初めての川島雄三

kimgood2007-12-16

*煮え切らない男
これからおずおずと川島雄三の映画について思いついたことを書き記していこう。まだ数作しか見ていないので、何を言おうにも根拠がなさ過ぎるが、それでも自分用のメモとして残しておきたいと思う。
昨年の秋に京橋のフィルムセンターで川島特集が組まれ、大変な人気だったという。ぼくは「洲崎パラダイス」を見たかったのだが、日にちを間違えて「昨日と今日の間」というつまらない映画を見るはめになった。鶴田浩二が青年実業家で淡島千景がその恋人という設定の映画である。


ぼくが今まで見たのは「昨日と今日の間」(54年)「愛のお荷物」(55年)「わが町」(56年)「洲崎パラダイス・赤信号」(56年)「風船」(56年)「幕末太陽傳」(57年)「女は二度生まれる」(61年)「しとやかな獣」(61年)「雁の寺」(62年)「「喜劇 トンカツ一代」(63年)である。川島は松竹が出発で、のちに日活に移っている。上にあげたなかでは「昨日と今日の間」が松竹で、「愛のお荷物」が日活第1回作品である。「雁の寺」は大映である。


川島が自作を解説した「川島雄三 乱調の美学」という本があるが、どれをとっても腐すばかりで、たいていはプログラムピクチャーで、仕方なし撮ったようなことを言っている。これを真に受けると川島作品を曲解することになる。川島はそう単純な監督ではない。なにしろ「洲崎」を撮った監督である。


川島は小津や成瀬のような一流の監督になりたかったが、そうはできなかったという思いが強い監督である。彼自身、自分の作品を決して褒めない。そんなに完全主義者なのか。そうではなく、俺は金と時間を十分に与えられれば、それなりの作品を創り出すことができた、と言いたいのであろう。
しかし、映画会社はそうは見ていないのである。あの黒澤にして「椿三十郎」は当たらないだろうということで他の映画と抱き合わせ放映だった。実績も人気も十分の監督だが、そういう仕打ちを会社はするのである。あるいは、すでに巨匠となっていたマキノ雅弘が「次郎長三国志」を撮っているときに、出演者の1人、加藤大介を黒澤が欲しがっているから急ぎヌケさせてくれ、と映画会社に言われ、発憤して売れる映画にしたという話もある。
川島にもこんな話がある。大庭秀雄が断った映画を会社幹部が、川島にでもやらせろ、と言ったのを目撃している映画人がいる。
よほどの根性と度胸と美学を持っていないと、思い通りの映画なぞ撮っていられないのである。まして芸術的なものなど、さらなり、である。しかし、事は芸術に限らず、この世の中、自分の思い通りのことをすると、お客が逃げるというのが通例である。どこか“俗”な部分を取り込まないと立ちゆかない、というのが道理のようである。黒澤、成瀬、木下、溝口、小津、いずれも客を呼べるから会社が撮らせてくれたのだ。


閑話休題。それでも器用に撮ることができるから川島は何十本と世に送り出すことができたのである。しかも、それなりに芸術的な演出をすることもできたのだから、多としなればならない。彼の映画が乱調になるのは、会社の論理と自分のやりたいことのせめぎ合いがあるからで、たとえば「今日と昨日の間」のような爽やかな青年実業家を扱った映画でも、冒頭から変な写し方をする。画面に鶴田浩二が映っていて、それが引きの映像になると本物の鶴田がそのビデオの説明をしている、という工夫がしてある。面白いことをするなあ、と思うものの、あとは平凡に筋が展開するだけである。会社の命令で撮ったけど、少しはやりたいことをやった、ということか。ぼくは、それでいいじゃないか、捲土重来、いつか機会を見つけて思いっきりやればいいじゃないか、と思う。せっかく鶴田と淡島で客が来るのだから、楽しませてなんぼ、である。嫌なら最初から断ればいいのである。


稲垣浩が「ひげとちょんまげ」というエッセイで、映画会社が興行へ引っ張り、監督が芸術に引き戻す、それが映画の発展を促した、といったことを述べている。戦前、戦後と活躍した稲垣はフィルモグラフィーを見る限り、興行的な監督に見えるのだが、その彼にしてこの弁である。川島の嘆きは普遍の嘆きなのである。


*「愛のお荷物」
この映画、冒頭に加藤武のナレーションが入り、日本は人口急増で将来が危ぶまれる、という。声の調子、語りの調子が、むかしの映画興行でなじみの“今日のニュース”のマネである。まじめとシニカルを取り混ぜた調子で、この映画の特徴がすでに出ている。その時点での人口が8700万人と言っている。「愛のお荷物」というのは赤ん坊のことで、これもシニカルな命名である。


一転、国会の討論風景になり、厚生大臣山村聡産児制限の説をぶつ。それに女性議員が舌鋒鋭く質問する。それがなんと菅井きんなので、びっくりする。この映画はとにかく人の出入りが激しく、それを見事にこなして無理のないところは、さすがという感じである。
それにしてもふざけた設定で、産児制限を声高に唱える山村聡の妻が48歳で妊娠するのが、騒ぎの発端である。轟夕起子が妻役を演じて、妙に愛嬌のある、ほのかなエロスも見えて、「洲崎」の一杯飲み屋のおかみの風情と通い合うものがある。川島がどういう意味合いで彼女を使ったが分かる気がする。
山村聡の長男三橋達也の恋人は山村の秘書で、これも妊娠。男性秘書は小沢昭一、これも妻が妊娠。なかなか子宝に恵まれなかった山村の長女も妊娠、大阪のお坊ちゃん(フランキー堺)と結婚予定の次女も妊娠。山村はもとは薬種商で、その番頭格(殿山泰司)も女中を妊娠させる。本当に妊娠したかどうかは、カエルの卵巣を使って調べるというのだが……?


家庭内のスッタモンダを外からガラス越しに無音で撮るシーンが効果的である。全体に騒がしい映画なだけに、この演出は利いている。


最後に、山村は防衛庁長官に転じるが、長男は家族を前にひとくさり平和論をぶつ。その際に、家族が大事な話を聞くとでもいった殊勝な様子なのが、演出のし過ぎ。川島は社会派風な様子を見せることがあって、「しとやかな獣」の家長はやはり防衛庁との良からぬビジネスを企んでいるし、飛行機の爆音を聞きながら「安保」がどうのという発言をする箇所がある。
「風船」という作品では京都で何のデモなのか、ややしつこいくらいに追っている。「女は二度生まれる」は舞台が靖国神社の近くで、川島いわく、靖国批判を盛り込んだのに、ほとんど誰も気がつかなかった、という。ぼく自身、靖国をどう描くか興味があってつぶさに見たが、それと気づかなかった。「愛のお荷物」でも、なぜ防衛大臣に転身させる必要があったのか、釈然としない。取って付けた、という印象である。川島の社会派風というのは、映画の味付け程度のことと言っていい。


*「わが町」
フィリピンで英米人が成し遂げられなかった難事業の道路舗装を完成させたのがターヤンこと辰巳柳太郎。薄給で苦労も報われず、生まれ故郷の大阪に帰ってくる。そこまでを絵物語とナレーションで処理し、大阪の俯瞰でタイトルが出る仕組みになっている。
懐かしの大阪に戻ると、渡航前に一夜を契った女(南田洋子)に子供ができている。女はすぐに病で死に、ターヤンは男手ひとつで娘を育てる。その娘が年頃になり、気弱な男と結婚する。ターヤンは男の根性を入れ直すために、フィリピンでひと旗挙げてこい、と嫌がる娘婿を送り出す。その波止場のシーンで、娘が妊娠していることをターヤンは知らされる。しばらくすると娘婿は風土病で客死。そのショックで娘も死に、またしてもターヤンに赤ん坊が遺される。
その娘君枝(これも南田洋子)が長じて、久しぶりに会った幼なじみの三橋達也と恋仲になる。三橋は潜水夫で、マニラに行って、日本人の力量のすごいところを見せようと考える。ところが、君枝に子供が宿っていることを知って、三橋はマニラ行きを躊躇する。それを不甲斐ないとターヤンはどやしつける。結局は、お爺ちゃんを元気づけようと三橋はマニラ行きを決めるが、そのときにはターヤンは南十字星を見に行ったプラネタリウムの座席で静かに死んでいた。


因果は回るというか、海外雄飛が不吉な輪廻を描く大きなポイントになっている。ターヤンにとっては夢の地だが、それに引きずり回される家族にとっては災厄の地でしかない。ターヤンは日本では車引きで、娘の亭主候補と駆けっこで負けて、その結婚を認めたり、孫が運動会の障害物競走で優勝したのを喜んで男泣きしたり、映画「無法松の一生」を想起させる。ターヤンも松も車引きで、同じような破天荒だが憎めない喧嘩好きの男だが、松は独り身なので罪はターヤンより少ない。孫の君枝がタクシー会社に勤めているという皮肉が利かせてある。車引きという商売が下層のものだったことは明記しておくべきだろう。それを主人公にした「無法松」も立派だが、「わが町」も立派である。


ターヤンの身を何かれとなく助けるのが、隣に住む殿山泰治、これが何ともいい味を出している(竹中直人がタイちゃんを演じた「三文役者」は見ものである)。仕事は落語の前座である。舌が回らなくなって、ターヤンの車を盗んで車屋をやるのも、殿山らしい。同じ長屋の北林谷栄も親切である。路地に住む人の細かい交流を描いて、全体に浮ついたところのない、いい作品である。絵もしっかりしている。織田作之助原作である。「愛の荷物」と「わが町」が同じ監督の作品とは思えない。同年に「洲崎」を撮っているので、川島先生、抑制した演出でいこう、と決めて撮っている感じである。ただ、時折、アップで辰巳の表情を捉えると、わざとらしい表情をつくるので、げんなりする。これは俳優へのサービスだったのか。


ぼくは「暖簾」という作品をつまみ食いでしか見ていないが、大阪の昆布を扱う商人の一代記だが、その淡々とした撮り方は「わが町」と共通したものである。しかも、川島の反戦意識みたいなものが、息子を戦地で失い自暴自棄になるところに表現されている。のちに触れる「女は二度生まれる」は(靖国神社の場面)「風船」(京都のデモ行進の場面)などにもちらっとそういう場面が出てくるが、「暖簾」ががいちばん強くそれを打ち出している。


これは当てずっぽうだが、川島のピークはこの作品と「風船」「洲崎」「太陽傳」を撮った56年から57年あたりではないだろうか。喜劇の系譜もあるのだが、それはそれで考えなければならない問題である。


*風船、という作品
大佛次郎新聞小説をもとに今村昌平と川島が脚本を書いている。助監督今村が脚本で初めてクレジットされたもののようだ。音楽が黛敏郎、衣裳が森英恵である。役者も豪華で森雅之三橋達也、新玉三千代、二本柳寛、芦川いずみ、北原美枝。「洲崎」はこの映画と同年、次作である。初顔合わせの三橋、新玉が「洲崎」でまたしても組むことになる。それにしてもよくもまあ次から次と撮らされたものである。

でも、出来のいい映画で、きっちりとした構成は原作に負うところが大きいのか、あるいは今村の功績なのか。ときに京都が舞台になるのだが、その映像の美しいことと言ったら。京都はやはりモノクロが似合う町ではないだろうか。とくにラストの宵山の裏路地の光景は、心に染みてくる。あるいは、東京から横浜にタクシーを飛ばすときに、深夜の霧に埋もれるどこかの橋を写すが、それも美しい。川島の映画で、いい絵だなと思うことはそうないのだが、この映画にはいくつかそういうシーンがある。


取り立ててどこがいいという映画ではない。全編、とても無理なく進行して、納得のいくラストまで持っていく手腕は、もうベテランといった風情である。このラインで最後までいければ、川島雄三、相当の評価の監督になったのではないか。相当というのは小津とか成瀬とかそういったクラスということである。お客への変なサービスもないし、変な演出でけれん味を出すこともない。本人はこれはこれで不満かもしれないが。


ちょっといただけないのは、家長森雅之の次女が自分の部屋に兄の恋人、新珠三千代を導き入れ、自分の内面には悪の部分がある、と言うシーンで2人の後ろの壁に両目が空洞のマスクが飾ってあるところである。そんなことしなくても、という感じである。


*だめ男映画の系譜「洲崎パラダイス」
「洲崎」を語る順番がやってきた。川島は「太陽傳」よりこっちがいい、と言っていたそうで、ぼくもそれに賛成である。余分なものが一切なくて、必要なものだけでできているのに、余裕がある。三橋達也新珠三千代が食いっぱぐれて、もといた洲崎へと舞い戻るが、その入り口の際にある居酒屋で女は職を得、男はそこのおかみの紹介でそば屋に職を得る。そのぎりぎりで淪落を免れた男女が、それからどうなるのかが、映画の主題である。


最初はどこかの大橋のシーン(隅田川にかかる勝ち鬨橋らしい)。向こうに背中を向けている男がいて、女はこっちからタバコを買って道を渡って男のところにやってくる。どうするのさ、どうにもならないぜ、男なら何とかしてよ、うるせえ女だなどっかに行っちまえ、と会話が進み、女はその言葉通りに男を置いてちょうどやってきたバスに乗り込んでしまう。男はそのあとを追い、降りた先が洲崎というわけである。


あとは女が囲われ者になったり、男が奉公している店から金を盗みそうになったり、いろいろなごたごたを経験しながら、結局はもとの鞘に戻って、初めの大橋のシーンになる。今度はあんたが行き先を決めてよ、俺が決めていいのか、とよりが戻ってエンドである。


これも何がいいという映画ではない。自堕落でどうしようもない、好いた同士の男と女のあれこれを描いただけの映画だが、まさしく映画である。女を囲うラジオ屋、洲崎の若い女郎を苦界から助け出そうと考えている純情な男、だめ男に思い入れがあるそば屋のかれんな勤め女、そして旦那に男ができて捨てられた洲崎入り口脇の女店主、どれを取っても特別な人間はどこにもいない。それらが必然のように絡まって劇は進んでいく。


洲崎はいまの東陽町で、54年にはカフェー220軒、従業婦800人の規模で、58年に赤線が廃止されるまで賑やかに営業をしていたらしい。もともとは根津にあった遊郭が東大ができた関係で洲崎へと移転したのが始まりらしい。川島が映画を撮ったのが56年で、洲崎橋のたもとの実際の店を使って撮影したらしい。


日本映画にはだめ男がモテる、という系譜があるように思うが、どうだろう。過去を見れば、江戸時代には近松の「心中天の網島」の紙屋治平衛がいる。あるいは、お岩さんに呪われる田宮伊右衛門もだめ男の先輩格である。明治から始まる自然主義の作品の主人公にはこういうのがかなりの数、登場するのではないかと思う(調べたわけではなく、当てずっぽうで)。もっと遡れば源氏の君だってそう立派なお方には思われない。そういう軟弱系の男がもてる系譜が確かにありそうだ。外国でもそういうことがあるのか詳らかにしないが、いまの時点では日本独特のものと言っておこう。
ぼくが知っている範囲の映画では「浮雲」「夫婦善哉」そして「洲崎」である。戦前にはもっとこの種のものがあったのではないかと思うが、いまだ勉強足らずで、たしかなことは言えない。いずれ佐藤忠夫氏の記す3巻本の映画史をひもといて、探索の鍬ををもっと深く打ち込んでみよう。佐藤氏の名を出したのは、彼にはめめしい「泣く男」の系譜をたぐった著書があったからである。


この映画では洲崎入り口脇の客が3人も入ればいっぱいになるような居酒屋の女主人を演じた轟夕起子がいい。夫は女を連れて出奔、小さな子供2人を抱えて憂き世渡世に余念がない。しかし、その丸いぽっちゃりした顔には邪念が一つもない。実際に突然転がり込んできた風采の悪い2人組に仕事の世話をしてやるほど好人物である。彼女にはむごい仕打ちをした夫をひそかに待っている様子がある。筋も半ばを過ぎたあたりでその夫が着流しのよれよれでひょいと顔を出すと、早くお入りよと難なく受け入れてしまう。見事な演出だなと思うのは、もう翌日からほつれ毛の目立った頭もちゃんとして、顔には薄化粧が施される。妙に色っぽいのである。夫もやくざ風だが実直な感じもあって、それを一見してそう感じさせる役者さんである。
これで家族も一つだ、安心だ、と安堵感が漂った途端、一緒に逃げた女が舞い戻り、近くの公園の脇で刺殺するどんでん返しがある。この暗転の早さが憂き世のはかなさを浮き立たせて絶妙である。その事件がきっかけで、いままでふらふらと漂うばかりだっただめ男と気丈な女の気持ちがすっと寄ってラストのシーンへと繋がっていく。


幕末太陽傳への違和感、そして「女は二度生まれる」
ぼくはなぜ「幕末太陽傳」(57年)の世評が高いか分からない。芸術性と娯楽性がほどよくマッチしていて、川島を褒めるには一番手頃な作品かもしれないが、主人公のフランキー堺が、あちこち立ち回って、ちょちょいとトラブルを解決するのが、浮ついた感じで、真実味がない。元ネタは落語「居残り佐平次」だそうだが、たしかにその種の調子のよさが付きまとって鼻につく感じである。まして石原裕次郎高杉晋作の役では不釣り合いで、鼻白むばかり。人気取りの配役ではないのか。


ラストの墓場のシーンも、太陽傳にふさわしからぬ終わり方で、もっと軽快にいかなかったものか、と思う。川島一流のてらいが、こういうラストを用意させたのかもしれないが、首尾一貫しないことは明らかである。


ぼくはフランキー堺という役者を見るたびに、気分が落ち着かない。森繁、三木のり平と「駅前」「社長」シリーズで共演したフランキーを見ても、育ちのいい坊ちゃん、あるいは目端の利いたサラリーマンという役柄が多く、ほかの役者はそれなりに与えられた役に収まっているのに、フランキーだけはいつも寄る辺ない感じが付きまとう。世の中を小器用に立ち回る人間──そういったキャラクターなのである。しかも、女にはモテるという設定がほとんどで、あの風貌からいって、そりゃないよ、と思うのだが……。


ところが、川島は「女は二度生まれる」(61年)でフランキーの落としどころをきちんと見つけたように思うのだ。DVDのおまけに予告編が付いていて、そこでは「若尾文子フランキー堺、初の共演!」を一つの見せどころとして宣伝をしている。しかし、実際にはフランキーはちょい役で、寿司屋の板前がなじみの客に連れられて芸者遊びをしたところ、そのお座敷に出ていた「こえん」という名の若尾と知り合い、一夜を共にする。ふだんの稼ぎでは到底、そういう遊びはできない、と言うフランキーの店に若尾はちょくちょく顔を出して、誘いをかける。一度はおとり様に二人でデートをし、そのあと上野の曖昧宿にしけ込むが、もう一つフランキーは本気ではない。しばらく間があいて若尾が店に顔を出すと、フランキーは子連れと結婚して信州に引きこもっているという。


いちおう女にはもてる役だが、パツとしない役どころである。若尾が年下の青年と信州の叔父のところにふらりと出かけたときに、列車で子連れのフランキーを見かけるシーンがあるが、そそくさと彼女の視界から逃げるようにいなくなる。フランキーというのは、本来、そういう市井のごくふつうの生き方が似合う男だったのではないか。それがジャズをやっていたとか、その風貌などから、別の人格を求められて、無理な役柄を演じていたのではなかったのか。
小林信彦御大は、フランキーは「幕末太陽傳」で燃え尽きた、みたいなことを言っているが、ぼくは素に戻っただけではないのか、と思うのだ。


ついでに「女は二度生まれる」という作品について触れると、次から次と男を変える不見転(みずてん)の女の様子を描いて、奇妙なことにさわやかな印象であり、しかもたるみの一つもない見事な展開の映画である。プログラムピクチャーか何か知らないが、これ1作だけでも川島雄三の力量が分かろうというものである。ぼくの好きな山茶花究が出ている。


ささいなことだが、山茶花究が客で混雑する寿司屋に入って、「まずこはだを切ってくれ」と言うシーンがある。いまなら「おつくりに」か「刺身で」と言うところだろう。世俗どっぷりで撮った映画は、こういった時代の匂いがしてくるのがいい。小津の映画でも料理屋の一室で、仲居を呼ぶのにブザーを押すシーンがある。病院のベッドで看護婦を呼ぶ際に鳴らすあのプッシュ式のブザーである。ちょっとした料亭ならこんなことはしないはずで、小津の主人公たちが通う店は、せいぜいそんなクラスだというのが分かる。


山村聡があまり羽振りの良くない建築設計家の役で、こえんを2号として囲うことになる。彼女が映画館でたまたま出会った青年を旅館に誘い込んだのを知って激怒、包丁を畳に突っ立てて、今度またやったら、おまえを殺してやる式の脅しをかける。品のいい山村がこんなすごみを利かせるのが珍しく、いろいろと芸域の広い人だったのだと思い直しをさせられた。


ラストが信州のどこかの駅の待合室、そこで列車待ちをするこえんを外から撮ってエンドである。唐突のようだが、こういう人生をはすっぱに生きる女にはふさわしいエンディングである。それにしても、若尾文子は得難い役柄である。あれだけ男を取っ替えひっかえしても、悪意が残らないのである。


*しとやかな獣=家族ゲームの原型?
川島が意欲作を撮っている、「しとやかな獣」である。62年の作である。驚くほどの実験的な作品で、これがコケたのはよく分かる。ぼくはこの映画に、森田芳光家族ゲーム」のヒントがあったのではないか、と思っている。傍証はいくつかある。
たとえば、室内劇という設定。そのスペースの狭さから来るカメラワークの制限と工夫。
部屋の外でつねに鳴っているヘリや自衛隊の練習機の爆音。少し話が逸れるが、川島には爆音への執着のようなものがあるように感じられる。たしか「州崎」にも一カ所、爆音で空を見上げるシーンがあったような気がする(要確認)。「州崎」と同年に撮った「風船」では、珠子という娘が兄の恋人で自殺未遂を犯した久美子という女に自分の画帳を見せたところ、そこに飛行機の絵が描かれていたことで、爆音が被さってくる。別にそんなことをしなくてもいいシーンなのに、である。
ドラマがすんで、左右の部屋に別れ、のんびりする家族。左の部屋では娘と息子が、右の部屋には両親が。息子は腹ばいになって週刊誌か何か読んでいる。そとで救急車の音がして、妻がベランダに覗きに行く。ふと後ろを見ると、ソファの夫はすでにうとうととまどろみの中にいる。妻はそれにじいっと見入る。「家族ゲーム」では2人の息子は部屋で死んだようにまどろみ、居間で趣味のクラフトエビングをしていた妻もうたた寝を始める。そこにヘリの爆音が通奏低音で鳴っている。このあたりの弛緩した、破局をどうにか回避したあとの平和な感じのテイストが、両作とも酷似しているのである。


この一家はどこか悲惨な境遇から抜け出して、やっとどうにか安穏な生活を手に入れた、という設定になっている。家族がもめたときに父親(伊藤雄之介)が「あんなどん底の生活にまた戻りたいのか」と言うところは、ものすごくリアリティがある。この映画は脚本が新藤兼人である。
出だしはアパートの一室を外から撮った絵で、能の急な鼓と謡いの掛け合いとは正反対に、部屋のなかでは何やら後片付けみたいなことをやっている。背の低いテーブルを夫婦で隣の部屋に下げたりしている。このアンバランスは何か、と引き入れられるとともに、能を使った以上は何か様式美のようなことをやらかすのではないか、という予感が走る。


それは案の上で、夫婦で言葉もなく暗い部屋でたたずむシーンや、アパートの階段を白黒だけのトンネルのように撮すところや、子供ふたりがテレビのゴーゴーダンスに合わせて夕闇を背景に踊り狂うところなど、絵的には岡田喜重並の出来である(といっても岡田作品をそれほど見ているわけでもないのだが)。外から部屋を撮って、風にカーテンが翻弄されているので、室内が見えない。そこに急迫の鼓と能のセリフが流れ、やがて女の声がかぶさって聞こえてくる。このシーンは、絶品の出来である。川島はここを撮りたかったのではなかったのか。急迫な能のリズムは、この映画のあちこちで鳴っている。


この家族はとても奇妙な家族で、父親は元海軍中佐で、いくつものビジネスに失敗した経歴。母親はあくまで計算高く、言葉が徹底して丁寧なことが不気味である。山岡久乃が演じている。「女は二度」では山村聡の冷たい妻を演じていた。長男は会社で使い込みをし、その金の一部を家にも入れている。経理の子連れ女と共謀してやったのだが、その女は社長とも、支払先とも、それに税務署員ともよしみを通じていて、すべての金が自分の懐に入る仕組みを作り、しまいには自前の旅館を立ち上げる。それを若尾文子が演じている。残りの長女は、バー勤めのあと、親公認で作家の2号さんに収まっているが(作家は山茶花究である)、親たちは娘に旦那から金を絞り取るようにそそのかす。まともな奴が一人もいない、それがこの家族である。


室内劇は難しいのはもちろんだが、半ばは成功し、半ばは失敗した、というのがこの映画へのぼくの評である。台詞の出来と役者の出来が、決定的である。残念ながら、どっちもほどほどである。とくに長男の下手な演技が災いになっている。怒りをぶつけるのに必ず拳を握るのは噴飯ものである。
筋の締まりのなさを、部屋へとやってくる何人もの闖入者でごまかしてしまうのは、情けないことだ。とくに銀座のママとかいう設定の都蝶々など、まったく必要ない。悪事がバレて辞職した税務署員が訪ねてくるのもおかしい。せっかく舞台を一室に閉じこめたのだから、それを最大限に利用しないと劇は成立しない。
家族ゲーム」には台詞と役者という両方が揃っていたし、外部からやってくる3人の人間(主人公の松田優作、隣人と次男の幼な友達)には来室の必然性がある。次男が名門校に合格するという明確なゴールが設定されていることも、筋に発展性を持たせる大きな要素になっていた。それに次男の通う学校のシーンなど外部の映像を差し挟むことで、映画を外に解放できたことが大きい。夫婦は、深刻な話になると、家では狭いので外に駐車してある車のなかで会話をするという、部屋から擬似部屋への移動という皮肉な設定も利いている。


しかし、である。この映画は一見の価値がある。川島の果たそうとしたものが、少しだけ見えるのである。それは奇しくもヌーベル・バーグとも近似のものだったような気がする。観念を絵にする──いまはそう簡単に要約しておこう。


*「雁の寺」の醜悪なラスト
この映画は白黒で撮られ、大映映画である。映像の構図がよく練られた作品で、醜悪なラストを除けば名作と呼んでいいのでないか、「洲崎」を超える作品になったのでないか、と悔やまれる。「しとやかな獣」で室内撮影の制限からカメラ位置の工夫をしなければならなかったと書いたが、この映画もほとんどが小さな寺の内部に舞台が限られているため、いろいろな角度から絵が撮られている。押し入れのなかから、肥えだめのなかから、仏壇のなかから……といったように。


修行僧慈念が、映画では「おっさん」と呼ばれている寺の坊主を殺してから、やや展開に破調が現れる。ひとの棺におっさんの死体を隠したわけだが、運び人が「異様に重たい」と崩れかかったり、土中に下ろすのに難儀したり、いままでの抑えた演出とはちょっと異質なやりすぎ感がある。この映画をサスペンスにしてしまっては、身も蓋もないことになる。
それに、若尾が慈念の仕業と知ってから気が動転したのか、訳の分からないことを言って、襖に雁の絵が描かれた部屋で狂人のように振る舞うところもいただけない。過剰なのである。
そして、ラスト。一転カラーに変じ、いまや「雁の寺」として人気観光スポットになった、という設定である。外国人も多数見物に訪れ、案内人が小沢昭一という臭さである。思うに、こういうところが川島が一流になれないところで、彼は自分がどういう作品を撮っているのか、基本的に分かっていなかったのではないか。
この作品の山茶花究はモダンな坊主役で、なかなかいい。京都なのに「〜ちゃって」などと言ったり、若い女と真剣恋愛をしているとか、いつもは世知に長けた役が多いのに珍しい。


『喜劇 トンカツ一代』はただの娯楽作品で言うことなし。変な食べ物の発明に凝る三木のり平が怪演で、驚いたりするとピョンと跳んでだっこチャンのようにフランキー堺に抱きつくのには大笑い。


川島雄三映画を見るたびに、ぼくはガス・ヴァン・サントを思い出す。このブログでも取り上げた、あのヘタウマの監督である。手練れの映画があるかと思えば、実験映画の駄作もあるといった振幅の激しさが似ているのだ。それが映画というメディアが強いる一つの典型的な在り方なのか分からないが、洋の東西を問わず金と芸の相克が共通してあることだけは確かである。


※『川島雄三 乱調の美学』再読
上記のブログを書いた後に、川島とかかわった人へのインタビューと自作解説を載せた『川島雄三 乱調の美学』(以下『乱調』)を再読し、いくつかの発見をしたので、それを記していきたい。ぼくの評がそれほど見当違いでなかったことには安堵したものの、川島の吐露する苦い思いを前は受け流しただけだったが、今回は痛切に感じたのが意外だった。彼の失意と自負のうねるような有り様を感得したといえば大げさか。


幕末太陽傳
『乱調』冒頭に川島と関わった人のインタビューが載っているのだが、キャメラマンを務めた高村倉太郎という人が『太陽傳』を評して面白いことを言っている。次に引用する。「佐平次に関してはぼくは今平(※今村昌平のこと)にも言ったことがあるんですが、ぼくはずーっと東京育ちなもんで、あれはちょっと関西っぽいんじゃないかと。佐平次の動き回る姿がね、あれだけ抜け目なく動くのは関西風じゃないかと。江戸っ子というのは非常にすばやく動くんだけどどこか間が抜けているところが一カ所あるんだ、必ず。その間の抜けたところが出てこないと本当の意味の江戸っ子にはちょっとなりにくいという話をしたんだけど」
ぼくのこの映画に対する違和感はこういうとこらからも来ているのかもしれない、と思わせられる意見である。高村はこのあと、ラストの墓場のシーンを挙げ、抜け目のない佐平次が田舎者にコケにされるところでやっと江戸っ子らしくなる、と述べている。ぼくはこのラストにも違和感があるのだが、それは上に記したようにそれまでの調子の良さと趣が違うからである。


『しとやかな獣』
ぼくは川島の実験的な映像について知りもしないのに岡田喜重を出して「ヌーベルヴァーグのような」と表現している。それが、『乱調』での三橋達也のインタビューで、彼は川島のことを次のように言っているのを発見した。
「そういうテクニックの上でもしょっちゅう実験をしてましたね。やっぱり一時代早かった人ですね。だから、あとから出てきた人で斬新なテクニックが評判といっても、そんなことは川島さんが遙か前にやっているということがたくさんありますよね。ヌーベルヴァーグなんかおうですよね」

この作品を川島はこう評している。長いが引用する。川島が創作の秘密を実にストレートに語っている。「興行成績は正月第一週の作品としては最下位だったと思います。自分の作品だからいうのじゃありませんが、これが売れると、日本映画もいいと思っていたんですが。これでは、営業的に挫折感をもたざるを得ません。私が反省する前に、日本映画界も、もう少し反省するとことがあっていいのではないかと思います。(中略)まじめな意図だけで青果があがるものではない、とは思いますが。(中略)小生の今までの作品系列は、いささかヤワなものが多すぎました。だが『しとやかな獣』を里程標として、ここから出発しようという気が、あるのです」
かなり自負があったように見受けられるが、ぼくは最初からコケるのを承知して撮ったと思う。正月どころかいつの季節にかけても、この映画では人は入らない。専門家の好意的な評が出れば違うかもしれないが、川島をその時代に正当に評価するジャーナリズムがあったかどうか怪しいものである。
もし川島がこの言葉をまじめに言っていたとしたら、結局、彼はまた隘路に踏み迷ったころだろうと思う。つくづく自分のことが分かっていなかった監督さん、ということになってしまう。


『雁の寺』
川島はきれいな絵、かっちりした絵を撮ることには関心がなかったように見えるが、『雁の寺』の感想では次のようなことを言っている。
「これをやったことで、これからの自分の演出のメドを決めるにhが、ひどく役に立った気がします。と同時にカメラの村井博君には感謝したい。というのは、私は絵画的な面から入る演出家じゃなかったのを、村井君が、そういう面での反省をさせてくれた気がするからです。それまでは僕は、むしろ絵画性の無視を考えていました」
分からないでもないが、映像を考えない映画監督って語義矛盾ではないのか。もう何十本も撮ってきて、そりゃないよ、である。



*新文藝座で川島特集をやっていて「人も歩けば」を見た。フランキー堺が質屋の養子役を演じる喜劇だが、ちっとも面白くない、ほとんど爆睡しているうちに時間が来てしまった。身過ぎ世過ぎというのは、どこでもある話である。しかし、低級だから面白くない映画を撮ってもいい、とはならない。才能がなかったのね、で終わりである。


神保町シアターの「森雅之特集」で川島の「女であること」を見た。いくつか面白い発見があったので、それについて触れたい。まず冒頭のシーンが異様である。屋根の庇に向かってすれすれの角度に軍用機が3機突っ込んでくるのが冒頭の映像である。このエッセイで川島が飛行機に何らかのイメージを持っていることは指摘してある。
次が、殺人者の娘香川を養女として預かっている当裁判の弁護士森雅之の女房が原節子で、これも冒頭に香川が原を呼んで、原が廊下に顔を出すと誰もいず、強い風が原を取り囲むシーン。家庭内でこういう映像を見ることはほとんどないが、川島は「しとやかな獣」でこれもやっている。
もう1つ、原が森に夫としての不実を言い募る場面で、何度かカットが変わるのだが、そのたびに二人の居場所が代わりながら、しかも話はちゃんと繋がっているという不思議な演出をしている。これは面白い。
原の知り合いの奔放な娘がやってきて、仲睦まじかった中年夫婦に危機が訪れるという設定は、成瀬の「めし」と同じである。若い娘が落ち着いた紳士にモーションをかけるというのはいまだにあることで、今昔に変化なしかもしれないが、それを映像に定着させるのにはどういう意味があったのだろうか。
この作品は強い風で始まり、吹きすさぶような霧のシーンで終わる。川島映画の中では非常に座りのいい映画ではないだろうか。原、森の二大スターを迎えれば自然そうなるというものかもしれない。しかし。ラストが中年夫婦にやっと子宝が恵まれるという設定は安易に過ぎる。


この映画での原節子は生き生きとして、いつものカマトトぶったところがなく、好感がもてる。なかなかきれいな人だ、という印象である。