」と言うのに、池松は突然息子を探しに部屋に行き、いないことに気付き血眼になって探すことに。なんなんでしょうか、この展開は。

女性が浜で見かけるしょぼい中年の、腰蓑だけの天使は何の悪い冗談か。その浜辺で、「まだサランヘではないが、それに近い気持ちです」と弟は泣いて訴えるが、ならサランヘになってから言えばいいのではないか。それほど、ガンで亡くした妻のことがいとしいのであれば。

最後、兄はどこかへ旅に出るといい、日本へ帰るはずの弟と息子はなぜかそのまま女性家族の部屋に行き、そこでみんなで食事をするところで映画は終わる。もちろん会話など交わされない。

ただ言葉の通じない人間が一緒に移動しました、というだけの映画。「新聞記者」もそうだったが、言葉の通じない状況を扱うなら、それなりの理由があるべきである。石井監督というのは、こんないい加減な映画を撮る人なんだ。

 

62 愛と希望の街(D)

大島渚という監督は下手な監督だと思っていた。見たのは「愛のコリーダ」「日本の夜と霧」「新宿泥棒日記」「戦場のメリークリスマス」だけだと思う。どれもいいと思ったことがない。「青春残酷物語」の性的なアリュージョンのポスターは小さい頃まちに張られていたのを覚えている。スクリーンの桑野みゆきをまともに見られないのはそのせいである。

この映画はよく出来ている。場面展開が早く、一つのシークエンスは数分と続かないのではないか。俯瞰の映像は2カ所だけ。主人公の少年まさお(藤川弘志)と一緒に長屋の不良と喧嘩した女子高生京子(藤原ユキ。発音が中尾ミエに似ている。語尾が丸くかすれる感じがある)が家のドアを空けて、「ねえみんな見て」と泥だらけのワンピースを見せるシーン。ここはとてもいい映像だ。左の部屋から兄(渡辺文雄)が飛び出してくるが、それも絵的にいい。もう一つは、少年が女子高生の父親が重役を務める会社の入社試験を受けるところ。

冒頭の急迫の音楽がその試験のときに流れる。もう一か所、ラスト近く、少年がハトの箱を鉈で壊すシーンでバイオリンだかの静かな音楽が流れる。緊迫の場面には静かな音楽を、という黒澤理論である。あとは伴奏なしの映画である。

いずれ飼い主に戻ってくるハトを売る少年、ハトやネズミなどの死骸ばかり描く知恵遅れの妹、肺病やみで寝込みがちな母(望月優子)、この家族はとても紐帯が強い。母は息子(中学3年生)には高校に行ってもらい、貧困のまちから抜け出すことを念じている。まちで靴磨きを生業にしている(許可証が要るらしい)。

少年は、母に早く楽をさせたい、働いて夜学に通おう、と思っている。生徒思いの先生(千之赫子ちのかくこ、目力がある)、熱血漢の女子高生、先生に思いを寄せる女子高生の兄が、この家族をめぐる主な人々である。
女子高生はじつに率直な人で、貧乏人は暗い生活をしていると思ったら、あなたのところは違うのね、と言う女である。少年のハト詐欺を知り、そのハトを兄に撃ってもらうことで、彼女の熱情の限界も見える。
先生は目をかけていた少年がハトの詐欺を働いていたと渡辺に教えられ、一時は不信感をもつが、そのまま少年の家に行くことで、仕方がなかったのだと思い直す。「また別のいい就職先を見つけるわ」と言って出て行く。渡辺とは、やはり付き合い続けることができない、と断る。

ハトを売って稼ぎが出た少年は横に座る靴磨きのおばちゃんに施しをする。少年が靴磨きをしていると警官が来て、許可証がないなら立ち退きな、と言いおいていなくなる。そのときに、横のおばちゃんがちゃりんと空き缶にお金を入れてくれる。このあたりの細かさも必要である。

場面の切り換えで多用されるのは、モノの拡大である。まちの雑踏からネズミの死骸へ(妹が持っている)、女子高生が先生に「父に採用試験の話をしてみます」と言うと死んだハトを持つ母親の映像へ、先生が渡辺の会社へ採用枠拡大を頼みに行ったあと豚肉のステーキへなどなど(女子高生の家の晩餐)。安易といえば安易だが、スピード感が出るのと、何かざらざらとした感覚が残る。

ひとつ面白い演出は、初めて先生と渡辺が港の見えるレストランで食事をするシーン。カメラが二人を横から撮っていて、遠くにぼんやり見える船に寄っていき、そのまま退いてくると食事は最後のデザートのメロンになっている。おしゃれである。

大島作品の初期のものを見てみるつもりである。