猥雑、そして静謐―成瀬巳喜男讃

kimgood2007-02-04

*明るい静謐さ
成瀬作品は90本近くある。黒澤、溝口、小津のあとに海外で評価が高まった監督ということになる。小津調の作品から抜け出し「芸道もの」と言われる分野で個性を出し、戦後は低迷期が続き、51年に「めし」、53年に「浮雲」を撮って復活を遂げた――というのが簡単な成瀬のプロフィールである。ぼくは黒澤の「椿三十郎」を小学生で見ている。「どですかでん」も封切りで見ている。「七人の侍」「デルス・ウザーラ」が黒澤作品では好きである。小津は長じてから評判に押されて仕方なく見た監督で、いまだに彼の良さが分からない。しかし、「麦秋」に近親相姦のテーマを見たり、「小早川家の秋」に映像的にいろいろ感心したり、小津作品も少しずつ自分なりに楽しめるようになってきた。いずれこのブログでも小津作品には触れてみたい。残る溝口はほとんど見たことがない。どうも肌合いが合わない感じがして、手が出ないのだ。黒澤を別にすれば、4人で一番しっくりくるのが成瀬作品である。きっと50歳を越して見たのが良かったのだと思う。


成瀬作品で見たのは10作品で、次のごとく。
めし(50年)、山の音(53年)、浮雲(55年)、流れる(55年)、女が階段を上る時娘・妻・母、放浪記(62年)、乱れる(64年)、女のなかにいる他人(67年)、乱れ雲(68年)
こう挙げてみると、成瀬の後期作品を見ていることがわかる。
このなかで好きな作品は「めし」、そして「流れる」である。あえて次を言えば「浮雲」だろうか。成瀬作品で評価が高いのは「浮雲」で、傑作とさえ言われ、小津をして「あの映画は撮れない」と言わしめたとか。確かに腐れ縁の男女を追って、凄絶である。最後は篠突く雨の屋久島が舞台、女は病床にあり、男は森林監督官のような仕事にありつき、雨のなかを仕事に出かける。その玄関先で、賄いの不細工な女とガラス戸の向こうで会話するのを、嫉妬の炎(ほむら)を燃やして病床の女が見つめるシーンには、背筋が寒くなる。“業”という言葉が浮かんでくる。あるいは、2人で出かけた温泉宿で、そこに逗留していた商人の女と目線ひとつで関係ができ上がるところも、この男、どこまで落ちるんだろうとやるせない気持ちになる。
最後の場面で、男が女と初めて会ったころを回想するシーンがあるが、白いドレスを着た高峰秀子が可憐で清楚である。戦後、男は失業して落魄の身となり、女は春をひさぐほどに倫落する。その様を丹念に、静かにこの映画は描くわけだが、淡々としているだけに強く心を撃ってくる。
それに比べて「めし」「流れる」は全体に軽い調子が流れていて、救いがあるところがいい。「放浪記」も同種の味わいがあり、成瀬作品の特徴として「明るい静謐さ」を挙げておきたい。


「成瀬論」と銘打つほどの研鑽は積んでいないので、上に挙げたなかから好きな作品を選んで、私見を述べてみようと思う。蓮見重彦などが成瀬論を書いているようだが、未読である。あまり理に走った見方は成瀬にはなじまないし、ぼくも好きではない。かつてある映画脚本家が、蓮見の小津論を読んで、面白い感想を聞かせてくれたことがある。
小津映画では階段が異界への切り換えの役目を果たしていると蓮見は述べるわけだが、その脚本家に言わせれば、階段を上がったり下がったりの映像は汚くて撮れない、だからそこは撮さないのだという。ひょいと階段に消えて、次は2階の姿に移るのは、自然なことなんだそうだ。それに、今まで何かの話を1階でしていて、さらに2階に移った姿を撮せば、何事かの変化を追いかけているわけで、そうでなければ2階で引き続き撮る必要がない──これはぼくの見解だが。
だから、あまり映画を現象学的に捉えることに深入りしないほうがいい、というわけである。しかし、読みを誘う映画があることは確かだし、とくに小津や成瀬のような一見癖のなさそうな映画に、隠された作為を読み取る作業は楽しかろうとは思う。映画を楽しむうえで邪魔にならない程度であれば。


上記のあとに、次のような作品を見ている。「乙女ごころ三人姉妹」35年、「歌行灯」43年、「稲妻」52年、「杏っ子」58年、「驟雨」59年、「あにといもうと」59、「くちづけ」55年、「石中先生行状記」50年。これらは追補というかたちで触れている。


*ユーモアの感覚
「めし」は中年夫婦の危機を扱っている。上原謙原節子がその夫婦で、上原は小さな証券会社勤務で、東京から大阪本社へ赴任した設定である。惚れた同士の結婚もしばらく経てば平凡な毎日になる。子もいないので、住み慣れない土地のわびしさも募ってくる。それでも上原には外の生活がある。毎朝、新聞を読みながら食事をし、生返事しかしない夫。それに不満を持ちながら、偽りの平和を壊そうとはしない原、そこへ夫のはすっぱな姪が転がり込んできて、波風が立ち始める。姪が夫になにかれと言い寄るのである。
上原謙は男前で女にもてるが、だからといって自分から何かをしようとはしない。つまり受け入れもしないが、拒否もしない、という煮え切らない人物で、妻とすればそこが許せない。とくに姪の明らかなモーションに乗ってしまうところで、夫婦のすれ違いは沸騰点に達する。夫が女房ほどには倦怠期とも危機とも思っていないところに、また妻のイライラの根があるわけである。
しかし、上原は彼に甘言を弄して出資させようとする輩にはきっぱりと断るなど、信頼のおけるところもある。彼は古ぼけた靴を履いている。ドン・ファンでいくつもりなら、まさかそんな格好はしないはず(昔の証券会社はヤクザな商売と思われ、薄給でもあったようだ)。この映画の上原謙は、「浮雲」の森雅之から毒気を抜いた感じで、実に得難いキャラクターである。
原が同窓会に出かけるシーンがある。友達はみんないいところに片づいているから、いい着物を着てやってくるが、自分には結婚のときに買った洋服しかない、と嘆く。ところが、姪との問題で堪忍袋の緒が切れ、実家に戻った後は意趣返しのように着物姿で通す。こういうのも演出と言うのだろう。
実家は長男の小林柱樹がクリーニング店を仕切っていて、家長としての毅然とした振る舞い、言動に感心する。はすっぱ姪がここにも転がり込んで来たとき、家に帰れ、泊まるなら自分で蒲団を敷け、と言う。みんな仕事で疲れているんだ、遊んでいるやつの蒲団など敷けるか、と宣言すると、姪はもちろん原まできびきびと蒲団を敷き始めるのには笑わされる。これも演出と言うのだろう。
2週間ほどして上原が原を迎えに来る。町で掴まえて、一緒に居酒屋に入る。ビールを2人で飲んで、飲み残したコップを原が渡すところで、和解だな、と分かる。そして、上原が「腹が減ったな、さあ……」で言葉を濁す。「めしでも食おう」と言おうとして止めたのである。頭をかいて、女房の顔を見る。「めし」のタイトルを見るとプロレタリア映画かと思うが、「おい!めし!」の「めし」である。
大阪の長屋でのシーンでベタな演出がある。長屋をこっち側から撮り、画面奥が少し小高くなっている。朝、長屋からいろいろな人間が出てきて、その小さな丘を越えて出勤していく。子どもが1人出てきて、駆け出すが、母親が忘れ物の弁当を渡す。子どもは駆け出し、その丘のところでコケる。夫婦が大阪に戻ってきてもう1回、同じことをやる。ベタだが、またいつもの朝が戻ってきたと分かる演出で、ちょっと無声映画っぽい味わいさえ感じる。
成瀬の軽さはこういうところに顔を出すのである。


*逸品「流れる」
大川端の置屋が時代の流れに抗しきれず、最後に身売りとなる経緯を描いた映画で、全編とても丁寧に描かれている。幸田文の原作では舞台がボカされているらしいが、成瀬は柳橋と特定できるように描いているらしい(小林信彦説)。
女将役は山田五十鈴で、かつて囲い者になることを拒否したものの、店がうまくいかなくなり、同じ男がまだ未練があると聞き、指定のお茶屋へ。ところが、その人物が現れない。さすがの女将も落胆の痛手は隠しきれず、容色の衰えさえ見えるようになる。そのへんの五十鈴の演技は得心のいくものだ。
一度、落ち目になった置屋は坂を転げるようにわびしさを増していく。岡田茉莉子演じる芸子が辞め、杉村春子演じる年増芸子も一度は外に出る。それ以前に辞めた芸子は、給金が正当に払われていないというのが出奔した理由である。その親が宮口精二で仕事は大工、置屋に娘の給金を返せとねじ込んでくる。結局、強くはね除けることができず、いくばくかを支払って手締めにする。素人に負けたという噂は同業を駆け回り、その置屋の凋落が加速する。
なかにこんなせりふがある。「素人のほうがお客が喜ぶ」「髪型を曲げに結っても素人に敵わない」。五十鈴はその大きな流れが見えながら転身が図れない。
その一方で目端の利いた商売をする同業者もある。それを栗島すみこという往年のスターが演じている。スクリーンから遠ざかっていたものの、成瀬がたっての願いで呼んだ女優さんらしい。
この映画では田中絹代が大事な役回りを担っている。彼女は置屋へ女中として雇われる。「梨花」というしゃれた名があるのだが、五十鈴の「言いにくい」のひと言で「お春」と変えられてしまう。田中は夫を亡くし、自分一人で生きていくと決意して、どこか田舎から東京に出てきた“職業婦人”である。
ところが突っ張ったところは一つもなく、病み衰えていく置屋のために骨身も惜しまず働く。彼女には、芸者連の生き方が何か貴重なものに映っているようなのだ。彼女は、乗っ取りを企む栗島から新女将にならないかとの誘いを受けるが、まったく受け付けない。芸事とはまったく関係のない人物を配することで、この映画の構造は一段と味わい深いものになっている。
五十鈴の娘が高峰秀子で、一度は芸子になったものの、水が合わず、いまは置屋の手伝いに甘んじている。しかし、置屋の傾きが見えてからは、ミシンを買い込んで仕事に励むようになる。
最後は、まだ幼い新弟子に三味線の稽古をつけるところで映画は終わる。
小さなエピソードだが、印象に残るのが、見回り巡査への扱いである。彼が玄関に現れると、置屋の女が総勢で寄ってきて、おだてまくる、「お巡りさんと結婚すると安心だ」とかなんとか。その間にも、塀隣りのそば屋に塀越しに天丼を超特急で頼む。腹一杯にして返しておけば、あとで何かと面倒をみてくれるというわけで、日陰もの商売の弱さと知恵がよく現れている。
ぼくがこの映画が好きなのは、全編、まったくムダがないからだ。大声で怒鳴ることもなければ、ことさら愁嘆場を描くわけでもない。それでいてひと時代の流れるさまが見えるのだ。成瀬を職人芸の監督と呼んだ時代があるようだが、職人でこれだけ描けるなら、大した腕の職人である。では、ほかの監督は職人以下と言うことか。


*成瀬の金銭感覚
遺作「乱れ雲」は交通事故で夫を亡くした司葉子が、当の加害者である加山雄三と恋に落ちるが、最後の踏ん切りがつかず別れる話だが、慰謝料などお金にまつわる話が、当然といえば当然なのだが、何度も繰り返し出てくる。なかでも役所に遺族年金だかの受け取りに行ったときに、その窓口で細かい計算を聞かされるシーンがある。きっとリアリティのつもりなのだろうが、時代も違うぼくには、抽象的な数字の羅列以外の何物でもない。
もっと数字オンパレードは「娘・妻・母」で、交通事故で夫が死に婚家から貰うお暇(いとま)金、遺産相続の金額やアパート経営の金額、ある工場への融資金、老人ホームの月謝や入所金、3本立て映画の代金、はては男性老人が幼児をあやす1日のアルバイト代まで出てくる。これは別に守銭奴の映画ではない。ごく普通の家庭の話である。ただ、長男が家を担保に借金して融資した金が焦げ付いたり、次女が義母のもとを離れたくてアパート経営を考えているなど、特段の事情があることは確かだが、成瀬には「金額」あるいは「数字」への偏愛があるようである。お金、あるいは金儲けを悪と考えがちな日本の風土の中にあっては、非常に珍しいことである。
娘・妻・母」では、家族も煎じ詰めれば他人、お金で左右される、という冷厳な考えが披露される。ところが、1人だけ別の考えの萌芽をつかんだ人物がいる。それは長男の嫁・高峰秀子である。夫の母ということで一生懸命自分の母のように思おうとしてきたが、改めて他人だと認識したことで、関係のやり直しができるかもしれない、と言うのである。
この映画が見事なのは、母である三益愛子の還暦の祝いのパーティまでは、多少の波風があっても、和気藹々の家族風景なのが、融資焦げ付き発覚から一気に暗転し、誰が母親を引き取り、世話をするのか、のむごい話一辺倒になるところである。心優しい、出戻りの長女・原節子が大阪の金持ちに母親連れで嫁ぐと決意するが、母親は娘を犠牲にするようで、その話にも乗れない。1960年の作品だから、高齢者問題の先駆と言っていいのではないだろうか。
原節子が歳の離れたワイン研究家・仲代達也に惚れられ、2人でダンスを踊ったり、キスをしたり、ぼくが見た中では一番積極的である。この原節子は、いつものまったり感がなくて、いい。


*追補――小林信彦は「邦画ベスト100」に成瀬作品「浮雲」「流れる」を選んでいる。ぼくは「めし」も入れてほしかった。


*追補──「乙女ごころ三人姉妹」35年
セリフの間やカットが無声映画の感じである。三味線の流しで食べている女たちを描いているが、、もう客の寄りつきが悪く、店によってはレコードをかけて彼女たちの商売を邪魔するようなとこも出てくる、といった設定である。三人姉妹といっても同じ女将さんのもとで仕事をしている、というだけで、長女格は売れないミュージシャンと出奔していて、たまに顔を合わせるだけである。不良仲間と遊んでいたこともある女で、昔の縁で仕事を頼まれ、ある男を誘い出す。それが、末妹の彼氏で、女を足ヌケさせるつもりかと凄まれる。たまたまその様子を見ていた次女格の女が助けに入り、軽く腹を刺される。それでも東京を逃げ出す姉夫婦の見送りに東京駅までやってきて、さよならして、終わりである。とにかく間の悪い映画で見ているのが辛い。


*追補──「歌行灯」(T)43年
いわゆる芸道もので、花柳章太郎という長谷川一夫っぽい人が主役の喜多八で、お袖を演じる女優が山田五十鈴。喜多八は能役者の家系の長男、厳格な父親とその友人とも言うべき鼓の打ち手と一緒に湯治に旅に出る。この厳格な父親が、鷹揚なユーモアもあって、なかなかの役者さんである。大矢市次郎というらしい。鼓の名手は伊志井寛で、とても懐かしい。車中の客で、彼らの舞台を見たという人物が、もっと名人がいる、勉強が足りない、と言う。父親は、お教えいただきありがたい、と応じるが、息子は反感が顔に出ている。実際に湯治場へ行くと、その名人の按摩の噂が絶えない。「松風」を唸ると絶品とのこと。深夜に喜多八はその按摩のもとへお忍びで出かけ、一席を所望する。尊大な按摩がうなりだして、しばらくして息子は膝を打ってリズムを崩させる。これは彼の流派のやり方なんだそうだ。按摩はとうとう声が出ず、くずおれる。息子は外に駆け出し、女が一人追いかける。その女(お袖)を按摩の妾と見た息子は、「人に体を売るようなことはするな」と言い捨てる。翌朝、按摩が悔いて前夜に首をくくったことが分かる。新聞記者連中が部屋に押し寄せ、悪評さくさくだった按摩をやっつけた息子を持ち上げようと取材にやってきた。とくとくと話す息子に怒って、父親が勘当を言い渡し、謡いも禁じられる。
それからは、三味線弾いて、歌の流しでたつきを立てる生活に。先のお袖も芸者の道に進むが、まったく芸が身に付かず、三味線も弾けない。喜多八と組んで流しをするのが柳永二郎で、この人の老けた役はたくさん見ているが、こんなに若いのは初めてである。江戸っ子なのか、ピンピン跳ねるようなしゃべり方をする。この男は、ひょんなことから芸ができず困っている山田五十鈴を救い出した経緯があり、そのことを喜多八に教える。喜多八はお袖に会いに行き、自分の得意の舞を教え、これで食べていけ、と言う。お互いに居場所が分からなくなり、喜多八は流しの生活へ、お袖は柳に世話になった茶屋から出て、違うところへ。喜多八は自殺した按摩の亡霊に取り憑かれている。ある町で按摩を呼び、あえて肩を揉ませて、邪気を払おうとする。一方、お袖はあるお座敷に呼ばれて芸もできない、酌だけでもさせてくれ、とせがむ。実はその相手があの父親コンビなのである。一つだけできることがある、それは舞である、とお袖は言う。老人たちはかわいそうだからとやらせてみることに。ところが、舞い始めてみると、自分の流派だということが歴然とする。誰に習った、はい喜多八さんです、となり、その謡の声は喜多八にも届き、馳せ参じる。結局は、罪滅ぼしに芸を使った息子を許し、勘当が解ける。
 衣笠貞之助監督にも同名の映画があるようだ。能の場面が充実していることと、花柳と柳、それと老人ふたりの掛け合いも面白く、何ということもない映画だが楽しめる。


*追補――高峰秀子主演「稲妻」1952年作を見た。高峰は成瀬作品に欠かせない女優だが、ぼくには彼女の外見とは違ったはすっぱで、投げやりな感じがどうにもなじめなかったのだが、彼女の自伝「私の渡世日記」を読んで、なんとなく分かったような気がしたものである。彼女は5歳で両親と別れ、父の妹のところに養女として貰われていく。義母は芸人を目指したことのある人で、その芸名を高峰秀子と言った。義母は娘が長じるほどに「女」としての敵愾心を燃やし、強烈なヒステリックを演じるようになる。
彼女の元には常に10人近くの人間が屯し、その生活費一切が養女である彼女の双肩にかかっていたそうだ。義母にも経済観念がないし、彼女にもない。いくら稼いでも、常にお金にピーピーする生活だったという。彼女の自伝はそういう義母との葛藤を記した本であるとともに、子役として出発して大人の女優となることの希有な業界にあって、たぐいまれな映画歴を誇るに至った内実が書かれた、とてもおもしろい本である。明け透けな描写も多く、プロデューサーとの不倫まで書かれているのには、びっくりする。
彼女は仕事柄、ほとんど学校に行けなかったが、この「稲妻」という映画のヒロインはまさに彼女そのもの。母親や腹違いの姉たちとの葛藤、貧乏ゆえにまともに学校にも行けなかったし、本も読めなかった悔しさが、ヒロインの口から吐露される。成瀬は高峰に取材して、この映画を作り上げたのではないか、とさえ思えるほどだ。
さしたる映画ではないが、気の抜けた、南方ボケとかいう長男がいい味を出している。姉二人を自分のものにし、次は高峰をねらう強欲、やり手のパン屋に小沢栄一。これも嫌みな感じがうまい。お母さんは浦辺粂子で、「あにいもうと」同様、どんなご時世にも気長に生きていける人間像を演じている。


*追補──「杏っ子」58年
東京から疎開している作家のもとに、しきりに若い男性がやってくる。その作家を山村聡が演じている。みんな娘目当ての観察のためである。父親はその都度、散歩にいってらっしゃい、と送り出す。帰ってきて娘が、両親と弟に品評を聞かせる、というのがその家の定番になっている。父親は、男女は自由に恋をし、お互いの修羅を生きるべきだ、だからちゃんと相手を見極めなさい、と教え諭す。娘は結局、その言葉を生きることになる。やはり疎開してきて、電器の機械修理が得意な男でバターなどの取り寄せもしているのが木村功で、彼が杏子の心を射止めることになる。彼は、杏子のもとにやってきた男に見覚えがあり、あいつが戦地で口で言えないようなことをしたのを見た、と注進に及ぶ。その席で、娘さんをお嫁にください、と申し出るのである。木村は小説を書くまねごともするのだが、機械修理の技で生きていくと義父に宣言する。
結局、2人の結婚はうまくいかないのだが、木村がむら気で仕事が続かず、それに酒好きでもあって、次第に自堕落になり、小説家になるんだといってヒモのような存在になっていく。有名作家の妻に頭が上がらず、次第にそのコンプレックスが剥き出しになっていくが、杏子はいたって分析的で、夫の思いや行動を実に冷静に解き明かす。この透徹した人物観察は父親譲りのようである。それと、いかに境遇が悪くても、不遇をかこつことがない強靱な性格も。弱い男はよけにひねくれてしまう。


小津の親娘関係と比べて、そのドライさには目を見張るものがある。ぼくは成瀬の大きな特徴としてウェットさの欠如、逆に言えばドライな関係を良しとする姿勢が特徴的なように思う。「あにいもうと」でも親子、きょうだいで言いたいことはすべて言葉にして戦わせている。庶民、あるいは貧乏人とはそういうものである。


*追補──「驟雨」(T)59年
ほとんど室内劇のような映画で、結婚5年目にしてすでに倦怠期あるような夫婦が主人公である。妻が原節子、夫が佐野周二である。のっけから、夫の休日に外に出る、出ないで揉めるところから始まる。どこにでもありそうなことを取り上げて劇にする手腕は、簡単なようでいて、難しい。というのは、ふだんしていることを異な目で見ていないと、そこに気づかないからである。


成瀬作品で喜劇を意識したことはなかったが、これは完全に喜劇を狙っていて、成功していると思う。何度か大笑いした。それにラストまでの緻密な描写はさすがである。夫は化粧品会社の営業マンで、会社が買収され、リストラ対象になる。胃弱である。リストラされる同僚が彼の家に集まって、鶏ですき焼きを食べながら、トンカツ屋を開こう、奥さんにも働いてもらおう、と盛り上がり、原も乗り気になる。それが、夫には気にくわない。妻とのいざこざにリストラのストレスもかぶさって、田舎に引きこもろうとも考えるが、妻は自分で稼いでみせる、田舎に帰っても次男夫婦がいて思うようにはいかない、と夫の弱気を責め立てる。


原節子が隣に越してきた若夫婦の妻と一緒に買い物に行き、どこがいくら安い、どこの店主は意地が悪い、と説明するくだりは妙にリアルである。数字を出すことの効果はこういうところにあるようだ。原の言葉遣いも歯切れがいい。例によって、チンドン屋の賑わいも聞こえてくる。


原が野良犬に餌をやっていることが近所で問題になる。保育園のニワトリを殺したとか(これが先の鍋に化ける。「妙に固い肉だな」というセリフがあって、笑わされる)、金持ちの家から皮靴を咥えていったのではないか、とかいろいろ取りざたされる。それで親睦会という名のつるし上げが企画されるのだが、その中心人物が長岡輝子である。いざ会議が始まってみると、原の犬の批判どころか、赤ん坊の泣き声がうるさい、金持ちの家の犬が吠える、とかいろいろな苦情が飛び出して、収拾がつかないことに。このシーンは笑えます。それと、成瀬の皮肉な目線を感じる。そうか、こういうことまで見通して、成瀬は映画を撮っていたのね、と。固い言い方でいえば、戦後民主主義の薄っぺらさである。あまり人間の否定面を追わない監督だけに、「女・妻・娘」で見せた家族崩壊のネガティブな人間描写とあわせて特記すべきことに思う。


ラストが洒落ていて、夫婦の危機が最高潮に達したあと、外で子どもの呼ぶ声がする。庭に入った紙風船を取ってくれ、というわけ。佐野はすぐに戻さないで、自分で弾きだす。それが実に下手なのである。やがて原節子もそれに加わるのだが、彼女はすぱっと鮮やかで、しかも立ち位置が変わらない安定感がある。きっと運動神経のある人なんだろうが、佐野の下手さ加減は、それまでの優柔不断をよく表している。妻は風船を弾きながら、「頑張って」「しっかり」と声をかける。そのカットは短く、こういう躍動感のある絵を成瀬も撮るんだ、と感心。すでに彼女の自立は始まっている、という感じである。このシーンにエンドマークが出るのだが、粋な感じがする。


全体に成瀬の軽さが目立つ映画で、ぼくはこっちの路線が面白かった。「めし」にも似たようなニュアンスを感じるが、ほかにもその種のものがあるのだろうか。


*追補――「あにといもうと」59年
原作は室生犀星。不思議なのは、これが「めし」の後の作品だということである。撮り方がどうにも古いのである。山本禮三郎という役者が父親役をやっているのだが、この人の演技が古いのでよけいにそう思うのかもしれないが、特に正面から撮ったときの小津的な構図のときに活動写真風の古さが感じられるのである。ふと戦前の映画ではないかと思ったほどである。
川を挟んで向こうは東京という設定の小さな田舎町が舞台で、汽車も通じている。しかし、その東京がはるか果てにでもあるようなニュアンスで語られるのが驚きである。「東京へ行けば因習から逃れられる」と話している目と鼻の先に東京があるのだから、違和感は拭いがたい。駅を発車する汽車には「新宿行き」とも書いてある。
父親は昔は羽振りが良かった川師という商売。母親が浦辺粂子で川の土手でおでんやアイスクリームを売っている。石工の長男が森雅之、蓮っ葉な長女が京マチ子、健気な次女が久我美子。長女が身籠もって実家に帰ってきたのに腹を立てて森雅之が悪罵を浴びせかける。その悪罵が気持ちのいいほど決まっている。品の良さそうな森雅之が汚い人夫風情が似合っているから不思議である。
この映画、全体に昔の言葉遣いが横溢していて、それを聞くだけでも価値がある。たとえば、「あの子はおふくろが髪結いをしてたから、手と口が達者」「愛情なんて言うと、せんぶりでも飲んだような顔になる」「目ん玉のなかまで日(し)焼けして働いた」「蛇篭の石の目が詰まってビクともしない」。
二人の娘が実家に帰ると、「こんちは」と声をかけるのが面白い。こういう習慣があったものなのか。謝りに来た学生の情夫に暴力を振るったといって長女が兄に口答えをするシーンも、「言葉のやりとり」が面白い。しまいには兄のことを「小便臭い女をひっかけるおまえ」などと言い出す始末。とりなした母親が、娘に「おまえは大変な女におなりだね」と言うセリフは白眉である。



*追補――「くちづけ」55年
3話からなっていて、成瀬を含む3人の監督の作品となっているが、誰がどれを撮ったとは分からない。成瀬ににして珍しい作品である。1話が「くちづけ」、2話が「霧の中の少女」、3話が「女同士」で、それぞれ味わいがあるが、ぼくは2話に惹かれる。少女を演じる中原ひとみが美しい。姉の司葉子が帰省している実家へ男友達が訪ねてきたことで、両親は娘の貞操を心配し、妹が監視役となって2人から目を離さない。飯田蝶子が訳知りのお婆さん役で、なかなかいい。1話の主人公青山京子は長身でスラッとしていて、当時としては珍しい容姿である。未亡人ながら、すがすがしい清潔さがある。妹とその男友達が多摩川の岸辺を歩きながら、男女の性のあり方の違いを小難しくしゃべるシーンは、当時とすれば斬新だったのではないか。男には抑えようのない性欲があり、女性もそれはあるが、隠し事にしている、なぜなら女性はいずれ子どもを産むという一大事があるから、余計に曖昧にしているのだ、といったことを言う。3話は医者の夫(上原謙)に密かな恋情を抱く若い看護婦(中村メイコ)に危機感を感じ、八百屋の青年(小林桂樹)をあてがおうと画策する妻(郄峰秀子)を描いている。しかし、一難去ってまた一難、新しい看護婦はより美人の八千草香である。これをもっと引き伸ばせば「浮雲」の世界にたどり着く。


*追補――「石中先生行状記」50年
これも3話からなっていて、その無内容さは特筆に値する。これは批判で言うのではない。何も中身がなくても、ここまで楽しめる映画ができる、というのがすごいのである。まるで井伏鱒二の世界を垣間見るようなものだ。一応、人気小説家石中先生(宮田重雄という役者で、本職は医者、趣味で絵も描き、役者もした、という人物。その素人臭ささが、たまらなくいい)がすべてに登場するが、1話では、ある青年が戦時中に畑に埋めたという石油缶を掘りにやってくる。2、3回鍬を振ったら疲れて、昼寝をするだけ。渡辺篤が付き添い人のような感じである。めりはりの利いた、いつもの演技をしている。進藤英太郎がその畑の持ち主で、歯の抜けた、ふがふが言うような東北弁をしゃべるのが妙に面白い。2話が、藤原釜足中村是好がエロショーを見に行き、二人の娘と息子が、どっちの親が先に誘ったかで一悶着ある。娘を青山京子、息子を池部良が演じている。木下恵介の「カルメン」もそうだが、こういう浅草レビューっぽいものがストリップとして日本全国を回っていたようだ。石中先生は親同士の不和を解消させる役回りである。3話が、病気の姉(中北千枝子)を町に妹(若山セツ子)が見舞に行く。病院で田中春男演じる胡散臭い男が、誰彼の手相を見ている。姉に強要されて見てもらった妹の手相は、今日、明日中に結婚相手に出会う、というもの。姉が旦那にべったりで、その様子は50年の映画にしては、手放しの感じで、おやっと思う。姉と別れ、妹が町を歩いていると、歩調を合わせるかのような男がいる。これが運命の男かと思うが、男は途中で雑貨屋へと入っていく。知り合いが、藁をうずたかく積んだ馬車に乗せてくれるという。そのてっぺんに仰向けになりながら、田舎へと帰っていくが、途中で馬子が何かの要件でいなくなる。茶店で待っているうちに眠くなり、間違って同じように藁をうずたかく積んだ馬車に乗り込み、そのまま寝込んでしまう。揺られて着いた先が農家で、馬車を引いてきたのがそこの長男の三船敏郎。いたって無口だが、娘はよくケラケラと笑いながら、男のことが気になってしょうがない。その日はそこで泊めてもらうことになり、夜、夏祭りに出かけ、気持ちが通い合う。翌日、巡査が石中先生を連れてやってくる。貞操に間違いがなかったという証明書を二人で作成し、女に渡す。またゆさゆさ揺られて、三船は女を隣り村まで運んでいく。そして、お互いにまた再会することを誓い合う。この妹役の若山セツ子が可憐で、初々しい。東宝ニューフェースで46年にデビュー、しばらくしてスクリーンから去り、また復帰。ところが、姉、母を失い、精神のバランスを崩し、55歳で自殺。なんということだろう。


追補――晩菊、あらくれ
「晩菊」は2人の元芸者と1人の仲居のその後を扱ったもので、林芙美子の3作品を併せてこしらえたものらしい。先輩格で羽振りが良かったのが望月優子で、その下から頭角を現したものの自殺を強要されて未遂に終わった過去の杉本春子、そして2人の務める料亭で仲居をしていたのが細川ちかこで、望月と細川は今は一緒に住んでいて、望月はどこかの会社の清掃婦、細川は曖昧宿の女中さん、杉本は金の取り立てに歩くようなしわい女で、細川は杉本から金を借りていて、望月は借りに行って結局プライドもあって頼めない。しまいには元金がすぐに2倍にも3倍にもなる話があるが乗らないかなどと自棄なことを言い出す。望月と細川には子があって、望月のほうは女で雀荘に勤めていたが、年上の男から結婚を申し込まれて親を置いて出て行く。細川のは息子で、細川は妾だったこともあって、いまでも息子はママと呼んでいるが、やはり年上の妾が自分の女で、それをほったらかして北海道の炭鉱の事務職で親元から離れていく。杉本は独り身で、もちろん子も成していない。そこへ若い頃に惚れた男から手紙が来て、渋ちんの顔が生き生きとしてくる。そのころ相手が大学生で、遠くにいるのに性急に駆けつけたものだという。男は上原謙で、ほんとに生白く、年齢不詳の化け物のような感じである。ところが、狙いはやはり金で、無心にやって来たのである。成瀬らしく全編金、金の話だが、そんな亡者の杉本の胸にも少女のような火が点る、というのが、ある種の救いでもある。そして望月にしても、零落したとはいえ、神さんが子どもという宝物を授けてくれたと言い、それはそれでこちらには救いの言葉である。もっと救いなのは細川のキャラクターで、望月は過去との因縁で杉本のことをよく言わないが、細川はお金を取り立てに来ても悪口は言わない。息子が離れていくことは寂しいが、一方で独立志向を認めてもいるのである。この近親相姦とも見紛う関係がなんだか新しいのである。


「あらくれ」は高峰秀子が主人公で、とても独立心の強い女で、大正時代を扱っているのに、決して妾になんかならない、自分の生活は自分で切り開くという強さを持っている。兄貴(宮口精三)にだまされて鄙びた山間の温泉宿に押し込まれた高峰に、旅館の主人である気の弱い森雅之が手を出す。世間の評判が悪いから、もっと山の中に移ってくれ、と森の母親が説得する。すまない、と森は謝るが、何よ、お互い様じゃない、とあくまで恋は両成敗だという考えである。親(東野英治郎)に東京に引き戻された後も、たまに東京に出てくる森と逢い引きを重ねるが、洋服仕立ての男(加藤大介)と所帯を持ち、勤め人に気を配り、うまいこと働かせる才気があり、チラシを大学前で配ったり、ハイカラな様子で自転車に乗って自ら宣伝媒体になるなど、斬新なことをやる。ミシンをかけるのは男の仕事だったらしく、そういう場に女性が入っていくことが奇矯な目で見られたらしい。彼女を助けた森が病気だと聞き、見舞いに行くも肺病で死んでいた。墓に詣で、一緒に付いてきた森の下男に、森への借金を渡してしまう。羽振りが良くなって夫の女癖が始まり、相手の女に談じ込んで、殴る蹴るの所業を働くが、結局、店にいる新規のデザインのできる男(仲代達矢、ほとんど外人の顔)を呼び出して、一緒に店を新しくやろう、というところで映画は終わる。「あらくれ」が女のことだとは思わなかった。「放浪記(1962年)」で高峰は脱皮したと思っていたが、その5年前にこれを撮っていたのである。ふてぶてしくて、可愛くて、才覚があって、独立自尊の女性である。


成瀬を女性目線の監督とすれば、小津は男性目線の監督である。紀子シリーズを作ってはいても、あれは父親目線の映画である。「晩春」で義父に「私はいけない女なんです」と言わせて、小津と高田はほくそ笑んでいたという。原節子にそれを言わせる快感を楽しむ助平オヤジ2人といったところである。