ミュージカル初入門

kimgood2007-06-30

*音楽物というジャンル
去年「プロデューサーズ」というミュージカルが封切られた。さほど評判にならなかったが、ぼくは十分に堪能した。ミュージカル・コメディという分野があるということを初めて知った。小ネタの連続で、大笑いをしてしまった。
ところが、映画好きの知人にこの作品のことを話すと、見た後、まったくの駄作との返事。ところが、もう一人の映画好きにまたこの作品の話をすると、傑作だとの評である。彼はDVDも買うつもりだと興奮を隠さなかった。
いったいこの違いとは何だろう。もしかしたらミュージカルが合うタイプ、合わないタイプというのがあるのかもしれない。それはおそらくセリフと音楽と踊りが混じり合う、言ってみれば不自然な形式をどう考えるかに行き着く問題ではないかと思う。


中学・高校で見たのが「サウンド・オブ・ミュージック」「メリー・ポピンズ」「マイ・フェア・レディ」そして「ウエストサイド物語」、これが全部のミュージカル経験である。あとで分かったことだが、ミュージカルは50年代あたりがピークで、数少ないながらぼくが有名ミュージカルを映画館でいくつか封切りで見ることができたのは、希有な、そして幸運なことだったことが分かる(「ウエストサイド」だけはリバイバル)。


しかし、純粋なミュージカルとは呼べないものの(「純粋なミュージアカル」の定義は難しいので、後述する)、音楽とセリフと踊りが混じった映画というのは、続々と作られている。
ビートルズの「ヤアヤアヤア」「イエローサブマリン」などは、どうだろう。会話の最中に突然、歌い出すことはないが、歌が重要な位置を占めていることは確かである。「レット・イット・ビー」になると、ドキュメントで、ぼくが見たのは高校2年の時。「バングラデシュ・コンサート」もドキュメントで、高校のときに見ている(そこに登場していたレオン・ラッセルの娘がグラミー賞を取ったノラ・ジョーンズと知ったときの驚きはいかばかりか)。


長じてからもさしてミュージカルの本数は増えていない。「シェルブールの雨傘」「キャバレー」「オール・ザット・ジャズ」ぐらいで終わってしまう。「サタデーナイトフィーバー」(おお、トラボルタ!)「フラッシュダンス」もやはりミュージカルと呼ぶことはできないが、ではどういう括りで論じることができるのか。ダンス物? ぼくはミュージカルの発展形として捉えたい。
ライザ・ミネリとデ・ニーロが競演した「ニューヨーク、ニューヨーク」は封切りで見たと思うのだが、確信はない。バーバラ・ストライザンドの作品は見たような見ていないような、記憶自体が曖昧である。見直してみれば分かることなのだが、彼女の映画を見直すほど酔狂ではない。


ここ最近で見たものには、いわゆるミュージカルと呼べるものはなく、音楽物とでも言ったほうがふさわしいかもしれない。それだけミュージカルという分野は低調だったのである。アラン・パーカー「フェーム」「コミットメント」が音楽主体の映画である。後者には、「アイルランドと黒人は似ている」みたいなセリフがある。
ダンス物ではリュックベッソン制作の「ダンサー」がある。これは唖の女性が驚異的なダンスの技で運命を切り開いていく話である。
ドキュメント系としては、「ウッドストック」やザ・バードの解散コンサートを撮った「ラストワルツ」、ボブ・ディランの過去の映像を綴り合わせた「ノー・ディレクション・ホーム」がある。ボブ・ディランがらみで言えば、彼の音楽物語とも呼ぶべき「ディランの頭の中」もある。このなかで黒人の少女が歌う「風に吹かれて」は絶品だが、サントラに挿入されていないのが残念。もう一人アラブの歌姫セレタブの歌うone more cup of coffee も絶品。
本人ドキュメントとしてはグレン・グールドを扱ったものを銀座の映画館で見た記憶がある。
実在の人物をテーマに扱ったものとしては、まずは「アマデウス」。ニルバーナのボーカルの死をフィクションとして扱った「ラスト・デイズ」なんかも、音楽物に入るだろう。イーストウッドがチャーリー・パーカーを扱った「バード」もある。彼が息子と一緒に出た「ホンキートンクマン」というのもある。映画のなかで息子の筆おろしに娼館へ行くのには、びっくりした。
「ドリーム・ガール」はシュープリームスを扱ったもの、「レイ」はレイ・チャールス、どちらも劇場で見ている。DVDではジョニー・キャッシュを扱った「ウォーク・ザ・ライン」、ボビー・ダーリンを扱った「ビョンド・ザ・シー」というのもあれば、カントリー歌手ロレッタ・リンを扱った「歌えロレッタ 愛のために」というのも見ている。これには若きトミー・リー・ジョーンズが出ていて、後年のアバタを見ている僕としては、あまりの美男子ぶりにぶったまげてしまった。「ティナ」はティナ・ターナーの伝記もの、独り立ちする前に旦那のアイクからDVを受けていたこと、仏教徒となって救いを得たことなどが触れられている。


コーエン兄弟の「オーブラザー」も音楽物と言えなくもない。マイケル・ウォーバーグ主演の「ロックスター」などという変わりダネもある。女優ジェニファー・アニストンがなかなかいい。あの「フレンズ」の彼女である。
ウーピーの「天使にラブソングを1,2」もある。これの男版・ロック版が「スクール・オブ・ロック」だが、あまりにも駄作なので30分ほどで見るのを断念。クラシカルな名門高校が舞台なのに、学校側がキャラクターの身勝手な振る舞いに気づきもしないという設定には呆れ返る。主人公の得手勝手さには虫酸が走る。それに比べてウーピー映画がいかに丁寧に撮られていることか。そして、「シカゴ」、言わずと知れたアカデミー賞作品賞を取ったミュージカルである。


ここでは歌あり、踊りあり、もちろんセリフありの、本来の意味のミュージカルについて若干のことを触れてみたい。和田誠は「ウエストサイド物語」でミュージカルの歴史は変わった、と考えているらしい(『オール読み物』08年9月号「するめ映画館」での発言)。単純にいえばシリアスなテーマを扱うのは本来のミュージカルではなく、男女の恋のスッタモンダを歌と踊りを交えて描くもの、それがミュージカルということである。


喜志哲雄氏は『ミュージカルが最高であったころ』で、ミュージカルとオペレッタは扱う題材が下世話か上流階級かの違いだとおっしゃっている。その前身としてレビューやボードビルやミュージックホールがあるわけだが、氏が常に問題にするのも歌と筋の兼ね合いのことである。両者に付かず離れずの緊張のあるのがいい作品だ、と書いておられる。


系統立てて書けるほど材料がないので、印象記ふうのものになることを断っておかなくてはならない。



和田誠の見解
和田誠は大のミュージカルファンで、彼は「トップハット」「アニーよ銃をとれ」「スイングホテル」「雨に唄えば」「バンドワゴン」「掠奪された七人の花嫁」の6作を推薦している。そして、「ウエストサイド物語」がミュージカル変節のシンボル的な存在だという。簡単にいえば“まじめ”になってしまったのである。ただ楽しく踊っているだけでは、もう客を虜にできない、というわけである。
しかし、喜志さんの前著には、「アニーよ銃をとれ」の作詞・作曲の問題が書かれている。アーヴィング・バーリンが引き受けるのだが、プロデューサーの2人はそもそも作詞・作曲を手がける連中なのに、アーヴィンはなぜ自分に振ってきたのかと疑問に思う。その2人はすでに都会的で洒落たミュージカル『オクラホマ』『回転木馬』を手がけていたので、『アニー』が「まじめさを欠いている」ということで、アーヴィングに回してきたらしいのである。
ということは、常にミュージカルは(あるいは映画は、と言っていいかもしれない)まじめな方向へ行こうとする癖をもっていると言えるのかもしれない。まじめ=社会問題と考えれば「ウエストサイド物語」が出来上がるし、まじめ=芸術と考えれば「アマデウス」「オペラ座の怪人」、場合によっては「マイ・フェア・レディ」となる。
ぼくがこれからたどるのはミュージカル失楽園以前の作品ということになろうか。



*バンド・ワゴン
ビンセント・ミネリ監督の「バンド・ワゴン」は傑作の誉れが高い。53年の作である。その評価に乗って見たところ、噂に違わず傑作である。いわゆる芝居の制作者側の話を描いたバック・ステージ物である(これも名作といわれる「雨に唄えば」は映画制作の裏側を描いたバック・ステージ物である)。
DVD解説を娘のライザ・ミネリがやっていて、これがミュージカルを見る際の手ほどきとして、とても参考になる。小林信彦はセリフと歌の転換に無理がない、相乗して効果を上げている点を強調している。ライザも同じようなことを言う。たとえば、アステアが友人夫妻と一緒に演出家のジャック・ブキャナンに会いに行くシーン。二人が考案したミュージカル「バンドワゴン」のアイデアをブキャナンが気に入り、それを「ファウスト」に翻案すると最高だと言ったとたん、ソファの向こうに倒れこむ。3人が慌てて覗くと、おもむろにブキャナンが立ち上がって、歌を歌い始める。その場面転換の巧みさにほれぼれする(このあたりの技を「プロデユーサーズ」でも使っている)。


あるいは、アステアとシド・チャリシーが辻馬車に乗って公園にたどり着く。そこではダンス会のようなものが催されている。当然、二人は踊り始めるものと思うと、そのまま通り抜けて、次の誰もいないスペースに出る。そこではカメラは二人の足下に寄っていて、すーっと出る感じを映し出す。やがて二人は当然のごとく踊り出す。この一連の展開が見事である。
たいてい踊り出す前の会話もリズムが付いてくる。そのあたりも自然な感じである。


シドはアステアを伝説のダンサーとして尊敬しているがために、うち解けていけない。アステアはシドを気位の高いクラシックダンサーで、しかも自分より背が高そうに見えるので敬遠する気持ちが先に立ってくる。このあたりの様子は、アステアが実際に経験したことを織り込んであるようだ。彼の評伝には、新パートナーから共演陣までアステアと一緒に映画に出ることを誇りに思うと述べている。アステアはある女優の部屋まで押しかけ、それとなく背丈を比べて、自分より低いと分かってパートナーとすることを認めたりしている。アステアは174センチあるのだが、それ以上の女優がけっこういるということである。


この映画に引き入れられる最大の理由は、アステアが落ち目のスターとして登場するからである。冒頭にオークションシーンがあって、彼の持ち物が競売に掛けられるが、ほとんど値が付かない。場面が変わって列車のコンパートメントのシーン。男二人がアステアが落ち目の話をしている。その間に新聞の陰になって一人の男が座っている。それが噂の人物であるアステアである。この二重に苦い始め方が、なかなかである。それにテンポもいい。
駅に着くと、報道陣がいて待ちかまえている。彼をではなく、グレタ・ガルボをである。そこでまたわびしくなって、アステアが歌い出す。このあたり、何度も言うようだが、絶妙である。
役者ではアステアの友人役のオスカー・レヴァントが飄逸でいい。演技をしてるんだかしてないんだか、妙な間なのである。ライザ・ミネリがレヴァントが何かするたびに大笑いをする。見て見て、あの表情、あの表情、と笑い転げている。


アステアは楽しそうに踊るのだという。ではジーン・ケリーはどう違うのか。後者にはボードビリヤン的な要素を感じるが、これはまったくの素人観測なので、いつか調べて報告したい。ただ、両雄を比べると、アステアの優雅さ、ケリーのエネルギッシュと表現しても間違いではないのではないか。ケリーは自分で何でもスタントをやったらしいが(「雨に唄えば」にそれらしいシーンがある)、昔の役者さんはたいてい自分で何でもやったので尊敬されたという話を読んだことがある。日本だって時代劇でアップの場面は真身を使って撮影したと嵐寛伝で読んだことがある。
アステアが何の曲だか、歌い出す前にふっと笑うシーンがある。その何とも言えない間がすばらしい。それと、話しかけられてポアンとした表情をするときがあるが、それもチャーミングである。


ミュージカルでバックステージ物が多いのは、歌や踊りを入れるのに違和感がないからではないかと思う。昔の作品を見るうちに、歌と芝居と踊りの転換にさほど神経質にならなくなったのは、撮る側にもそんなことを意識している気配がないからである。登場人物が芝居や踊り、映画関係者ならつい歌い出したり、踊り出したりしても、いいじゃないか、というわけである(それは安易な道であると喜志氏は手厳しいが)。
それと昔のミュージカルには野外撮影がほとんどない。カメラの性能の問題もあったのか、そのへんは分からないが、テーマが恋愛などに限られていて、政治や社会問題を扱う器として考えられていなかったのではないかと思う。それから見れば、先に挙げた「サウンド・オブ・ミュージック」や「ウエストサイド物語」は画期的だったのが分かる。それがとうとう「キャバレー」にまで進化したのである。これはバックステージ物の系譜だが、そこにナチス台頭の世相をダブらせた巧みさは、敬服に値する。


*アステアについて
アステアの評伝『アステア ザ・ダンサー』を読むと、彼がいかに天才で、しかも努力の人であるかが分かる。それに含羞の人でもある。人交わりを好まず、マスコミの取材に応じることも少なかったらしい。
姉のアデールは小さい頃から踊りがうまく、ステージママの母親は彼女の才能の開花を助けるべく、弟のアステアも連れてショービジネスの都ニューヨークへとやってくる。父親は田舎に残り、自分一人で生きていく道を選ぶ。父親はオーストリアからの移民で、堅実な生活を望んだためだという。
姉弟のコンビは早い時期からボードビルなどのショービズの世界で名を挙げていくが、姉があくまで主で、弟が従というのが評論家や客の見立てだった。しかし、芸への厳しさはその逆で、その日に失敗したところや、いまひとつの出来だったところを、舞台がはねてすぐにも練習にかかるのがアステアだったらしい。姉は次第にそういう厳しい世界で生き残ることに夢を持ち得なくなっていく。それは、まわりに男どもが寄ってきて、彼女が恋に忙しくなったことも関係していた。
姉がイギリス貴族との結婚を決めたことで、アステアがピンで立つことになったわけだが、彼は若くして頭髪が薄く、顔は逆さ梨型で、とうてい一人ではやっていけないと思われていたらしい。ところが、超絶的な技巧で踊ることから、確かな評判を勝ち得て、やがて映画へと進出することになる。


アステア姉弟はイギリスで先に圧倒的な人気が出たらしい。あのアステアの優雅さを見れば、納得のいく話である。実際、アメリカでもイギリスでもアステアはイギリス人と見られていたらしい。アステアは姉からの独り立ちに強いプレッシャーを感じたことで、特定のパートナーと組むことの危うさについて非常に敏感になったらしい。それで、ジンジャー・ロジャースをパートナーとして当たりを取っても、彼女とは年に2本しか撮らないとか、ある時期になれば他のパートナーを探すことを決めていたらしい。
ジンジャーとの組み合わせに興行成績の翳りが見え始めると、エド・パウエルと組み、初めてMGMで映画を撮ったのが、1940年。この種の危機感の持ち方がアステアを後年まで生き延びさせた最大の要因ではないかと思われる。


アステアはミュージカルについて次のように述べている。至言である。
「踊りのひとつひとつは、登場人物の性格や状況から何らかの形で引き出されるべきで、さもないと、単なるボードビル・ダンスになってしまう。さらに、観客が興奮の頂点に達し、拍手喝采したくなる瞬間が感じ取れるようにしなければいけない。それで、すべてが終わるのだ」



*「晴れて今宵は」
42年の作、アステアとリタ・ヘイワースの共演である。監督がウイリアム・サイター、作曲がジェローム・カーン、作詞ジョニー・マーサー。どこか南米の都市の話、そこの一流ホテルのショーに出させてほしいと、NYで有名なダンサーであるアステアが売り込む。支配人は変わり者で、なかなかOkと言わない。婚期の遅れた娘を結婚させるために、そのロマンチストの質を利用しようと、父親である支配人が恋文を出す。うまくいったのだが、妙な巡り合わせでアステアを恋文の差出人と娘が勘違いすることから物語は展開する。姉が結婚しないと妹である自分たちも結婚できないとやきもきする双子、支配人の叔母の親戚にあたるおかしな秘書と脇もいい。なかでもリタ・ヘイワースは美人で、その時代としてどうなのか分からないが、スカートの丈が短い。いずれ2人は結ばれると分かりながら、そのすれ違い、いざこざなどを楽しんでいるうちに映画は終わる。楽しい1作である。


*「ブルー・スカイ」
44年制作で55年公開という作品である。その事情は分からない。
アステアとビング・クロスビー、女優がジョン・コールフィールド。アステアがラジオのジョッキーで、過去の三角関係の話を始める。といってもアステアはらち外で、思い女はクロスビーにしか関心がない。ところが、この男、事業欲があるのかないのか、つねに人気のバーを作っては売り飛ばしてしまう。
アステアの最初のセリフがふるっていて、昔語りなので「懐かしのアービン・バーリンの曲が聴ける」と言うのである。実際にこの映画はバーリンの作詞・作曲で、アステアに老いの影が見えるので、このシャレがけっこう利いているのである。るいは、クロスビーの作る店の1つが「トップハット」という名である。
アステアとクロスビーがそれぞれにいろいろな職業の人間を演じ分けるダンスをするのが面白い。別れたクロスビーの元へ女を連れて行くシーンで、店の前で車から下りるときに店内の歌がかぶさるところなど、粋な感じである。
アステアが脇と言っていい映画で、彼のフアンとしてはちょっと寂しい。


*「恋愛準決勝」
51年の作で、スタンリー・ドーネン監督である。アステアの相手役がジェン・パウエルで、兄と妹という設定で、妹はかなりのプレイガールであり、兄は結婚恐怖症。2人はイギリス公演に出かける。その船上で妹は若い男爵と知り合い、兄はロンドンで同じ舞台に立つ踊り子に恋をする。その踊り子が、いかにもイギリス風の女で、スーザン・サランドンに似ている。彼女はアメリカ・シカゴにフィアンセがいるというが、もうふた月も連絡がない。アステアが調べさせると、男はすでに結婚をしていることが判明。


妹が一度は結婚を決意し、また変心するシーンがある。兄に向かって、自分は結婚に縛られるが、あなたは自由でいい。きっといつか後悔するようになるわ、などと言うのだが、これはきっとアステアが実の姉のアデルが貴族と結婚するときに言ってもらいたかった言葉ではなかったのか。そういう興味で見ていられる映画である。



ホテルの部屋の壁や天井で踊るシーンがあるが、壁から天井、壁から床へと切り替わるところがうまく処理をしてある、ということなのだうか。例によって、帽子立てなどを小道具に踊るシーンが面白い。あるいは、公演で2人が野卑な南部人を演じ、始めから浮気な俺に惚れたお前が悪い、と歌うところなど、アステアらしくなく、新鮮である。


あるいは、ハイチの女を歌った公演のシーン。うしろに透けて見える幕があり、アステアの一節が終わると、さーっとそれが開いて、南国の風景に切り替わるところなど、見事な演出である。


この映画、原題はRoyal Weddinng で、英皇太子のご成婚に2人がロンドンで遭遇。むこうが優勝で、自分たちふたりの結婚は準優勝、というつもりの日本語ネーミングかもしれない。


ぼくはこの映画をとても気にいった。イギリスに愛されたアステアの気持ちよさみたいなものが横溢していると思うのだ。そういえばだが、アステアの実際の奥さん、スーザン・サランドンに似ていたのではなかったか。いずれにしろノーブルな感じの女性であることは確かである。


*「イースターパレード」傑作? 佳作? いや傑作!
アステア、ジュディ・ガーランドの「イースターパレード」、これは面白い。監督がチャールズ・ウォルターズ。脚本にシドニー・シェルダン
ビンセント・ミネリが撮るはずが、ガーランドの精神の病の原因は旦那にあるとのことで、ウォルターズに差し替えられた。
引退宣言していたアステアを引きずり出した映画である。48年作で、恋愛物だが、「踊る大紐育」の浮薄さとはひと味、ふた味も違う。これも人気ダンサーがパトナーの女性に袖にされて、相方を捜す話で、「雨に唄えば」と近似のテーマを扱っている。俺にかかれば誰だって一流のダンサーになれる、と豪語するアステア。いつもの酒場でショーダンスをする大勢の女から、ただ偶然にジュディを選ぶ。「マイ.フェア・レディ」へと流れるピグマリオン物の一つと言えるだろう。


ぼくはジュディ・ガーランドという女優を初めて見たのだが、表情の豊かさに驚いた。演技も自然である。アステアとケリーの違いが、この映画で分かったような気がするのだ。アステアは踊りに目がいきがちだが、相当の演技の人でもあって、それがジュディのような芸達者を迎えると、輝きを放つのだ。歌って、踊って、しかも芝居して、言うことなしである。「プロデューサー」にも、ぼくは同じ意味でやられたのである。歌、踊り、そして演技! 演技が単につなぎの役目しかしないミュージカルに、ぼくは点が辛くなる。


脇の人物像がくっきりしているのと、細部の台詞が利いているのも、この映画の魅力である。バーテンダーのマイク(クリントンサンドバーグという名前)が哲学者風な人生訓や、いかがわしい引用をする。それと、当意即妙の受け答え。ここを見ているだけで、幸せな気分になってくる。アステアは「詩人のマイク」といった言い方をする。のちにジュディが恋の悩みの様子を見せると、マイクはまた衒学的に慰めにかかるが、ジュディは「いくらマイクの言葉でも、今日は楽になれない」みたいなことを言う。このあたりも、しみじみとした味わいがある。


それと、高級レストランのウエイターがジュールス・マンシュイン。ニコラス・ケイジ似で、お店おすすめの一品を説明するのに、手振り身振りで、家族の歴史を織り込みながら、長々と説明するくだりが、抜群に面白い。このレストランは2回登場するのだが、一品も物を頼まないでお客が帰る、という設定になっていて、笑わされる。ただ跳んだり、跳ねたりしなくても、ミュージカルは十分にもつという典型的な例である。


*MGMの代表作?「パリのアメリカ人」
ビンセント・ミネリでもう1本、これも世評の高い「パリのアメリカ人」を取り上げたい。MGMが記念にミュージカル映画ばかり編集した「ザッツ・エンターテインメント」ではトリを飾り、MGMの人間なら誰もがこれを代表作として挙げる、とまで言っている作品である。51年の作である。ミネリ監督が充実していたことが分かる。


この映画、出だしがいい。貧乏画家でパリに修行でやってきているのがジーン・ケリー。ベッドから起きて、天井から下がっている紐を引っ張ったり、足でカツンと何かを蹴ったりで、ベッドが壁にしまわれたり、小さなテーブルが出てきたり、小ネタの連続なのである。ぼくはジャッキーが物を使って連続的に活劇を繰り広げるアイデアを、こういうところから取ったのではないか、とあらぬことを考えた。たしか映画フリークのはずのジャッキー、その可能性ってないだろうか。
表情によってジーン・ケリーの唇の左側に縦じわが出るのだが、誰かに似ていると思いながらそれが思い出せない。彼の表情のいいアクセンントになっていることは確か。体つきに似合わず繊細な感じを受けるのは、その表情のせいではないかと思われる。


音楽がガーシュインである。豪華なことである。アステアがまだ駆け出しの頃、姉と2人で舞台の前座で歌って踊っていたときに、ガーシュインと顔を合わせ、いずれは組んでやりたい、と語り合ったというエピソードが記されている。
ジーン・ケリーの友人がこれまた売れないピアノ弾きオスカー・レヴァント、ここでも奇妙な味を出している。そして、もう一人のフランス人の友人、これは売れている歌手なのだが、その恋人に、それと知らずにケリーが惚れたことでいろいろな事が起きる、という設定である。彼を引き立てるアメリカ人の金持ちおばさんが出てくる。これがニナ・フォックという女優で、デイトリッヒに似ている。ぼくはこの種の女優にまったく興味がないのだが、彼女は美しく見えた。自分に気のない男を、金に明かして引きつけようとするさまが哀れだ。自分はいけないことをやっていると知りながら、お金でしか結びつけない悲しさを彼女はよく表現している。彼女はケリーに本心(別の女が好きだということ)を聞かされたあと、まったく登場しなくなる。それについて何の説明もない。この映画、どうも変なのである。


ほぼ真ん中ぐらいまでは快調なのだが、後半がいただけない。オスカー・レヴァントにピアノコンサートを夢想させるシーンは取って付けたよう。恋人が結局、友人である歌手のもとに収まることが決まったあとの長いダンスシーンの意味も、よく分からない(芸術風を装うのが当時のミュージカルの病弊だと和田誠氏は指摘している)。さらに、そのシーンのあとに歌手が恋人を連れてきて、ケリーに渡してしまう、というのもいただけない。きっと落ちの付けようがなくなって、ごちゃごちゃとゴマかしてしまったのだと思う。
この手法は、実は「バンドワゴン」の後半にも使われているのだが、そっちは幸運にもアラが目立たなくてすんだ。というのは、旅興行に出たアステア一座の演目紹介を歌と踊りのセットで足早に見せることで、スピード感が出たからである。しかし、その演目をいくらつなげても「バンドワゴン」という筋のある話は出来上がらないのだが。この大ざっぱさはハリウッドだと思う。


MGMはなぜこの映画を自分のとこのチャンピオンだと言うのだろう。ミネリ監督にガーシュインにケリーだから? パリの実景もほんのちょっと撮すが、ほとんどがセットで撮っている。ぼくはアメリカ人のヨーロッパ・コンプレックスが、この映画の高評価と関係しているのではないか、と思っている。


この作品で秀逸だと思うのは、パリの子供たちと“I got”という曲を歌うところ。ケリーを囲む子供たちの表情が実に生き生きしていていい。自然なのである。一人の男の子は出だしを間違えるのだが、そのままケリーは続けてしまう。失敗しちゃったなという顔つきの子供をそのまま撮しているのである。これはとても珍しいことではないだろうか。ぼくは山本薩夫の「松川事件」を思い出す。登場人物がスティックのアイスを食べるシーンで、ごそっとアイスが欠けて落ちるのだが、その役者はそのまま演技を続けるのである。撮り直しをすればいいものを横着したものだと思う。それに比べれば、ミネリ監督の横着は許せる。というか、こういうシーンを残した英断に拍手である。ミネリ監督というのは、臨機応変の才を持った人だったのだろうと思う。


ジーン・ケリー監督作品
ものの本によれば、アーサー・フリードというプロデューサーがMGMの黄金時代を築いたらしい。彼の制作にかかるもので、有名どころを挙げると、
若草の頃」「イースター・パレード」「踊る大紐育」「アニーを銃をとれ」「ショウ・ボート」「巴里のアメリカ人」「恋愛準優勝戦」「雨に唄えば」「バンド・ワゴン」──黄金のラインナップである。かのジェリー・ブラッカイマーに比肩できるかもしれない。ぼくはあまり大きな映画が好きではないので、ブラッカイマー映画はほとんど見ていないが、「コヨーテ・アグリー」や「タイタンズを忘れない」、あるいは「フラッシュダンス」のような小品があることがすごいと思っている。このバランスの取り方はプロのやリ方である。「キャットピープル」「ビバリヒルズコップ」まで彼なのだから、脱帽である。


そのフリードがジーン・ケリー監督で撮ったのが「雨に唄えば」「踊る大紐育」で、どっちもスタンリー・ドーネンが共同監督になっている。あの「シャレード」の監督である。そのドーネンを継いだのが「キャバレー」のボブ・フォッシーである。ボブ・フォッシー亡きあとは誰? 宇宙が舞台のミュージカルをやるくらいの才人は出てこないものか。あるいは、環境問題やルワンダ問題でもミュージカルが撮れる人物とは?


それにつけてもジン・ケリーである。「雨に唄えば」はサイレントの人気男優がトーキーへ移行するのに、パートナーを変えるというのが基本的な筋。有名な雨のシーンは、確かに見ていておもしろい。誰が雨のなかで、それも大の大人が嬉々として跳ね回るだろう。
トーキーの発明で、各映画会社が雪崩をうってミュージカル制作に向かったという設定になっているが、これは史実に近いものなのかどうか。サイレントの人気女優が声が悪く、しかも音痴なので、吹き替えを付けることになり、ケリーはその吹き替えに惚れることになる。これもつまりバックステージ物である。
その代役が決まったあたりから、どうもテンポが悪くなり、最後まで見るのがしんどい仕儀となった。


踊る大紐育」はもっと早々と見る気が失せてしまった作品である。水兵が1日の休みを使ってニューヨーク探検、それも女漁りをしようというのだから、底の浅いことこの上ない。フランクシナトラが出ている。これといって特色のない人だ。
もう一人の水兵、たしか「イースターパレード」で、抜群に面白いレストランのウエイターをやっている(ジュールス・マンシュインという舞台喜劇役者)。


何のつもりでこんな浮薄そのもののような映画を撮るのか、不思議である。楽しけりゃいいのか、である。だいたい1日で帰艦する人間の愛情なんてたかが知れている。誰か一人は帰艦せず、くらいの意気込みがあれば、この映画はもっと面白くなっただろうが、それでは軍紀違反ということになってしまう。だから、基本からこの映画は間違っているのである。


*なぜ面白い、なぜつまらない
紳士は金髪がお好き」と「王様と私」を見た。というか、どっちも15分ぐらいは我慢したが、それ以上は苦痛で、見るのをやめた。そのあと、2004年版ケルシー・グラマー主演「クリスマス・キャロル」(有名なのは1970年版のもの)を見たら、そのまま引き込まれるように最後までいった。さて、この違いって何なんだろう。「踊る大紐育」がダメで、「イースターパレード」がいいのはなぜか。ミュージカルに限らず、映画が面白いとかつまらないとかいうのは、どこに違いがあるのだろう。
別項でそれを「映画的リアリティ」という曖昧な言い方で触れたつもりだが、「イースターパレード」も「クリスマス・キャロル」も絵空事を題材にしているのは他と変わらない。前者ではのっけからアステアが踊りながら登場する。後者も証券取引所の群衆がクリスマスイブを祝うという荒唐無稽な始まり方をする。それでも、別に何らかまわない。


ぼくはかねてから映画はリズムが大事だと考えている。それぞれの映画に、あるいは映画の脚本には体内リズムとも呼ぶべきものがあって、それをうまく表現しえたときに名作になり、リズムを間違ったり、不規則だったりすると凡作、あるいは駄作に終わるのではないか。もちろん、いい脚本であることは大前提だが、不良脚本でもリズムさえうまく付けられれば、そこそこの映画が出来上がるのではないか、とさえぼくは考えている。俳優の演技だとか撮影の巧拙などは、ここでは省いて考えている。


先だって、大ヒットシリーズの久々の新作「ロッキーファイナル」と「ダイハード4.0」を見た。どちらも実に手練れの映画で、十分に楽しめた。「ロッキー」は堪えて堪えて爆発する往年のパターンを堂々と踏み、「4.0」もノンストップ・アクションののりを最大限にまで拡張させた。お見事と言うしかない。客もよく知っていて、どっちも大入りだった。両映画が提示するリズムに乗っているだけで、しあわせな気分になれる。その「ダイハード4.0」がパクったのではないかと思われるのが「トレンスポッティング2」である。主役がマイナーだけで、映画は超一流である。カンフーから剣道まで、リュック・ベッソン趣味が横溢している。この映画もリズムが抜群である。観客の喜ぶツボ、押さえまくりである。


ぼくは井筒和幸監督の映画が苦手である。見たのは「ガキ帝国」「のど自慢」「ゲロッパ」「パッチギ」ぐらいなものだが、せっかく面白く撮れる題材を、なぜああもつまらなく撮るものかと思う。エンタメにいかないという哲学があるなら分かるが、選んでいる題材は受けねらいなのは明らかで、別にモタモタと撮る必要はないわけである。ぼくが映画のリズムということを考え出したのは、井筒映画がきっかけだったような気がする。


*駄作と傑作の差
「紳士は金髪〜」はハワード・ホークス監督なので、期待して見たミュージカルだが、モンローの演技がうそっぽいのと、相手との演技の間が悪すぎて、見ているのがつらい。「紳士はお熱いのがお好き」にも同じことが言えて、彼女が出てくると、全体のリズムが弛緩してくる。競演のジェーン・ラッセルは貰った台詞が生きているので、光って見える。モンローが人形だから、ジェーンが生きて見えるのは当然か。
王様と私」は子連れのイギリス人女性家庭教師が、シャムという国にやってきて、いろいろと悶着を起こすという話ではないかと思うが、彼女を乗せる船がシャムに近づいて、港で半裸の男たちが待っているシーンで、とろとろと息子と一緒に歌を歌い出すのには、呆れた。すぐにでも異国人との折衝の場面を見たいと思うのだが、機先が削がれてしまう。もうこのあたりから、この映画は無理かな、という気分になってくる。
そのあと、王が何十人といる子供を家庭教師に紹介するシーンは、王役のユリ・ブリンナーが面白いかけ声をかけたり、子供が愛くるしい表情をするので、ちょっと長いシーンだが、楽しんで見ていられる。
ところが、その後ぐらいに、王の歌が始まるのだが、それが何とも間抜けな歌で、大人になるほどに物事をどう考えたらいいか分からなくなった、という内容である。これでは、白人女家庭教師とのいざこざも、さしたる波風立たずに丸く収まって、早めに恋愛関係に入るだろうと、先を見る気持ちが失せてしまった。とにかく、冒頭からずっと間が抜けた映画なのである。
残った「クリスマス〜」は画面に出てくる人物みんなに歌わせるというやり方が貫徹していて、それで最後まで走り抜ける。守銭奴が3人の精霊に自分の悲惨な姿を見せられて改心するという内容だが、2番目の精霊とのやりとりが少しもやもやしていてリズムが悪いが、あとは緩急がついていて言うことはない。守銭奴が一夜にして善人に変わるのを無理なく見せられれば、この映画は成功なのだが、そんなにうまくいくかねと些少の疑問を残すものの、ある程度得心がいきながら見ていることができる。まだ善人だった頃の過去に戻り、そこでかつての自分や恋人と小さな声でコーラスをするあたりは、哀切である。全員歌唱の哲学を押し通したことが、この映画のリズムを決めたように思う。何度も映画化され、舞台にもなった作品なので、過去の遺産にどこまで寄っかかっているか分からないが。
それにしても、映像が大きく、きれいである。


*「アニーよ、銃を取れ」
ジョージ・シドニー監督、音楽は「イースターパレード」のアービン・バーリン、脚本も「イ−スター」と同じシドニー・シェルダンである。
主演のベティ・ハットンの奇妙な演技、表情が、この映画を生き生きとさせている。山出しの女で、色も浅黒く、背も低く、あばたもある。それが抜群の銃の名手で、惚れた相手がショウビジネスで銃の上手さを見せるフランクというスターだったことで、いろいろな悶着が起きる。
ベティが初めてフランクに初めて会ったときの、腰を曲げ、目を閉じてポカンと口を開いて、顎を突き出す仕草が傑作である。コント55号の欽ちゃんの動きを思い出した次第。ベテイはフランクが甘い歌を歌うあいだ、まるで猫のように頬を相手の胸に擦りつけるようなことをする。


ベティの人気が出てフランクは嫉妬し、敵対する一座に鞍替えするが、お互いの思いが断ちきれず、最後は腕比べでベティがわざと負けることで元の鞘におさまるという、例によってごく単純な映画。


ベティが属する一座は「ワイルドなウエスト」と演し物が得意で、座長はバッハロー・ビル。インディアンをどんどん殺すシーンのある演し物だが、意外とインディアンとの交情をきっちり描き、さらに酋長の意見に白人を含めてみんなが従うなど、偏見や差別だけで撮っていないがのが貴重である。これはコメディゆえの取り扱いなのか、一考に値する問題ではないかと思う。


不思議な映像が見られるのが、第1回目のアニー&フランクの腕比べのシーン。たいていは射撃手の方から空中で割れる的が撮されるのだが、ときおり空中側、つまり割れる標的側から撮った映像が挟まれるのある。たしかにキネ旬あたりで調べるとSFXと出てくるので、このあたりのことを指しているのかもしれない。


ヨーロッパ巡業では各国の王族、貴族を相手に演し物をやるが、勲章をたくさん貰いはするが、まったく稼ぎにはならない、という皮肉が効かせてある。それにしても、西部劇のドンパチを欧州の人間が楽しんだとは意外である。


和田誠氏はこの映画をミュージカルの傑作の1つに挙げているが、怪作と呼ぶなら、ぼくもその意見に賛成である。ベティなしで成立しない映画で、強力な女優さんもいたものである。


冒頭のシーンで、汽車で巡業地に着いた途端、客寄せのちょっとしたショーをやるのだが、これは「ショウボート」と同じ演出である。この作品が50年、「ショウ・ボート」が翌年、ということは「ショウ・ボート」のほうが真似た可能性が大きい。


*「ショウボート」
舞台で大ヒットのなったのを映画化したらしい。喜志氏の内容解説では複雑な構成だが、映画ではかなりシンプルにされている。人種問題が大きなウェートを占めるミュージカルだが、映画ではそれも希釈されている。喜志氏は、複雑な問題はミュージカルに合わないし、それだけ大事な問題なら普通の映画でやるべきだ、との説である。「キャバレー」というナチスの不気味な浸透を描いたミュージカルを見たぼくとしては、この意見は首肯しかねるところである。ただ、「ショウボート」はミュージカル舞台史上、画期的な作品と言われているのは確からしい。やはり歌とセリフの距離の取り方に、従来とは違う知的な配慮が働いているらしい。


全編に繰り返し歌われるのが黒人による「オールマンリバー」。大きな船を舞台にショウを繰り広げる一座の主役級の夫婦、実は女が黒人系で、白人と結婚しているのは違法ということで、一座を追われる。その女を演じているのがエヴア・ガードナーで、化粧を少し色黒にしているが、後半でやつれた風情で登場するところなど、実にキレイである。


少なくとも映画の出来としては2流、3流であろう。というのは純情可憐な主人公と一緒になる賭博師が、“悪”の面を一切見せない善人で通すからで、深みや哀れさが出てこないのである。ここらあたりは当時のミュージカルの限界ではないだろうか。人間の“悪"を描くほど成熟していない、という意味である。