小津を斜め後ろから

kimgood2009-07-30

ほかで散発的に書いていた小津がらみのものが増えてきたので、ここに別に立てることにしたが、その移動作業を間違い、「風の中の牝鶏」と「東京物語」の評を無くしてしまった。うろ覚えで書いておくが、改めて見て感想を記したい。「小早川家の秋」もけっこう長い評を書いたが、無くしてしまったらしく見あたらない。これもあとで見て、感想を記すことにしたい。


おそらく何を書いても、小津のことは誰かが触れているのだろうと思う。だから、ぼくはできるだけ誰も書きそうもない小津を書いてみたい。うまくいくかどうか分からないが、「斜めうしろ」とタイトルに入れたのはそのつもりだからである。小津映画に使われている英語レベル、意外なコメディタッチ、しつこい演出法、全体の構成の巧みさ、子どもの扱い方、おやじ的エロ、近親相姦、東京という仕掛け、などなどである。



*「風の中の牝鳥」(D)48年
脚本斉藤良輔。夫(佐野周二)の復員を待つ妻が子どもの病気(大腸カタル)もあってお金に困り、一度きり体を売る。ところが、夫が帰ってきて、真相を話す。夫は妻を許すことができない。妻の言う月島の曖昧宿を突き止め、女を買おうとするが、その気になれず、かえって相手の女に堅気の仕事の世話をすることに。言葉では夫は許したというが、けっして心からそう思っていない。またいざこざがあって、妻を階段下に突き飛ばすかたちに。だが、夫は「何ともないか?」と言いながらも、凝然と階段下の妻を見つめ、手出しもしない。妻は腰にでも打撲を受けたか、ねじれた姿で階段をはい上がろうとする。それが俯瞰で撮っているので、鬼気迫るものがある。そのあと、夫婦和解ということで抱き合うが、それはそういう結末をつけただけに過ぎない。


妻が売春する直接的なシーンは一切、小津らしく省略されていて、部屋の調度と、ことがすんだあとの客の会話(「どうだった、具合?」「言うこときかないんだ、俺」)でそれと分かるように暗示している。これは、その時代の制約ということになるのだろうか。しかし、田中絹代が売春したと告白したときに、夫の目つきが変わり、妻を犯すシーンは小津調とはかけ離れて、多少は迫力がある。田中が短い声を出すのも、小津らしくない。


らせん階段の付いたビルと洗濯物の絵が、何度も何度も映される。このしつこそ、ぬけぬけとした感じにイライラとしてくる。ぼくには工夫の足りない、怠慢と見える。ちょっと意外なのは、夫婦の間借りする部屋が洗濯物が室内に干されていたりで、非常に雑然としていることである。小津の一糸乱れぬ部屋ばかり見ているぼくとしては、小津がこういう乱雑な構図をよくぞ撮ったものだと思う。


四方田犬彦が「月島物語」のなかで、この映画について触れている。田中が身を崩した売春宿の位置も詮索している。月島が東京中心部に対してもっていた意味と関係性が、この売春の一件に透けて見える。


この映画を、野田高悟は気に入らなかったらしい。興行成績も悪く、戦後、リアルな深刻路線に行こうと思った出鼻をくじかれた格好で、以後、野田主導で鎌倉あたりに住む中流家庭に起こるさざなみのようなあれこれを描くようになる。



*「麦秋」(T)51年
麦秋」は例によって結婚に行き遅れた原節子28歳を巡る話である。最後には兄の笠知衆の部下の二本柳寛と結婚することを決める。それは秋田の県立病院の内科部長として赴任する前日の決断である。遠くばかり見ていてそばにあるものの良さに気づかなかった、と原は表現する。


冒頭のシーン、2人の甥っ子のうち小さいのに顔を洗うように原が言う。弟は洗面台に行き、タオルを濡らしただけで食台に戻る。「洗ったの?」「嘘だと思うならタオルが濡れているよ」と答える。ここが第一の笑いの場面。
次が900円もするショートケーキを3人の大人が食べているところへ長男が起きてくる気配。さっと3人が卓袱台の下にそれを隠すところで笑いが起こる。
さらに原の結婚が決まり、すき焼きらしきをものをみんなで食べて、子供もお腹いっぱい。すっと立ち上がる兄のほうに「どこ行くの?」と母の三宅邦子が訊くと「ウンコ」という直截な返事で家族も観客も爆笑。


この映画では兄夫婦、祖父母は安定感のあるペアである。原と淡島は友達で、どちらも未婚で不安定。彼女たちの友達は結婚していて、波風は立つが一応安定しているらしい。つねに原はその不安定さを指摘され、意識させられる役回りである。その彼女が妻が病死し一子ある男との結婚を決意する。その対抗馬は42歳の独身初婚の、ある会社の専務さん。原は言う、「40歳で未婚よりは、子供のある男性のほうが信頼が置ける」。これって最後に原が放った意趣返し、あるいは逆セクハラである。



*「お茶漬けの味」(D)52年
小津が徴用のあいだに構想した映画ということになっている。52年の作。
珍しいことにタクシーの中の様子から始まり、車外も写す。劇の中ほどでは列車から後ろに流れる橋桁まで写す。こういうことをしない監督だと思っていたので、意外である。


中年の夫婦の危機を扱っているわけだが、方や長野の田舎の生まれ、方や東京のお嬢さん、それが見合いで結婚したのだから、最初から夫婦の危機はあったわけである。夫は和室、妻は洋室で暮らす夫婦である。夫はタバコは朝日が好きだし、列車は3等が落ち着くと言う。夫が猫めしで音を立てて食べるのを毛嫌いする妻、注意されて素直に謝る夫。夫は妻が悪いとは考えていない、それでも少しは理解をしてほしい、とささやかな願いを持っている、実に温良な夫である。この柳に風のような夫を佐分利信が演じている。妻は木暮美千代。


結局はヨリが戻り、夫は「夫婦はお茶漬けの味みたいなもの」と妻に言う。小津はあまり主題をあからさまに言わないタイプに思ったが、この映画ではその押さえが利いていない。先の和洋の部屋の違いなども露骨である。


当時とすれば、先端の風俗がふんだんに盛り込まれている。競輪、プロ野球、海外(ウルグアイ)出張、歌舞伎座でのデート、あでやかな洋装店、元気な女たちの会話、バーでしか飲まない男たち、新種のゲームパチンコ……地方でこの映画を見た者は、そのハイカラさに目を見張ったのではないだろうか。先走った風俗を見せるのが、ホームドラマの特徴である。それはいまもって変わらない。それにしても、夫が、プリミティブで、インティメントな関係でありたい、などと変な英語を使うのには笑ってしまう。小津先生、やり過ぎです。


それと、家族の崩壊の予感みたいなものが小津のテーマだが、これも当時とすれば先端のテーマだったのではないか。50年代、60年代、誰が家族の崩壊を危機意識をもって捉えていただろうか。小津映画の細部には、つねにこの危機意識が希釈されて回っているので、へんぽんと翻るシーツや、かならず2本、3本と並んで立つ工場の煙突がダルな感じに見えないのではないか。


夫婦がヨリを戻すのに重要な役目を果たすのが台所。女中に任せっきりで女房は何がどこにあるかも分からない。「これ、どう?」と見せるのがハム。夫は「いやお茶漬け」。また妻が訊く、「これは?」と見せるのがパン、夫はまた「お茶漬け」と短く答える。2人があれこれとお茶漬けの材料を探すのを、じっと撮るのが、この映画の白眉である。妻がぬか漬けを洗うシーンで、濡れないようにと着物のたもとをすっと夫が引く。何気ないシークエンスだが、2人で日常を共有するという意味で、まったき成功を収めている。小津が、日常の些事にこれだけ踏み込んだのは初めてだったのではないか。「おしたじ」などと古雅な言葉も聴ける。
びっくりするのは、2人が戻ってきた和室が真っ暗なことである。明かりを点けて食事が始まるのだが、突然の真っ暗シーンなどかなりドッキリものである。ホラーじゃないんだから。


日常のしみじみとした感覚をじっくり撮る感覚は、健さんの「駅」の、倍賞千恵子との10分を超える掛け合いのシーンを思い出させる。ちょっとした会話、酒を出す女、それを受け取り傾ける男、テレビからずっと流れる八代亜紀の「舟歌」……ぼくはこのシークエンスが大好きである。それと似た味わいを、小津の映画で感じるとは異なものである。
ところが、この淡彩のシーンのあとに、妻が夫との仲直りを友に語るシーンがあって、いかにもしつこい。しかも、家庭内の夫と外で働く夫には違いがあって、前者で後者を計るのは無理がある式の発言がある。男は一歩外に出れば7人の敵がいる、という諺が思い出される。しかし、これってほんとのことなのだろうか。どうも胡散臭い。家庭がダメなら仕事もダメというのが、真っ当な考え方ではないのか。


ラストが意外な終わり方で、若い恋人同士、鶴田浩二津島恵子が公園を歩き、電話ボックスなのかいくつか並んでいて(これが何なのか知りたい)、そこに出たり入ったりの軽いユーモアタッチで終わるのである。これも小津にしては珍しいことである。


小津は、父親が本家が営む乾物の卸商に勤める下町っ子、それが台所に入ったこともない上層の人間を扱うようになったわけで、「戸田家の兄妹」もそうだが、妙にお尻がソワソワする。戸田の末っ子がとんでもなく丁寧な言葉を家族に遣うのを聞くと、こっちが気恥ずかしい。ヴィスコンティがその出自もあって貴族の没落を撮るのは分かるが、小津先生、やり過ぎじゃありませんか。


*「東京物語」(D)53年
この作品は妙に粘っこい。老夫婦が東京にうんざりして田舎に帰るのをじっくり撮り、しかも帰郷してからも長々と続く。けっして淡泊な映画などではない。ぼくは小津の執拗な意思のようなものを感じる。


*「早春」(T)56年 
淡島千景特集である。「早春」「麦秋」と2本見たあとご本人が登場した。まったく別人のご様子で、スクリーンで親しんで作り上げてきたイメージこそわが淡島千景なのである。彼女は小津作品にあとひとつ、「お茶漬けの味」に出ている。
何度も見ている映画だが、ちょっと思いついたことを記してみたい。


「早春」は中年夫婦の危機を扱ったもので、その隙間にキンギョというあだ名の岸恵子が割り込んでくる。彼女は仲間から「ズベ公」と言われていて、煮ても焼いても食えないからキンギョの名をいただいている。淡島と池辺良が夫婦で、ひとりっ子を疫痢であっけなく亡くしている、という設定である。最後は夫が田舎に転勤になり、それを追いかけることで元の鞘に戻る。
小津作品のなかでは、はっきりと不倫場面を描いている点で異色である。といってもお好み焼き屋の個室でのキスシーンと、連れ込み旅館での朝のシーンだけなのだが。
全編、サラリーマン生活への呪詛のようなものが溢れている。同じような時刻に家を出て、同じ電車に乗って、同じような昼飯を食い、夜は夜で麻雀に明け暮れる、そして定年を迎える、というわけである。病死する同僚、酒場で会う定年間近の男、途中でサラリーマン世界から足を洗ったバーの亭主……砂を噛むような思いがしてくるのは、ぼくだけではないだろう。
どういうわけか池辺良だけは、これといって焦りも悩みもないようである。人は悩みを語りながら実はそこからどうしても離れられずにいる、ということが多いが、池辺のような人間はどこかでふっと横道に外れていってしまう人間なのかもしれない。キンギョや妻が彼を慕うのは、そういう人外の匂いがするからではないのか。


病死する同僚は、修学旅行で夜でも煌々と光る丸ビルを見て憧れ、いまそこに籍を置きながらも病床にあることが歯がゆいと言う。ぼくは小津が繰り返し丸の内とおぼしきビル群を写すとき、とても晴れやかな気分で撮っているように見える。そうまるで田舎の青年が見た丸ビルのように。同じように黒煙をもうもうと吐き出す巨大煙突も、なんと小津は晴れやかに撮っていることか。繰り返し繰り返し撮り続けた風になびく洗濯物と対極にあるものとしてそれらのビルや煙突がある。


田中春男や高橋貞夫などが池辺の仲間なのだが、実は朝の通勤電車仲間で、会社の同僚などではないところが面白い。よく現地の飲み屋で顔見知りになり徒党を組むということがあるが、そういうつながりでもないらしい。どうして彼らが集団となったのかという具体的な説明はない。


池辺夫婦の隣というのか向かえというのか、よく顔を出すのが杉本春子で、その夫が宮口精二。かつて玉突き場の女を囲っていたことがあり、部屋に踏み込んでみると、女物の着物を着てかつぶしを掻いていたという。そこへ、化粧が濃くて、金歯がそろった女が豆腐を持って帰ってきた。「それからどうしたの?」と淡島が訊くと、「そこらじゅう豆腐だらけ」という返事。ちょうど夫が帰ってきて、服を脱ぐ間もなく「かつぶし、掻いてよね」と頼む。ステテコ姿で足でかつぶしの箱を挟んでしゃりしゃりやり出す姿に、また笑わせられる。この一連のシーンは小津流ユーモアの秀逸な証しである。



*「東京暮色」(D)57年
小津作品で、てっきり「東京物語」以前の映画、下手をすると「風の中の雌鶏」に近い作品ではないかと思って見ていたが、あとで調べると「物語」以後に撮られた作品だった。音声が悪いせいもあったが、主題の深刻度が「風の中の〜」に似ていたからである。誠意のない大学生に惚れて身ごもったのが二女あき子、有馬稲子が演じる。夫に嫌気がさして家に戻っているのが長女の原節子、一人子どもがいる。銀行勤めの父親が笠智衆、それを捨てて子どもたちが小さい頃に男と駆け落ちしたのが山田五十鈴、現在の情夫が中村信郎である。有馬と大学生をくっつけたのがバーテンダー田中春男で、これがあっちこっちに顔を出すのが、小津演出では珍しい。あきらかに狂言回しの役を振っている。
田中たちが通う雀荘の持ち主が山田五十鈴で、彼女は二人の娘の消息を聞こうとする。それが有馬に伝わって、母親かどうか確かめに来る。有馬は、自分は父の子ではないのではないか、と疑っているのである。
いくつか小津らしくないシーンがあるので、それについて触れていきたい。笠の妹役を杉村春子が演じているが、一緒にうなぎを食べに行こうと言ってから、はばかりに立つシーンがある。会社の廊下を小走りに行くのが面白い。これは杉村自身のアイデアか。小津は杉村の演技だけは認めていたそうだ。
それと、いくつか露骨な表現がある。田中や高橋貞吉などの小津常連役者が、有馬を当てこすって、「ケン坊(これが大学生)、痩せたぜ」「お天道様が黄色く見えるぜ」などと性的なことを言う。年寄り連中にその種のことをいわせることはあっても、若い連中にそんなことをさせただろうか。あるいは、中村が山田に北海道へ就職に行こう、一緒に住もう、と言うときに「寒いのに一人じゃ寝られないよ」「二人ならあったかいぜ」などとかきくどいたりする。有馬たちが通いつけている中華屋の名が「珍々軒」なのは、きっと意図的だろう(ほかでも珍々軒を使っているが。*あとで松竹蒲田の撮影所の前にこの名前の中華屋があって、小津はよくそこに行っていた、と知る。余計な推測はしないものだ)。
有馬が深夜まで大学生を待っていた喫茶店に刑事が張り込んで、挙動不審というので有馬を所轄署に連れて行く。署内では聞き取りが行われていて、しょぼい初老の男に警察官が「女の下着を盗んだろう」と訊き、男がおかまのような声で「いいえ」と答えるという変なシーンもある。
いちばん奇妙なのは、有馬が捕まった深夜喫茶である。けだるい客の様子をまったりと撮し、ある男が入ってきて、中の女が近づいてそのまま外へ出て行く、という変な演出がある。小津先生、何をやりたかったのでしょう。


田中が次女の有馬稲子に、雀荘の女(五十鈴)がお前のことを根掘り葉掘り訊いていたぞ、と言うのは、映画のかなり早い段階である。その意味が分かるのに、しばらく時間がかかる。しかも、杉村は高島屋のエレベーターでばったり五十鈴に会った、と兄の笠に言う。「中村も一緒で、強引に話を聞き込んだ」と彼女は言う。こんなふうに、まるで漱石的な謎かけで物語は進み、しかも堕胎という重い主題を描く、という意欲作である。
ぼくは、小津は「東京物語」あたりになれば、「雌鶏」が持っていた深刻性を捨てて、あくまで中流家庭の表面の波立ちを描いた監督というイメージだったのだが、これは意外である。やはり小津には、深刻なテーマで撮りたい、という欲望が常にあったのかもしれない。
それにしても、独り身の父親が、実は女房に逃げられた結果だというのは、自分の映画のネタ晴らしをしているようで、そういう意味でもこの映画は異色ではないだろうか。冒頭から音楽が軽妙なので変だな、とは思ったのだが。
次女は最後に列車事故であっけなく死ぬが、そこまで罰を加えなくてもいいのではないか。えてして、こういう場合、処罰した相手に作者は愛情がある場合がある。言ってみれば照れ隠しである。56年に岸恵子で「早春」を撮り、彼女で何作かいくつもりが、翌年結婚して渡仏してしまった。その代わりに有馬を立てたのではないかという気がする。あき子の友達連も、「早春」の引き写しだからである。


もう一つ、小津にとって「東京」とは何を意味したのか。彼は自分の生まれた深川、あるいは下町を、少なくとも戦後は一切撮らなかった。彼の父親は豪商湯浅屋番頭とウイキペディアに出ている。9歳で伊勢松坂に移住している。芥川龍之介は本所の生まれで、『今昔物語』と切支丹ものでデビューし、吉本隆明は月島の生まれで『マチウ書試論』が処女作である。なんと出自から遠いことか。小津の「東京」にも似たものを感じる。架空の、あるいは他人の東京を撮る──そのことの意味は何か。


*「お早う」(D)59年
小津、59年の作である。あと4本を撮って小津は入滅する。意外な感に打たれるのが、ここに来てなお喜劇、それも子どもを主人公にした映画を撮ったということである。小津が子どもの扱いのうまい監督だったかどうか知らないが、「早春」での扱いを見ても、子どもの邪気のなさと、その一方の野性とこまっしゃくれた様子など、十分に描き込んでいる。


この映画はなかなか複雑な構成で、しかも申し分のないかたちでその結構が収まっている。主題は、人はよけいなことばかり話すが、大事なことはなかなか言わない、ということである。しかも、ときにその「よけいなこと」は人生の潤滑油でもある、という。


舞台は新築の棟割り長屋である。いちおうモダンな家という扱いである。もっとモダンなのは団地で、そこへ行くには経済的に無理、それに抽選の倍率が厳しい、といったこで長屋住まいの3家族が登場する。


子どもたちのあいだで変な流行がある。指で相手の額を押すと、押された相手がプッとおならをする、という遊びである。子どもはそれに熟達するために軽石を削って食べるようなこともやっている。杉村春子の息子はお腹を下していることが多く、そのおなら遊びをすると、きまって中身が出て、たとえ登校途中でも家に帰らざるをえず、しかも母親である杉村が替えのパンツをなかなか出してくれないので、「パンツ、出してくれよぉ」が口癖になっている。この映画の冒頭は、そういう尾籠なところから始まる。指で額を押す、ぷっとおならが出る、といった遊びには、まったく「よけいな言葉」は関与してこない。


笠知衆の二人の子は、テレビが欲しくてしょうがない。近所の子が相撲中継見たさに集まるのが大泉洸夫婦の部屋である。妻はキャバレー上がりで、二人ともガウン姿で過ごし、近所の散歩もその姿である。近所の評判はすこぶる悪い。妻がジャズを唸り、夫がエアーベースを弾きながら後をつけ、棟割り長屋のあいだを歩くシーンがある。


親はあそこには行くなと言う。すると子どもは、テレビを買ってくれと当然の要求を出す。あれこれ言うので、笠が「子どもはよけいなことを言うな」と叱る。子どもは子どもで「大人だって『ああそうですか』『どうもそれは』と意味のないことを言っている」と反論する。とうとう、子どもは口を利かない挙に出る。


そのまえに、狭い長屋での近所づきあいの煩わしさが描かれる。婦人会費を払ったけど組長(杉村)が会長に払っていないらしい、笠の妻(三宅邦子)は小さなことでも根にもつとか、すべて目の前にいない人間の悪評である。先に挙げた「よけいなことばかりで大事なことは言わない」がここでまず顔を出す。そして、笠と子どもの喧嘩も、結局はそのことを巡ってである。おかしいのは、小津映画のセリフはほとんど「よけいなこと」ばかりで、この映画には自己批評している気配がある。


笠の部屋に同居するのが妹の久我美子である。彼女は会社の仕事で、団地に住む佐田啓二に技術的なことを書いた英語のペーパーを翻訳してもらっている。佐田はテクニカル・タームなる英語を使う。彼は勤めていた雑誌社が潰れ、今はルンペンの身である。ここにもユーモアが仕掛けてあって、いま長屋の親たちは子どもに英語を覚えさせるのに佐田のところに通わせているが、その先生が英語ができても無職だというのが皮肉である(ちなみに、笠の長男は「サンキュ、マダム」と言い、次男は「アイ・ラブ・ユー」と言う。日本映画に登場する英語レベルということでいえば、小津映画は高い、と言えるだろう。『お茶漬けの味』を見よ)。
久我と佐田は相思相愛の気配なのだが、どちらもそれを言い出せず、ここでも「よけいなこと」ばかり喋っている。しかし、笠の子の失踪事件で佐田が骨折りしたのが効いて、二人の関係は一歩進んだようになる。というのは、翌朝の通勤ホームで二人が顔を合わせ、いつもの無意味な小津会話がしみじみ繰り返され、二人はいかにも心を通じ合ったかのように幸福そうな顔をするのである。


上でもいくつかこの映画のユーモアについて触れたが、さらにいくつか拾い出してみよう。
*笠の隣の部屋が高橋とよと竹田浩一の夫婦。竹田は始終おならをする男で、妻はその都度呼ばれたと思って返事をする。しかも、竹田はガス会社勤務。
*杉村が婦人会費を持っていかないのは、洗濯機を買ったから、そっちに回したからだと言われる。笠の子たちはテレビを買ってもらって無口の業をやめる。笠の部屋の向かいの東野英次郎は定年で職探しをしていたが、電器屋の営業の職を得、その祝いに笠がテレビを買ってやるのである。笠の妻が急に陽気になったといって、その理由を近所の妻たちは「きっと電気コンロか何か買ってもらったのよ」と噂する。屋内、屋外の人間関係まで家電製品に引きずられる様子が描かれている。

*笠の子が口を利かず、ジェスチャーで「学校に給食費を持っていきたい」とやるが、大人に通じない。

*押し売りが鉛筆、たわし、石けんを売りつけに来る。みんな断るが、そのあとに防犯のブザーを売る男がやってくる。前者はいかにも粗悪品を高く売りつける男に見え、後者はいいコートを着て紳士然としている。実はこの二人はコンビで、あとで飲み屋で落ち合う。

*杉村の母親が怪優の三好栄子である。給食費を渡すのを忘れていたことを指摘され、しかも「お婆ちゃん、そろそろ楢山だよ」とまで言われて、次のような悪態を吐く。「あんな無能な亭主と一緒になりやがって」「あんなガキをひりだしやがって」ととにかく口が悪い。長屋の向こうの高い土堤で、数珠をもってお日様を拝む、何か新興宗教にも凝っているようである。

*ラストのシーンが、風にそよぐパンツである。


すべての題材がみんなそれぞれに後で効いてくるような知的な作りになっている。小津が才気を見せた、といった風情である。笠や東野が立ち寄る飲み屋に菅原通済がいて、笠と藤原はテレビ総白痴論に賛成、杉村の夫で教師の田中春男は否定でも肯定でもない。はからずも小津のテレビ評が出ている。珍しいことである。



*「小早川家の秋」(D)
舞台は奈良あたりか、造り酒屋の主人・中村雁治郎の老いと恋と死を扱っている(映画解説では京都・伏見が舞台となっている)。全編にわたって○と□のイメージをしつこいほど使っている。白壁にもたせかけた大きな木の桶(酒作りに使うものか)、電灯などが○、障子やなまこ壁の模様などが□。それを合図にほかの画面に飛ぶようなことをやる。つまり、桶を撮したなと思うと、家族で出かけた料亭のとんぼりへと映像が切り替わるのである。


もう一つ、ほかの映画でもよくやるのだが、こちらから向こうを撮し、どんづまりが壁。つまりTの字を思い描くと分かりやすい。下に伸びる線を会社の廊下とすると、こっちへ向かって人がやってくると必ずTの横棒の右から左へ決まって人が通る演出をやるのが小津である。それは決まってそうなので、笑っちゃうほどである。この映画では室内の障子が開け放たれていて、向こうの白壁が見えている。その映像になると、すぐに右から人がやってくるのである。これは小津のお約束である。


雁治郎がいそいそと馴染みの女、といっても薹が立った浪速千栄子であるが、その女の元へ忍んで行くのだが、家族のみんなにはバレバレである。箪笥の引き戸を開けるときに、右足をすっと立てる仕草をする。それは形をきれいに見せるための工夫ではないかと思う。浪速千栄子の家でのあれこれは、見ていてとても気持ちいい。何かこういう男女の文化が失われたなあ、と思う。


森繁先生が成金役で、原節子の見合い相手で登場するが、このときまったく小津は演技をさせなかったと森繁は言う。だから、二流の監督だというのが彼の評である。森繁あって言える言葉である。東宝はどうしても小津に自社で撮ってほしく、原節子をはじめいろいろな女優を貸し出している。その見返りでこの映画は東宝で撮られている。森繁にすれば、ホームグランドに来て、何してけつかんねん、だったろう。


雁治郎が死んで焼き場のシーンが有名である。手前に川が流れ、そこで笠智衆望月優子の老夫婦が野菜を洗いながら、ゆっくりと煙突から上がる煙を見て、「いんぐりまんぐり人が生まれてくる」といったことを言う。生死流転といったところだが、ぼくはこのシーンはいただけない。抑制の利いた演出家が、こう露骨なやり方でテーマをしゃべっちゃあ色気も何もなくなってしまう。妙に抹香臭いのも気にくわない。小津には「風のなかの雌鶏」「お茶漬けの味」など、時折、テーマを表に出したがる癖がある。というか、それが地なのかもしれないのだが……。


*長屋紳士録
昭和23年の作で、小津と池田忠雄の共同脚本。小津は子どもの扱いがうまい。この映画に出てくる子も演技は下手くそだが、見ているとじわっと味が出てくる。笠知衆が八卦見で、九段の雑踏で父親とはぐれた子を長屋に連れてくる。青木放屁という修繕屋に頼むが断られ、向かいの飯田蝶子に無理矢理預ける。この飯田があの仏頂面で、ぶーっと頬を膨らませて睨むのには笑わせられる。飯田の得意芸のはずだ。子どもが「おばあちゃん」と言うと「おばちゃんだろ」と即座に訂正するおかしさ。この頃の小津も、後年のように俳優の箸の上げ下げまでうるさく言っていたのだろうか。


次第に気持ちが移って、自分の子として引き取ろうと思ったときに、生きはぐれた父親、小沢栄太郎がやってくる。イモの手みやげに身なりもこざっぱりとし、言葉遣いも悪くない、というので飯田は子どもを気持ちよく返す。そのあと、しみじみ子どもが欲しい、と笠と青木に洩らす。「今さらおせぇや」と茶々を入れられるが、「養子だよ」と答える。


長屋の舞台はどこか。川で子が釣りをする後ろにディズニー張りのおかしな建物が映る。あれは何か有名な建物だろうと思う。長屋の周りは近代ビルが立ち並んでいるから、都内であることは確かである。例によって、煙突に洗濯物を小津は撮す。


蝶子の幼なじみが粋な着物で奥様ふう、2度顔を出すが、蝶子が子を叱りすぎたと反省すると、あんたはただでさえ顔が怖い、と言う。この2人のあけすけな感じが気持ちいい。蝶子は向かいの家に行き、帰り際に決まって「じゃあ、ごめん」と言って返ってくるのが面白い。成瀬の「兄と妹」でキャバレーに勤める妹が実家に帰るたびに「こんにちは」と言うのも変わっていると思ったが、「じゃあ、ごめん」もすごい。日本人の挨拶言葉は戦後、かなり変遷したことがわかる。


冒頭のシーンが変わっている。画面左に青木がいて、右に誰かいる様子で長いセリフをしゃべっている。何となく女と切れるための弁明のように聞こえる。「よくせき」などという懐かしい言葉も聞こえる。そこへ、笠が迷子を連れて帰ってくるのだが、青木に「誰としゃべってたんだ?」と聞くが、青木はごまかす。何か芝居のセリフでもやっていたのか。子どもを茅ヶ崎に返しに行くのは誰がやるかのくじ引きをして、蝶子が当たり、言う言葉が「あやが悪いや」である。ニュアンスは分かるが、今の言葉にすると何だろう。「ケチがついた」みたいなところか。


子どもが2度目の寝小便をして家出をし、また笠に連れられて帰ってきて、2人になるシーン。どちらももぞもぞして、元の歯車に戻すのに遠慮がある感じがいい。馴れてきて、肩たたきを頼むところもほろっとさせる。小津はこのあたりを撮りたかったのだろう。最後に、現代の子は世知辛いと批判したのは間違っていた、「いじいじ、のんびりしてないのはこっちだった」と反省する。その写し方が、社会告発っぽい。蝶子が子が欲しいと言ったとき、青木が上野に行けば欲しい子が見つかるさ、と言う。ラストは上野の西郷さんの周りにたむろする子どもたちの映像。昭和23年の時点で上野はそういう状況だったのかと思う。阿佐田哲也が徘徊していたころの上野である。小津が珍しく社会派的な顔を見せるところだが、戦前は左翼的な、「傾向」作家といわれたらしいから、これが本来の小津の姿勢なのかもしれない。


小津のコメディタッチの上手さを言うべきである。小津を祀り上げると、当たり前のものも見えなくなる。晩年に撮った「お早う」でさえ喜劇だったことを思えば、彼への評価も違ってくるはずだ。


彼岸花
小津、昭和33年作、初のカラー。父親佐分利信、母親田中絹代、娘有馬稲子、桑原みゆき、有馬の恋人佐田啓二。大阪の旅館の女将浪速千栄子、娘山本富士子。佐分利の中学の同窓の一人が笠智衆。例によって娘の結婚ものだが、有馬は父の勧める見合い話を断り、佐田との結婚を決意する。父親の反対があろうが突き進むと宣言。これは、笠の娘も、山本富士子も、みな同じ考えである。最後に父親は妥協し、子の幸福が親の幸福だと折れる。父親第一におもんぱかる原節子的な娘はもういない。佐分利がしきりに山本に向かって、結婚を勧めるが、独り身で通した小津は何を考えていたのだろう。大阪の旅館とどういう関係なのかは、まったく説明がされない。


*浮草
昭和34年の作、もちろんカラー。色の遊びをやっていて、駅舎待合所の上部に子どもの絵なのか稚拙な感じのものが貼られている。床屋のドアは黄色と赤の色ガラス、置屋の酒の燗をつけるオヤジの頭上には大きな魚拓がある。旅の一座がやってきてしばらくはコメディ調である。なかでも若尾文子が子どもと一緒に踊るシーン、子どもの可愛さにおひねりが飛んでくるが、そのたびに踊りを止めて子どもがそれを着物の胸にしまい込む。踊りをきっちり覚えていないらしく、若尾のマネをするが、ちぐはぐである。


一座の親方が中村鴈治郎、その内縁(?)の妻が京マチ子若尾文子は二代続けて同じ一座に厄介になっている。父親は旅先で亡くなっている。三井弘次、田中春男、入江洋佑が男の座員で、3人でひなびた漁港の置屋に暇を持てあまして飲みに出かける。そこにいる商売女が桜むつ子賀原夏子、とくに賀原が歯が乱杭で、みそっかすで、額に小さな絆創膏を貼っていて、いつもシュミーズ姿で笑わせる。三井は桜に、入江は賀原があてがわれるが、賀原が言い寄るたびに「寒気がする」とか言う嫌みが面白い。3人の男で一番正面の絵を撮ってもらっているのが三井で、小津はお気に入りだったのではないか。田中春男を得がたいキャラクターと称したのは小津だったような……。


鴈治郎杉村春子に産ませた子が川口浩で、旅役者の子と蔑まれないようにと叔父の身になりすまし、巡業の先から仕送りを欠かさない。今度の興行は12年振りという。京マチ子がそれを察知して、若尾に堅気の川口を誘惑させるが、二人は恋仲に。せっかく立派な人間にさせようと思ったのにと、息子を殴りつける鴈治郎。この映画の鴈治郎は存外に暴力的で、若尾も殴るし、京も殴る。京との諍いでは、道路を挟んで大雨を避けた軒の下で、互いをののしり合う、という不思議なシーンがある。なに言うてけつかんねん、どあほ、といった罵声語が飛び交う。それに、川口と若尾のキスシーンが何度かあり、この映画では小津はかなり開放的な感じがする。


田中、入江が金を盗んでドロンしようと話すのを、そんな不義理ができるかい、と威勢のいい三井が、実はひとり泥棒を働いて、逃亡する。和歌山・新宮に先乗りさせていた座員も帰ってこない。一座を解散して、親方が向かうのは、世話になったことのある人がいる桑名だと言う。駅の待合に京がいて、鴈治郎がタバコにつける火がないのを見て取って、マッチを擦る。鴈治郎は無視、京はまたマッチを逃げるタバコの先に持って行く。やっと鴈治郎は吸い付ける。隣に座った京が、ねえ貸してと言って鴈治郎の手からタバコを取って、自分のに移す。もうここで和解ができているという仕組みである。次は列車のなかで、頭に手ぬぐいを載っけた鴈治郎は、京に差された酒をお猪口で受けて飲み込む。渡された爪楊枝で、京の膝の上にある駅弁から何やら差して口に入れる。列車の後尾灯を後ろから写して、映画は終わる。


一座を解散して、もうかなりの歳かと思われる鴈治郎が、また一旗揚げる、と杉村に言う。そのときは堂々と父親を名乗る、と言って出て行くが、それは杉村を安心させる言葉かと思ったのだが、京にも同じ言葉を言う。最後をハッピーエンドにしたいということなのか、あるいは旅役者の世界にそういう再起の可能性が大きいのか、どっちとも分からない。観客とすれば、ほんまかいな、という思いが残る。