なよなよと強く――溝口健二序説

kimgood2009-03-01

あちこちで書いた溝口映画評をここにまとめていこうと思う。溝口、小津、木下はぼくの三大食わず嫌い監督である。一番が木下、次が溝口、そして小津である。小林信彦御大の『一少年が観た聖戦』で小津に触れた箇所がいくつかあるが、自分が好きなのは芸術映画ではない、というニュアンスである。ぼくも同感で、座頭市健さんで育ったぼくにはやはりこの三人は縁遠い。溝口、小津は芸術派、木下はお涙頂戴物ということで敬遠していた。
これは長く淀川長治に仕えた佐藤有という人が書いている話だが(「わが師 淀川長治との五〇年」)、淀川は小津映画を認めなかったそうである。カット、カットで場面をつないでいくやり方が、流れがなくて疲れてしまう、というのである。それと、短く途切れる会話も気にくわない。淀長さんが好きなのは溝口、黒澤、木下だそうである。
ついでに言えば、スピルバーグも嫌いで、処女作「激突!」が第一で、あとは愚作だそうだ。ぼくは正直言ってスピルバーグ映画はほとんど見る気がしないので、この意見には大賛成である。「激突」はもう10回近く見ているのではないか。「ジョーズ」は2回ぐらい、あとは「E・T」をテレビで途中まで見て止めている。どう言っていいのか、最初から仕組みが見えている映画を単に装置やテクニックで見せられる気がして嫌なのである。淀長さんはスピルバーグの商業主義を嫌っているようである。返す刀でオリバーストーンもやり玉に挙げ、「プラトーン」を指して反戦の魂がない、とこき下ろしたらしい。
知り合いから、淀長が厳しい言い方で「タイタニック」を批判したと聞いたことがあるが、ぼくはあの映画も20分と見ていられない。なんだか映画のリズムが悪すぎる気がする。それをじっと我慢して見る義理はないのである。
ぼくは映画はそれぞれの見方があっていいと思う。とくに小津を神様のように崇めるのは、いただけない。小津にもいい映画もあれば、だめな映画もある。木下にも、溝口にも、黒澤にもそれは言えるわけで、ひとの評判ではなく我が目でそれを確かめるべきだと、木下映画、溝口映画に一驚しているぼくは、言いたくなる。ごく当たり前のことだが。


溝口に関していえば、誰の評論だったか、彼はつねに庶民を撮った監督だと書いてあったのを読んで、自分の思い違いだったのかと見てみる気になったのである。溝口=貴族趣味と漠然と思っていたのである。戦後、木下映画に文部省推薦と入ったことが、後年彼の評価を不当に低くした理由ではないか、と長部日出雄が著書に書いているが、ぼくは溝口にも似たような匂いを感じていたのである。
しかし、先の評を読んで、「浪速悲歌」「祇園囃子」と少しずつ見始めたら、これが意外と面白いのである。その面白さの所以を語ってみたいと思う。


「浪速悲歌」(D)36年
依田義賢と初めて組んだ作品だそうだ。音も悪いし映像も悪いが、映画はそれなりに見ることができる。山田五十鈴がデビューした映画ではなかったか、実に美しい。のちの毒婦のような彼女を知っているので、清新でさえある(マキノ雅弘の自伝を読むと、けっこう人情家で、忙しいのにかかわらず友情出演などして、マキノの窮状を助けたりしている)。
貧しい家庭を支えるために裕福な男に囲われるようなことをするが、その部屋の造りが妙にキッチュで、人工的である。薄暗い実家で食事のシーンは、きまって喧嘩で、行き場のない感じがひしひしと伝わってくる。
最後、近代的な橋のたもとに所在なげに立っているところに知人が通りかかって声をかけ、それに応えたところでエンドである。ちょっと面白い終わり方である。


祇園の姉妹(D)36年
依田義方脚本、1936年の作品である。賑やかな音楽とともにタイトルロールが流れ、本編に入ると、なにやら討ち入りにでもあったような荒れ方をした室内を横移動で撮っているうちに、人混みが現れる。競りをやっているようだ。男たちが値を付けて手を挙げている。そのまままた移動し、その大店の主人らしき人物を写す。実家に帰る支度の口うるさい女房がわずらわしく、そのまま家を飛び出し、なじみの芸者のところへやってくる。


そこにいるのが姉妹で、梅村蓉子が姉、山田五十鈴が妹。姉は旧弊の人で、妹は男が敵で、だまして金を獲って何が悪い、と割り切っている。さまざまに策をめぐらすが、しまいに騙した呉服屋の番頭に寝首をかかれることになる。怪我をして病院へ入っても、まだ男への闘志を失わないところで映画は終わる。


落ちぶれた大店の旦那古沢(志賀廼家弁慶 )が飄々としていていい。妹に出て行ってくれと言われると素直に従うし、もとの番頭の家に転がり込み、そこを見つけた姉としんみり暮らし始めるが、新しい就職口を遠くに見つけると、「誰かもっといい人を見つけてくれ」と出奔してしまう。悪気はないし、人もいいのだが、そういうことを平気でしてしまう。しかし、こういう掴みどころのないキャラクターは、なかなか造形が難しいし、戦後、スクリーンの上には登場しなくなった部類かもしれない(あとで志賀廼家の軽い演技をコミさんが褒めていたのを知ってすごく嬉しかった)。


この映画でぼくは、溝口作品をリアルと呼ぶのが、少し分かったような気がした。36年の時点で、女の真情をあけすけに描いたところは、やはり新しかったのではないだろうか。このスタイル、あるいは思想は最晩年の「赤線地帯」にまで引き継がれている。


「残菊物語」(D)39年
いわゆる芸道ものといわれるものである。五代目菊五郎の養子菊の助は演技が下手だが、名人の息子とあって誰もがちやほやする。本人もおかしいと気づいているが、真剣に芸を見直す気にはなれない。だが、弟の乳人のお徳だけは違う。彼の芸はいまは下手だが必ず伸びる、と請け合う。それからは、おとくに褒めてほしいがために一途になる。しかし、名代の家の息子が下女に思い入れがあると世間体が悪い、ということで家に帰らせる。それに反発して菊の助はお徳と東京から大阪へ出奔する。やがて旅芸人にまで身を持ち崩し、夫婦の仲も危なくなるが、お徳がじっと耐えて夫の更正の機会を待っている。名古屋に昔なじみの福助が一座を率いてやってきたのに、お徳が駆けつけて「夫の芸は良くなった、だから使ってくれ」と申し出る。福助は自分の役を譲る、叔父貴もそれでいい、菊五郎へも赦免を申し出てやると言う。そのかわり、おとくが身を引くことが条件になる。
菊の助の演技は当たり、東京に凱旋し、菊五郎とも和解し、ようやく大阪へ晴れの姿を見せることになる。その頃には、おとくは病に伏せて、明日をも危ない状況である。家主が船乗り込みの準備に心が急いている菊の助のところにやってきて、彼をおとくのところへ。そのとき、あれほどおとくを毛嫌いしていた菊五郎が、女房のところへ行ってやれ、と優しい言葉をかける。二人は対面し、お徳はうれし涙。夫は、船乗り込みが終わったら帰ってくる、とお徳の説得もあって出かけていく。菊の助が船上で川筋のお客に大手を広げて挨拶をしているころ、そっとお徳は息を引き取る。


誰一人悪人が出てこない作品である。それは溝口映画の特徴ではないかと思われる。主演が花柳章太郎で、軽くて品のいい演技で、山中貞雄の映画に出てくる俳優たちとも共通の明るさを感じる。女に優しくて、外見はひ弱に見えて、実は芯が意外としっかりしている──そういう男が主人公である。これはのちの映画では男性性を強く出す男ばかりになることを思えば、貴重なものとして記憶しておいていいことではないかと思われる。


DVDのおまけで新藤兼人が、「浪華エレジー」「祇園の姉妹」と評論家の評は高くても客の入らなかった溝口映画が、これで儲かる映画になった、と述べている。全体の筋が通俗なのは確かだが、そう感じさせないものが一貫している。それは、菊の助とお徳の関係が偽物ではないからではないだろうか。奈落を含めて歌舞伎の舞台裏の様子を見る面白さもある。ワンシーン、ワンカットで撮っていると新藤が言っている。たしかに、一つ一つの場面をカメラ不動でじっくりと撮っている。芝居がはねて、支度部屋から父親のいる部屋へと移る過程を、俯瞰で、しかも複雑な建物の構造を考慮しながらずっと撮っているのが面白い。道を歩く二人を下から仰いで横移動でゆっくり撮るシーンもあるが、それは3回だけ。
溝口映画は、やはり食わず嫌いをしてないで、早く見るべきだった。


歌麿をめぐる五人のおんな」(D)46年
板東蓑助という人が主役。歌麿が絵に生きる様子を描く。狩野派の絵を魂が入っていないと誹謗し、その一員、小出勢之助を板東好太郎という役者が演じているが、小出が刀を振りかざして脅すと、絵で勝負しやがれ、と動じない。小出が観音の絵を描くと、それにさっと何かを加えて、明らかに歌麿の勝ちだという。
小出が観音を描き上げるのが異常に早く、加えて歌麿が何を加えたのかも分からない、という不思議な導入部である。映像技法が未熟だったのか、こんな程度の演出で良かったのか。


歌麿がスランプに陥ると版元の蔦屋が、ある殿様が浜辺で女を多数裸に遊んでいる、それを覗きに行こうと誘い出す。たくさんの腰元が、腰巻き、胸巻きの格好で浜辺でうち遊ぶ姿を見て、そのなかの一人に歌麿は会って写生がしたいと言い出す。体が頑丈そうでいいと言う。女は承諾しモデルになるが、なよなよ系の女体ではなくがっしり系を選ぶところなどに、歌麿の卓越した美意識を感じる。肌のきれいなおいらんの背に絵を描くときは、直接、その肌に触れて歓喜の声を出す。


さしたる映画ではないが、最後まで見ていることができる。一つ不思議なのは、役者がほかの役者と絡む場合、何か明確な意志の受け渡しをしないのである。ぼそっと喋って、変な間があって、相手が動く、といった感じなのである。これが昔の人のしゃべり方、コミュニケーションの取り方だったのだろうか、と思う。一人、惚れっぽい茶屋のおかみを演じた田中絹代だけが、明確な意思伝達のしゃべり方をしている。彼女が後年も活躍した理由がこんなことからも分かるように思う。


「夜の女たち」(D)48年
田中絹代は戦場から夫の帰るのを待っている。衣服を売りに行くが、そこのおかみに売春を持ちかけられ、見くびらないでください、と断る。しかし、夫の死が分かり落胆、5歳の子どもも引きつけを起こす。一転、上等そうな着物を着た田中と義妹。その訳は──夫の死を見届けた会社員がいるとラジオで放送があり、勇んでその社へ行くと、夫の戦死を知らされる。そこの社長は、困ったらいつでもおいで、と獲物を狙う目である。つまり、田中はその社長のイロになっていたのである。
田中と義妹に寄ってくる女、これが田中の本当の妹。この妹はダンサーとかで、着ているものも上等。義妹はそういう生活がしてみたいと言い出す。3人が田中の部屋で食事をしているときに、社長が顔を出す。やはり愛人になっていたのである。ところが、そうとは知らずに妹が社長と出来、それが原因で田中はパンパンに。義妹も家出してその道に。妹は梅毒が治らず、子どもを死産。田中は義妹を連れて、淪落の身から立ち直る決心をするところで、映画は終わる。最後の映像は聖母子像という臭さであるが、溝口は本気かもしれない。


冒頭からまるで真相究明ものみたいな激しい音楽で、溝口本人はそのつもりでいたのだろうと思う。しかし、田中の「男は女をおもちゃにして、台無しにする。だから、復讐してやる」というのは、「祇園の姉妹」のセリフと一緒である。梅毒検査のためにパンパン狩りで大勢が集められた病院のシーンは、なかなか迫力がある。その病院の塀を越して田中が逃げ出すところも、手際がいい。


田中が義妹に「ここを抜け出そう」とかき口説く場面は圧巻である。長いセリフを一気にはき出して、本当にぜいぜい言っている。ところどころ厚生施設の副所長クラスの男が、女性は新しく自立すべし、みいたな説教を垂れるが、田中たち売春婦はそういう歯の浮いた言葉に疑心を抱く。ほとんどシュミーズかと思うような衣装の田中は、けっこう可愛い。この人の地はこっちじゃないのかという気がする。のちに訪米して帰国の姿がトンでいて、しかも「ハロー」とやって顰蹙を買ったが、アメリカかぶれではなく、それが彼女の地なのかもしれない。


おまけ映像で進藤兼人が溝口の戦後の迷いについて触れている。イタリア映画などを見て参考にするが、どうも民主主義が分からない。脚本の依田に「夜の女たち」を撮って、「これで民主主義になったろうか」と聞き、依田は「まだです」と答えたという。カメラマンなど溝口組のみんなが変わらないといけない、と言っていたそうである。ふつうは、脚本もカメラも変えて出直すのだろうが、溝口はそうしない。結局、彼は戦前も戦後も女に変わりはない、だから自分もやっていける、と自信を回復したそうである。


祇園囃子(D)53年
祇園囃子」は好きな映画でもう3、4度見ている。新人の舞妓若尾文子を守る木暮三千代が健気である。ラストのすぱっとした切れ味もいい。若尾は進藤栄太郎の妾の子で、その進藤が零落した商売人の役で、自分の恥を人に見せることも意に介さないねちっこさをうまく演じている。ぼくは意趣を呑んだ感じの人間の底意地の悪さみたいなものに弱い。それはときに酷薄な表情を見せる浪速千栄子、中村雁治郎にも言えること。東京人にはこの味がなかなか出せないのではないか。


「お遊さま」(D)51年
原作が谷崎だそうで、脚本が依田義賢、撮影宮川一夫に音楽が早坂良雄、フルキャストである。いまは後家となった「お遊さん」はまだ嫁ぎ先と縁があってどこにも動けない状態である。それを案じた妹しずが、自分の見合いの相手をお遊さんが好いているのが分かって、あえて夫婦になって二人の架け橋になろうとする。妹しずは姉の気持ちを思い、嫁ぐ日に夫に「これからは夫婦のふりをしよう。あなたも姉が好きなんでしょ」とかき口説く。不思議な三角関係はそこから始まる。案の定、二人はしずを措いていちゃいちゃを繰り返す。しかし、お遊さんはそれほど罪悪感があるわけでもない。だが世間に風評が立ち、お遊と慎之助には何かあるのではと勘ぐられる。


そもそも慎之助がお遊を見初めたのは、見合いの相手を間違ったからである。4歳にして母親を亡くした彼は、お遊に母の面影を見出す。これは谷崎好みである。しかも、お遊を演じる田中絹代は谷崎夫人お松によく似ている。


慎之助がお遊と一段深い交情に進むのは、しずの見合いのあとしばらくして、ある橋のたもとで暑気あたりで店先の縁台で苦しんでいたお遊を見つけ、知り合いの茶屋に連れて行ったからである。帯をゆるめ、胸を開いて楽にさせないとだめだと、茶屋の女にいわれるが慎之助はそれができない。ようやく落ち着いたお遊さんに団扇で風を送りながら、お遊に覆い被さろう、口づけをしようとしながら、それができない慎之助。お遊はその一部始終を知っていたような目つきで、濡れ縁に頭を抱える慎之助に冷たい視線を送る。「ああ、ここで寝ていたのね」と朗らかな声を出して慎之助に自分が起きたことをわざと知らせるお遊。もしかしたら、橋のたもとからの一連のことはすべてお遊さんが仕組んだことなのかもしれない。


結局、しずと慎之助は東京の富豪に嫁いだお遊さんを追って落魄の身に。産後の肥立ちが悪くおしずは死ぬ。慎之助は赤ん坊をいまは大店のおりょんさんになったお遊のもとにその子を捨て子にする。お遊は、貰われた先で旦那を拒んだのか、別居状態である。


ぼくはやはり慎之助の優しさと強さに惹かれる。溝口の芸道ものにはあるように、なよなよとした男でありながら、女を愛することでは頑固者である男が溝口の男像なのである。


印象的だったのは、見合いの席が終わって、お遊さんと慎之助の叔母がごく自然とタバコを吸い出すシーンである。あるいは、お遊さんが兄と話をするところでもキセルで吸っている。ぼくは祖母がキセルをおいしそうに吸っていたのを覚えているので、タバコと女性の関係は不自然に思わない。深窓の令嬢で、琴や謡いに長けた女性が、平然とタバコやキセルをやっていたことを記憶に留めておく必要があるだろう。



雨月物語(D)53年
52年に「西鶴一代女」がヴェネツィア映画祭で国際賞、この映画で銀獅子賞を取っている。客が入らず困っていたときに外国で評価が高まり溝口は生き返ったという。ゴダールが溝口好きだというが、さてその意味をじっくり考えていかないといけない(ゴダール作品はほとんど見ていないので、大変である。ゴダールほどぼくに縁のない作家はいないような気がしていたからだ。日本で大島渚吉田喜重がぼくと無縁のように)。


雨月物語」は上田秋成の同名作から2話をとって1つにしているらしい。戦乱の世に農夫が陶器を焼いて一儲けすることを企む。そばに住む農夫は侍になることに憧れる。その2人が戦争のどさくさを縫って都へと出かけ、大もうけ。ひとりは客としてきた貴族に入れ上げ、ひとりは儲けた金で具足を買って侍の仲間入りである。
結局、貴族の女は亡霊で、男は夢から覚めて妻のいる故郷へと帰るが、妻は暴徒に殺され、子供だけが村の長者に預けられていた。侍になった農夫は自害を遂げた敵の大将の首を持ち帰り、褒美として馬と家来を与えられ、遊びに入った遊郭で売春婦となった妻と出会い、改悛の情を見せる。ふたりもまた故郷へと帰り、先の農夫と一緒に窯焼きに精を出すところで映画は終わる。


意外だったのは戦闘の場面や、侍の館(?)内の殺気立った様子が、実に生き生きと描かれていたことである。都の喧噪を俯瞰で撮ったところなども、大きなスケールを感じさせた。こじんまりとしたセットで、しんねり撮っていると思っていたので、映像が大きかったのが印象に残った。


貴族の女が農夫の心変わりに気づいたところで、口から吐く息が白くなるのは、ぞっとする怖さである。誰が考えたアイデアなのか、それとも伝統的に亡者は氷のような息をすることになっているのか。農夫は森雅之、貴族の女は京まち子で、まさに「羅生門」の組み合わせである。50年の作なので、溝口が有名カップルをいただいたわけである。


主題は木下恵介の「笛吹川」と同じで、庶民のどっしりした生活がいちばんいい、といったところ。上田秋成がどういう考えで書いていたのか知らないが、この平凡がいい、という思想が日本映画には脈々と流れているような気がする。ハリウッドはほとんどそんなことは忘れて、ひたすらマッチョだったり、過激だったりする世界に落ち込んでしまったが、日本映画の地道主義はいまだに健全ではないかと思う。これってもしかしたら、目立たないかもしれないが、とても大事な思想のような気がする。そう感じさせられた映画である。


近松物語」(D)54
暦などを売る大経師(書画骨董の外枠、経師をつくる)の主人が進藤栄太郎、その若き妻が香川京子、図案制作の仕事をするのが茂平・長谷川一夫。長谷川は香川(映画では「お家はん」と呼ばれる)に恋心を抱いている。香川は兄(田中春男が演じている)が借金の無心に来ても、けちん坊の夫に頼むことができない。それを見かねて長谷川が金の工面をしようとするが、変な誤解を呼んだために、「お家さん」の香川と出奔することに。
香川のセリフに「一日にして運命が変わる」というのがあるが、同じことをラストシーンの近くで、破産した大店の土間で雇われ女が口にする。あるいは、逃避行の長谷川と香川は舟から身を投げようとするが、長谷川が秘していた気持ちを打ち明けると、「それを聞いたからには、もう死ねない」と香川が豹変するところにも、運命の急変というこの映画のテーマが顔を出す。香川がしなだれかかって、長谷川の上におおいかぶさるものの、長谷川は目を剥いて、微動だにもしない。運命に魅入られた人間の様子が、よくこの演出で表されている。平凡な監督なら、恋い焦がれた相手が靡いてきたところだから、ひしと抱きしめるような演出をするだろう。そのほうが自然なのだが、溝口演出の非凡さを思うべきである。


長谷川が演じる茂平は、まったく損な役回りである。もとは主家の奥様のために金策をしようと善意をはたらかせただけなのに、不義密通を疑われ、しまいには磔になる。それなのに「お家はん」の兄者は、借金で首が回らないというのに、謡いに精を出すような遊び人で、あろうことか妹の旦那の酒宴に呼ばれて喉を唸らせる始末。妹が連れ戻されると、ひたすら嫁ぎ先への復帰をせかすような薄情な奴である。茂平の善意は、ひとえに「お家はん」にしか届かない。ぼくは山茶花究と並んで田中春男という役者さんは独特な個性があって好きである。少し悪が入った感じで、しかも善良な人間を演じて味がある。しかし、「王将」で坂田三吉をサポートし続ける善良一途な中小企業の旦那の役も得難い。あるいは、「どん底」での複雑な人生を背負った底辺の人間の演技も捨てがたい。


音楽が早坂良雄で、全編に空気を切るような鋭い笛の音がしたり、歌舞伎の鳴り物のような拍子木を打ち合わせた音がしたり、後年、いろいろな監督が拝借した手法が劇の緊迫感を出している。


長谷川一夫という役者さんの、なんとも色気のあること。弱そうに見えて芯の強いところもあって、あくまで好きになった女を立てる濃やかな気の遣い方も自然である。すこしかすれた感じの声もエロティックである。


溝口作品のなかでは「祇園囃子」とこの「近松物語」が最右翼である。


「噂の女」(D)54年
田中絹代が京都弁を話す置屋のおかみさんの役、失恋で自殺未遂の娘久我美子が東京から帰ってくる。田中が入れ上げているのが若き医師、その医師に久我も惹かれる。田中が医師に抱きついたり、いろいろと変わったことをやるのが珍しい。結局は、都合のいいことしか考えない医者を母子ともども突き放し、娘はあれだけ嫌っていた置屋の仕事におもしろみを見出す。途中で、病気になったこったいさん(花魁のこと)を親身に面倒みたことで、いけすかないお嬢さんと思っていた彼女たちの信頼を得ることに。そのあたりの描写には心あたたまる。進藤栄太郎が田中に惚れていて、用心棒をやったり、大金を工面したりの役柄で、なかなか食えない好人物という印象である。


「山椒太夫(D)54年
この作品は傑作ではないだろうか。勧善懲悪のストーリーが下支えになっているので、緩やかな流れの映画だが、緊張感をもって見ていることができる。


冒頭から場面転換が巧みで、過去と現在が自在に行き来する。たとえば、安寿が走ると、もっと小さかった頃の安寿へと重なり、時間が飛ぶ。父が中央政府の意に逆らって、農民に減税をしようとしたことが罪とされ、筑紫に左遷される、その日に時制が遡ったのである。夫が子に別れの言葉を投げかけると、妻である玉木(田中絹代が演じている)が思い詰めた顔をする。その顔が現在の顔に引き移り、時制が戻る。玉木が小さな皿に目を落とすと、夫が酒を飲む過去の時制のシーンへと引き移る。そういった変換が実にスムーズに行われる。
見事なのは、山椒大夫の息子・太郎がオヤジの所業に嫌気が差して逃亡を企て、警鐘の板木が鳴り、むくっと安寿と厨子王が起きると、もう大人になっている、という転換である。一瞬、板木が鳴ったのは、太郎を追うためかと思うが、実はほかの人間が逃亡を図ったために鳴ったのである。
木下恵介の映画で、この時制の切り換えをうまくやっていたのがあったが、溝口のほうが先にやっていたことのようだ。


もう一つ、役者連の動きが実にきびきびとしていい。なかでも、巫女にだまされて、母親は船に、子が岸辺にと泣き別れさせられるシーンで、親子と船頭3人がめまぐるしい動きをする。母親と船の船頭、子どもたちと船頭、この2つを別々に撮り、絵を切り換えるのだが、いよいよ母親の船が漕ぎ出すと、左へ流れる船、右に追いすがろうとする子ども、といったように両者の動きを一緒に撮る。
ほかにも、山椒大夫の奴婢たちの動き、それを取り締まる悪人どもの動きが
いい。大人となった安寿の動きも、すがすがしいくらいの俊敏さである。山に姥捨てになった女を担いで山を逃げるところなど、よくもまあ力があるものだと感心する。


姉は拷問で弟の行き先を白状するのを恐れて入水自殺をする。母は佐渡で遊女の身にされている。逃亡を企て、足の筋を切られる。弟・厨子王は太郎が僧ととなって勤める丹後の国分寺から添え状を貰い、京都の関白へ直訴に及ぶ。関白は彼が持っていた如意輪観音像から彼の出自を悟り、父親の跡を襲って丹後の守につける。厨子王は、人身売買と奴隷の解放を布告する。山椒大夫は、右大臣の荘園の経営を任された人物で、たとえ国守であっても手を出せない、と逆らうが、安寿はまったく意に介さず思ったことを断行する。これは父親の血がなせるものである。父は常にこう言っていた、人は慈悲の心を失っては人間ではない、人は誰も等しく生まれついている、幸せに隔てがあってはいけない、自分を責めても人に情けをかけよ、と。非常な名君で、流された筑紫の国でも善政をほどこし、死してなお民は尊崇の気持ちを忘れず墓の守りを欠かさない。山椒太夫の息子・太郎も、安寿からその父の目覚ましい言葉を聞いたことがきっかけで、出奔を決意する。厨子王は苛烈な施策を行ったうえで、役職を辞し、佐渡へ母を訪ねていく。誰もが母は死んだというが、その大津波のあった浜に行くと、盲目の老婆が歌をうたっている。私が厨子王ですと言っても信用しないが、あの如意輪観音像を渡すと、母は納得し、二人はひしと抱き合う。


山椒大夫は中世の説教節がもとで、かなり残酷な描写が多いらしい。鴎外はそれをほとんど採用しなかったという。この映画では、逃亡を図った奴婢の額に焼き印を押す刑罰が施されるなど、その種のものが多少演出されている。仏の有り難みを説くのが説教節だから、随所に如意輪観音の功徳が描かれているが、それよりもこの映画では安寿たちの父親の偉大さが大きなテーマになっている。


「赤線地帯」(D)59年
溝口最後の作品である。沢村貞子、進藤栄太郎が娼館、というよりトルコ風呂の父さん、母さん。そこで働くのが京まち子、木暮美智代、三益愛子若尾文子など5人。京まちこ子は神戸の資産家の娘だがアプレに。木暮は病気がちの甲斐性なしの亭主持ち、三益は子供に愛想をつかされ、もう一人の女は結婚で足ぬけしたのはいいが、貧乏な下駄職人に奴隷のようにこき使われて、結局は吉原に戻ってくる。一人若尾だけ男を手玉に取ってはダマし、ちゃっかり金を貯めて最後は布団屋の経営者に収まってしまう。


ときは売春防止法なるものが国会で通るか通らないか揉めている真っ最中。お父さんは、俺たちは困った女を助ける社会事業をやっている、と演説をぶつが、女たちはそんなことは一切思っていない。それぞれの思惑をきちんと描き、成瀬の「流れる」のもう一つ先の崩れた世界を描いているが、その人物ごとに描写を重ねていく手法は驚くほど似ている。警察の人間と昵懇の間柄なのも、同じく描写されている。ただし、タイトルの即物的なのを見ても、成瀬的な世界からもう一段すさんだ世界を描いている。


木暮美智代に「淫売以上にどこまで自分が落ちるか、見定めてやる」式の発言をさせるところなど、ちょっと場違いな演出もあるが、全体に平仄が合った、破綻の少ない映画である。とくに進藤栄太郎に白々しい訓話をほとんど同じセリフで2度も言わせるところなど、とても皮肉が効いている。木暮美智代が世話女房の役柄で、いつもの派手さはないが、なかなかハマリ役ではないか。心なしか体もふだんより小さく見える。ダメ亭主と赤ん坊を抱えて支那ソバ屋に入るが、自分は食べずに夫に2杯食べさせる。夫は妻の職業を卑しみながらも、自分では何も事を起こさない人間で、「ここのソバはうまいなあ」と言ったとき、子供を見るような目で木暮が見るのが哀れでさえある。


京マチ子は暗いところの一切ない、体で稼ぐと割り切った女の役で、いろいろ厳しいことを同輩に言うものの、心は温かいという役柄である。菅原謙二郎に連れられて初めてトルコにやってきたとき、沢村から「いい体してる」と言われて、「八頭身や」と答えて、菅原が「これだ」と言って呆れるシーンがある。その「八頭身や」の言い方が蓮っ葉でいい。


冒頭に沢村貞子のセリフに「本当に要らない商売なら、300年続きますか」というのがある。これがおそらく溝口先生の本音だったのではないかと思われる。
ぼくはこの映画で溝口入門をやっと果たせたような気がする。ごく自然な感じで最初から最後まで見ていることができたからだ。