12/10月後半からの映画

kimgood2012-10-28

110 ルート・アイリッシュ(DL)
ケン・ローチ監督である。これも劇場で見たかった映画だが、なぜか見逃してしまった。イラクバグダッドにはルート・アイリッシュと呼ばれる危険な地域があって、そこで民間兵である親友が殺される。そもそも高給が出るからといって、その土地に親友を誘った主人公は、すでにアイルランドに戻っていて、友の訃報を聞く。戦場での真実を知ろうとするが、邪魔が入る。次第に分かってきたのは、兵による“民間人狩り”のようなものが現地で行われ、それに親友が反対していたということ。告発もすると言い出したため、最も危険なルート・アリリッシュの警備に頻繁に回された結果、殺されたことが分かる。軍隊と違って戦争請負会社がやる殺戮には法の網がかからないといわれる。この映画でも、疑惑の人物は、すぐに別の戦場に送り込まれている(あとで親友を殺していないとわかるのだが)


夜に行う“民間人狩り"の様子が怖い。戦場ものをそう見ているわけではないが、もしかして、今までで一番怖い感じがする。「チェ」のときのように、いともあっけなく人が死んでいく。そして、実に簡単に人を殺していく。それがとてもリアルで怖い


この映画、ケン・ローチにしては詩情がほとんどない作りになっている。それに話も単純である。


111 リアル・スティール(DL)★
これはエンタメです、楽しめました。ロッキーのロボット版で、廃物を集めて作ったロボがストリートファイトから駆け上がり、無敵のロボと戦い、やっつけるのである。このストリートファイトという形式が、とてもアメリカ的なものの気がする。マックイーンの「シンシナティキッズ」はポーカー、ポール・ニューマンの「ハスラー」、いずれもストリートから始まってセンターワールドへと駆け上っていく。デモクラシーの暗喩であるし、アメリカ大統領選の擬似形である。

この映画、ヒュー・ジャックマンというまったく無個性の役者が、そこそこ演技しているのが分かるだけでも貴重か。女優がエヴァンジェリン・リリーといい、これが愛嬌があっていい。彼女の父親がジャックマンにボクシングを教えた、という設定なっているのもロッキーの映しである。ジャックマンの息子役も可愛い。何よりもロボットの動きが微妙なのが、映画をリアルなものにしている。


息子はゲームで日本語を覚え、それをロボットの命令に使うシーンがある。新聞でドバイのコスプレ大会の話が載っていたが、そこに集まる彼ら、彼女らは日本語をアニメから学んでいる。これはある意味、すごいことである。日本はなんという文化を産んだものか。といっても、CIAのスパイといわれるデーブ・スペクターも漫画で日本語を覚えたというから、ここ最近、始まった話でもないか。


冒頭から映像がきれいで、期待感が膨らむ。各シーンを思い出してみても、本当に過不足がない感じがする。大試合になってジャックマンが怖じけづくのはお約束だが、ちょっと前半のアウト・オブ・ルールな感じからいえば違和感があるが、気になったのはそれくらい。


112 ロック・オブ・エイジズ(T)
何気なく見た映画がミュージカルだった、という幸運。トム・クルーズがいかれたロッカーの役だが、何の映画だかで産めよ、殖やせよ教のセールス教祖みたいな役をやったときのような切れ方である。時折、こういう振り幅にいきたいタイプなのだろう。キャサリン・セタ・ジョーンズも力が入っていて、彼女のダンスは見ものである。名声のある女優で、よくここまでやるものだと思う。トム・トムクルーズといい、何か日本的なあり方とかなり開きがある感じがする。トムに絡もうとして、舌をピロピロさせるところは不気味かつ笑える。「嗚呼! 花の応援団」を思い出しました。この人、コメディいけます。


ライブハウスの主がアレック・ボールドウィンで、最初、汚いのと太っているのとで、それと気付かない。あとでゲイと分かるが、その話は余計である。つなぎに一つ話が欲しかっただけという感じである。彼はテレビ人気ドラマシリーズで活躍しているはずである。主演はジュリアン・ハフという女の子だが、ごく普通のアメリカのティーンエイジャーの感じである。ダンサーで、カントリー歌手でもあるらしい。トムのマネージャーが、ポール・ジオマッティ、これがはまっていてgood。この役者、目立ちます。


113 一枚のめぐり逢い(DL)
戦場で見つけた一枚の女性の写真が不思議と自分の身を守ってくれたと信じた退役マリーンが、その女性を探し求める(原題はThe Lucky One)。彼女は犬の飼育士をしていて、それを手伝うが、事情を打ち明けることができない……といったラブロマンスである。イラクでの戦闘シーンは、「ルートアイリッシュ」のような迫力はないものの、やはり民家に押し入って敵を探し出すシーンは緊張する。誤射するのではないか、人違いではないか……と。


落ち着いた映画で、彼女の母親役が訳知りで、知的で、ユーモアもある役柄で、この人物の設定でこの映画はかなり上質なものに仕上がっている。よく見かける人物像ではあるのだが、母親役の女優がかわいいのである。ブライス・ダナーという。主演男優はザック・エフロン、女優はテイラー・シリング。


113 ニューイヤーズ・イブ(DL)
晦日タイムズ・スクエアで大きなボールを落とすイベントがあるらしく、人々がそれを目撃しに集まってくる。グランドホテル形式といわれるやつで、複数の話が同時進行し、最後はそれぞれにあるまとまりがついていくという趣向である。さまざまなカップルが生まれるが、一つだけ最後までピースが埋まらないものがあるので、緊張感が続くことになる。映画では大事な要素である。


ヒラリー・スワンクがその大イベントの責任者で、その瀕死の父をデ・ニーロが演じている。病院の優しい看護師がハル・ベリーであり、彼女は戦場にいる恋人とネット画面で大晦日を祝う。友達の結婚式に出た帰りに自動車事故に遭った男は、今夜はスピーチをすることになっていて、その後、大事なことがあるという。1年前の大晦日に出合った女性と再会を約したが、そこに行くべきか否か。そして、その女性とは……。イベントに中学生の娘が友達と行くことを許さない母親、窓から逃げ出す娘、それを追って人混みの中へ入ったあと、母親がシンデレラになって向かった先は?


まだ組み合わせがある。わざとらしいイベントが嫌いな男が、バックコーラスを務める女性と古いエレベーターに閉じこめられ、次第に人とのコミュニケーションを取り戻していく過程も描かれる。ようやく脱出した女性シンガーがサポートする男性人気歌手は、当夜のあるパーティ(先のスピーチ予定のある男性は、このパーティの主催者の一人)の料理一切を仕切る女性シェフとヨリを戻そうとしている。


ご都合主義の映画だが、けっしてそうは思えないのは、もっと究極のご都合主義が用意されているからである。中年のおばさん、これをミシェル・ファイファーが演じていて、年齢が半分と思われる自転車宅配の青年(ザック・エフロン)に、夢のいくつかを叶えてくれたら有名仮装パーティの券をやると頼み込む。いわく世界一周、いわくバリ島旅行、いわく劇場出演……これをニューイヤーイブの半日で実現しなければといけないという。ところが、見事をそれをクリアしてしまうのである。もちろんこの二人にも愛が……。


114 完全犯罪クラブ(DL)
サンドラ・ブロック主演である。悪い高校生にライアン・ゴスリング、これは存在感がある。切れ者で、人気があり、何をやっても上手くやれる──そう考える若者を演じている。ゴスリンが操るのが天才肌の、暗い同級生で、これが行きずりの女を殺し、警察を煙に巻く。サンドラは刑事で、前に結婚で失敗し、暴力夫に切り刻まれた跡が胸にある。次第にそのトラウマを克服する過程と、犯罪捜査の進展が同時に描かれる。その大きな支えになったはずの刑事が、まるで魅力がない。それでも楽しみながら見られる映画である。サンドラ・ブロックにハズレなし、といっておこう。


115 ミッドナイトFM(DL)
韓国映画で、「オールドボーイ」のユ・ジテが狂気の犯罪者で、あまり変わり映えしない。それでも彼には存在感がある。イーストウッドの「恐怖のメロディー」、韓国映画殺人の追憶」にもFM番組を使った展開がある。最後の放送に臨むDJ、その娘が、ユ・ジテの人質になり、脅しをかけられる。何年何月にかけた曲を、同じ解説で流せ、など。ストーカーもどきの男がスタジオの外にいて、これが最後までDJのために献身的に尽くすのが痛々しい。


DJが窮地に陥っているのが分かっていて、勝手な番組を流すな、と放送中止にする上司が出てくるが、こんなことありえるのだろうか。それと、ユ・ジテが何度も娘を殺したといいながら、そうはしないでラストまでもっていくので、間が抜けてしょうがない。もっと脚本を整理して、撮影も上手にやれば、この映画はどうにかなるように思うのだが。犯人が細かい注文を出してくるところに妙味があるからである。


116 寅次郎の青春(D)
シリーズ第45作、風吹じゅんがマドンナということになっているが、寅に精力がないので、ただ行きずりに泊めてもらっただけという関係である。恋のもがきも苦しみもない。たとえば、寅のアリアと呼ばれるシーン。寅が満男の恋の行方を語り始めるが、あろうことかおじちゃんが止めるのである。バカバカしくて聞いてられない、という理由だが、寅のアリアでを止めるのは御法度のはずである。中止された寅にリアクションがないのが、余計にさみしい。さらに、満男が、寅が風吹の誘いを断ったのは尤もだ、なぜなら叔父さんはいつも最初は面白いが、1年もすれば退屈な人間になることを自分で知っているからだ、と分析するのだが、言われた寅はうなずくだけである。渥美にリアクションの映画ができなくなっている。声も細い。妙に化粧も濃い。おいちゃんも、おばちゃんも、そしてタコもみんなほっそりしちゃって、中でもタコとおばちゃんは声まで細くなっている。


それにしても粘りの山田はどこへ行ったのか。渥美なら演技の緩みは仕方ないとでもいうのか。寅を愛してやまない山田が、寅のアリアを否定し、あろうことか恋愛不能症を甥の若造に指摘させて終わりにさせるなぞ、ずいぶん冷たい。もうこの時点では、山田は寅さん映画を諦めていたのではないかという気がする。


風吹の後ろ姿を撮すときに、彼女の脚を撮すのようなことをしている。それを寅の目線でやるのである。あるいは、散髪の際の妙な胸のくっつけ方、やり過ぎである。肉感派風吹を意識した演出というわけだが、山田監督らしくない。


117 ローラーガールズ・ダイアリー(DL)
ドリュー・バリモア監督で、彼女は役者としても出ている。どうという映画でもないが、アメリカらしい感じもする。いい子を演じるのが嫌になって、体力系のローラーゲームにはまり、旧式な母親と確執が起こる、というパターンである。田舎町からバスで、少し都会っぽいところへゲームをやりに行くのだが、自分の町を離れるところなど、田舎→都会ものの一つに見える。お母さん役はマルシア・ゲイ・ハーデン。よく見る顔だが、名前を初めて確認した。バリモアは才能はないが、これくらいの映画が撮れるなら、長くやれそうな気も。


118 アルゴ(T)★
ベン・アフレックが監督、主演、製作でもある。ジョージ・クルーニーが製作に一枚噛んでいる。イラン革命時にカナダ大使私邸に逃げ込んだアメリカ大使館員6名をCIAが助ける実話である。期限はたった2日、ということはその準備に時間を使い、終わってからも時間を使わないと、もたない。


とてもウエル・メイドな感じがする。複数の選択肢のうち、その救出作戦に決定するのに40何日もかけているアメリカ、ほかにも60名以上が400日以上、大使館に人質に取られていたわけだが、いまのアメリカならもっと手早く行動を起こすのではないか、という気がする。あるいは、カーターという大統領に特殊な現象だったものか。

アフレックは5本の映画を撮っている。ぼくはこの映画が初めてである。脚本家としてはマット・ディモンと『グッドウィルハンティング』を書いたのは知っているが、ほかは2本が自分の監督映画、あとはテレビシリーズで何か書いているようである。製作は13本、調べたところ知らない作品ばかりだった。


いまの落ち着いた撮り方でいけば、第二のイースト・ウッド誕生かと思う。もっともっとたくさん映画を撮って、楽しませてほしいものである。これから要チェックである。


119 大鹿村騒動記(DL)★
評判の映画だったので見なかった映画である。なんとなく見る前から仕組みが分かるような。それでもやはりよくできた映画で、楽しませていただきました。老人映画で、若者には何だこれ、だろう。田舎歌舞伎が太い柱になっていて、後半にはその長い劇の様子も撮されるが、これも若者には何だだろう。大楠道代がマドンナ的扱いだが、いやはや。原田芳雄岸部一徳三國連太郎、石橋蓮、佐藤浩一、松たかこ、瑛太、でんでん、などなど。三國が長い台詞を言うシーンがあるが、時折、聞こえないところもあるが、立派なものである。シベリア体験を言うのに「ラーゲル」と言っているが、それが正しいのだろうか。一瞬、笑い顔が『泥棒日記』のときのあの笑顔を思い出させた。こんな経験、映画で初めてである。これはぼくが歳をとったということだろうか。


なんだか井伏鱒二の世界を見るような味わいがある。監督阪本順治で、『どついたるねん』からはるばる遠くへきたもんだ、である。いま『北のカナリヤ』をやっているが、見てもよさそうな予感がする。彼の映画はほぼハズレがないからである(『闇の子どもたち』を抜かせば、である。金大中のは見ていない)。


120 最強の二人(T)★★
冒頭から意表を突き、あとの展開も納得である。「オアシス」はエンタメにいかずにすごい映画になったが、こっちはエンタメにしてすごい映画を撮ってしまいました。主人公の一人である黒人がまったく身障者に分け隔てがない。差別をするし、労るし。ラストで、下半身不随のもう一人のリッチな主人公が、のちに子が産まれた、とテロップが入るが、それは本当か。差別はこうやって克服されていくか。


121 足にさわった女(T)
1952年、市川昆監督で、主演が池部良越路吹雪である。そこにホモっぽい坂々安古という名の通俗作家・山村聡がからんでくる。越路の弟が伊藤雄之介である。ところこどころにサイレント的なやりとりがあって、非常に意図的にそれをやっている。市川監督はなぜにこんなことを? 戦前から撮っている永い監督だから、こういうオマージュをやりたがるのか。越路が意外と演技が上手なのと、美人に見えるから不思議である。ちょっとエロティックな場面が用意されているが、越路先生、ちゃんとやってらっしゃいます。後年のNHKライブのこーちゃんしか知らないぼくは、ちょっと感心してしまいました。池部の喜劇を見られるだけでもめっけものである。飛んだり跳ねたり、一生懸命やっています。


122 寒流(T)
81年の作である。鈴木英夫監督、原作松本清張で、堂々としたものである。主人公が池部良新珠三千代、それに平田照彦、宮口精二中村伸郎志村喬丹波哲郎など豪華。中でも志村の総会屋は見ものである。それと、ヤクザの丹波が手下を並べて、きちきちと池部に脅しをかけるシーンが秀逸である。新珠三千代がこんなにきれいな女優だとはちっとも思わなかった。大収穫である。清張の黒い画集というシリーズの1つで、権力には歯が立たないという苦い物語。池部が長身で、体もいかつい感じがする。着流しのイメージとずいぶん違うものであある。


123 ヘドウィグ&アングリーインチ(T)
2回目で、いい映画だと思う。主人公を演じるジョン・キャメロン・ミッチェルが美しいというのが圧倒的である。彼が監督も兼ねていて、ニコール・キッドマン、エイロン・アッカート主演で『ラビットホール』という映画を2010年に撮っているが未見。どんな場末でもパンク命という感じで、誠実に歌い上げる。元々は東ベルリンで生まれ、養父に犯され、それがもとでジェンダーに揺れが出たという設定である。米兵に見初められ、性器切除を求められ渡米するが、すぐあとにベルリンの壁が崩壊する。彼が、あるいは彼女が乗り越えたものはなにか。主人公のライフヒストリーとそれを色濃く反映した曲が流れ、映画は進行する。


124 ここが、帰るべき場所(T)
監督パオロ・ソレンチーノ、イタリアで映画を撮っているようだ。主演ショーン・ペン、これが家でもロッカーの化粧をする変な男である。ペンの妻役がフランシス・マクドアマンドで、あの傑作「ファーゴ」の女警官である。ペンは大金持ちなのに、彼女は消防士をしているというのがおかしい。こういう奇妙な役柄にぴったりである。夫が鬱だというと、結婚して30年、始めの頃と同じ熱情でセックスをするあんたは鬱などではない、という名言を吐く。デビッド・バーン本人が出てくるが、これは監督のリスペクトなのか。


伝説のロッカーが父親の死を境に、父が追っていたナチ戦犯を追いかけはじめる。それまでは、自分の暗い歌で死に追いやった若者のことで歌を捨て、世捨て人のような生活をしていた。結局、年老いたナチを見つけ出すが、彼が働いた罪は実にささいなこと。しかし、屈辱を受けた父親は許せず、追跡の手を緩めなかったわけである。ちょっとした罰として、全裸で白い砂漠の上を歩かせるが、それはまるで強制収容所の囚人のごとくである。


前半部と後半部のつながりがよく分からない。タイトルの「ここ」は民族の場所でもあるかもしれないし、人を許すことのできる心理的なあり方を指しているのかもしれない。そういう深読みをさせる映画ではないが、ちょっと考えたくなるところである。


全編にわたってアルボペルトの曲が流れ、とてもうれしい。Spiegel Im Spiegelである。たしかガス・バン・サントの「マイ・プライベート・アイダホ」にも、この曲が流れていた。


125 60セカンズ(DL)
ニコラス・ケイジ主演、脇にアンジョリーナ・ジョリーにロバート・デュバルである。2000年の作。弟が受けた仕事を果たせず、依頼主から殺されかけ、すでに足を洗っていた兄ケイジが、自動車泥棒に復帰する。警察との駆け引きと、4日で50台の高級車を集められるか、という話である。全体によくまとまっていて、気楽に見ていることができる。ジョリーの出番が少ないが、これはどうしたわけか。ケイジは色男に見えないし、額もはげ上がってきたのに、まだまだやれる。眉、口が曲がっているのが、親近感を覚えさせる。2013年には、「キックアス2」「ナショナルトレジャー3」も控えている。「ゴーストライダー」も続編が昨年リリースされている。日本に来たかどうか未確認。


126 死刑弁護士(T)
安田好弘弁護士のドキュメントである。彼が扱った事件は、新宿西口バス放火事件、名古屋女子大生殺人事件、和歌山カレー毒殺事件、オウム真理教麻原、光市母子殺人事件などなどである。自分自身、麻原裁判の最中に微罪で起訴される。


新宿放火事件の犯人丸山博文は、朝から同所で酒を飲み、映画では何の理由だか聞こえなかったが、駅前の芝生のなかにガソリン入りのタンクを隠し、それをもって夕方、駅前のバスに近づく。自分右手に光があり、そっちに向けてガソリンタンクを振り回したら、人が死んだ、という抗弁をしている。安田氏はそれを信じ、無期懲役に罪を減じさせたことが勝利と考えたが、最後の面会から6年後に丸山は自死を遂げる。安田弁護士は、被告と寄り添うと言いながら、減刑のあとしばらく見舞いにも行かなかった自分を悔い、もっとやれることがあったのはないかと思い惑う。場合によっては、ニセの証拠を作ってでも上告をすべきであったかと述懐する(これはどうかという発言である)。この容疑者にとことん寄り添おうとする姿勢ははどこから来るものなのか。


和歌山カレー事件は林真須美という希代の女性が容疑者だが、いくつかの疑問から安田氏は、その無罪を信じる。いわく、目撃者の証言は信憑性が薄い、殺人の原因とされる唖ヒ酸がなぜ数十人もで家宅捜索しながら4日目になって冷蔵庫の一番目立つ場所から見つかったのか(狭山事件松川事件と酷似)、真須美は保険金詐欺で8億円を詐取しているが、お金以外で人に害を加えることのない人間である、などである。安田氏は、この裁判で負けたら弁護士の資格がない、とまで言う。


麻原に関しては、井上嘉浩被告がすべて麻原の指示だったと陳述したあと、弁護側が被告人尋問をしようとしたときに、麻原が「解脱した人間を侮辱することはできない」と言って、井上を庇ったものの、安田が反対尋問をしたことで、それ以後麻原は崩壊し、法廷でも意味のない私語を繰り返すだけになってしまった、という。ある本で、精神科医の野田正彰氏は、拘禁反応の診断を下している。その人間に死刑を下すことに何の意味があるのか、裁判の無意味化を指摘しておられる。あるいは、ノンフィクションの魚住昭氏は、週刊誌で「麻原の意味不明の私語は、実は弟子たちを庇うときに限って発せられている」式のことを書いている。


名古屋女子大生事件の被告木村修二は、被差別の生まれで、若くしてお店の経営を任されるなどしたのが、店舗を繁華街に移そうとしたところ、妻と義父に阻まれ、それが自分への差別ゆえと思い込み、酒と借金にまみれ、とうとう誘拐および身代金要求をする。捕まった木村は、拘置所のなかで死刑反対に転ずる。安田弁護士は、借金したって返さないやつも多いし、踏み倒してトンズラするやつがいることから考えれば、木村はまじめだ、という。


光市事件は、3審抗告で安田氏は弁護団に参加するが、そのことで被告が変心し、母子殺害は計画的なものではない、と証言を変えることになる。そこを指して集中的なバッシングが起こり、あの橋下徹弁護団リコールを扇動した。安田氏らによれば、母親を絞殺した指の角度が違う、これは大きな声を出したのを衝動的に押さえただけだ、と主張した。それに精神的に非常に幼く、彼に性衝動からくる計画的な犯罪はありえない、とも主張する。


裁判は何のためにあるのか。犯罪の白黒を付けるためか? たしかにそれもあるが、光市事件の判決にいう「更正の可能性がないとはいえないが、母子を殺害した重みは拭いがたいものだ」からもわかるように、犯人に生きて悔い改めさせることが法の中心概念である。そのために実刑の年数にいろいろな幅があるのである。もし、安田氏のような人物がいなければ、ごく単純にいえば、刑期は長くなるだろうし、冤罪の可能性も高まると思われる。


死刑弁護士は、被告が死んだあとも関わることになる存在だという。もしぼくが冤罪に巻き込まれたときは、安田氏に弁護のリクエストをしたい。彼のスクリーンでの表情を見る限り、この人は信頼おけるな、という顔をしている。


127 スカイフォール(T)
ぼくにすれば苦い映画である。ボンドも、そしてMもリタイアを示唆される年齢になっている。ボンドは復活するが、Mは死ぬことになる。Qも若手に変わられる。全体にボンド退潮の雰囲気で進行するので、お尻が落ち着かないのである。題名は、たしか中国の故事に天が落ちてくると騒ぐ民衆の話があったが、それのことかと思ったが、ボンドの生地の地名とのこと。黒い雲がたれ込めて、地に触れんばかりなのが、いかにもsky fallである。


冒頭の追い駆けっこは素晴らしいが、MIⅣでも同じ手法を使っていたので、新鮮味が落ちる。監督がサム・メンデスとは意外で、これからこういうアクション路線もやっていくのかしら。出だしのスピーディな感じは、あとの場面では封印され、とても地味な展開になる。マカオ不夜城に舟で向かうシーンは、「燃えよ、ドラゴン」を思い出させる。


冒頭の追跡シーンの最後、ボンドは敵と戦っているときに、仲間に胸を撃たれて水中にドボン。しばらくすると、女性とベッドインしているのだが、どうやって逃げ出したか、絵解きをしてほしい。こんな手抜き、今回が初めてではないだろうか。もう一つ、敵のボスを硝子ケースに閉じこめられるが、しばらくするともぬけの殻。これもどうやって逃げたかの説明がない。


128 人生の特等席(T)
イーストウッド主演、エイミー・アダムスが娘役。デジャブ一杯の映画だが、楽しみながら見ることができました。娘と別れて住んだ理由、豪腕投手を見つける偶然など、表面だけ辻褄を合わせたような話だが、途中で小さく逸話を挟んであるので、小さく納得することができる。


目は見えなくなっても耳でバッターの素質を見抜ける、というのが一つのヤマ場なのだが、それが明かされるまでに時間がある。もっと早めにバラして、その凄さを堪能させてほしい。何を出し惜しみをするのだろうか。映画の時間稼ぎにしか感じられない。


アダムスは有能な法律家であるらしい。経営パートナーになれるチャンスなのに、父親の援護に向かい、結局、ライバルにイスを奪われそうになる。そのライバルがドジを踏んだことで、彼女にまたお鉢が回ってくるのだが、拒否することに。たしかにろくでもない経営者たちだが、彼女も仕事を放棄したに近いのだから、あまりイーブンな扱いになっていない。


129 声を隠すひと(T)★
レッドフォード監督で、いい映画である。原題はconspiratorで共謀者といった意味。いい加減なタイトルを付けるものである。話は冤罪法廷モノで、事件はリンカーン暗殺、舞台は軍事法廷、裁かれるのは政治か正義か。南北戦争がいまだ完全に終わったとはいえない不穏な時期に、南部人を中心にした暗殺が行われ、彼らに宿を貸していた未亡人が共犯者として裁判にかけられる。


彼女を弁護する元大尉で戦争の若き英雄は四面楚歌になり、恋人も去っていく。死刑は仕組まれたもので、人権保護申請も大統領によって破棄される。人心の沈静を狙って政治劇である。それでも、この裁判の翌年には、北部と南部半々の陪審員制が始まり、未亡人の息子も共犯者として起訴されるが、全員一致の評決に至らず、無罪となる。しかも、戦時であっても民間人を軍事裁判にかけるのは不当とされる。


コーエン兄弟の「トゥルーグリット」は西部劇だが、その中に裁判シーンがあって、ワイルドフィールドの小さな裁判所だが、そこできちんとした手続きで裁判が行われているのを見て感心したことがあった。検察が起訴の理由を証人を使って論証し、弁護側がそれに反論し、被告に有利な方向へ持って行こうとするのは、まったく現代と変わらない。リンカーンの時代からゴー・ウエストの時代までそれほど時間が経っているとも思えないが、正義を見つけ出そうとする姿勢がすでにして備わっていた。


キャスティングが素晴らしい。婦人、その娘、若き弁護士を裁判に引き込む老練弁護士、司法長官、飲んだくれの酒屋のオヤジ、適材適所を得て、重厚な映画が出来上がった。


130 座頭市・関所破り
監督が安藤公義という人で、全体に仕上がりがダサイ。冒頭、子どもの遊んでいる凧が糸が切れて、屋根に引っかかり、その軒下でおにぎりを食べている市の鼻面にぶら下がる。市は手にしたおにぎりを捨てて、その目の前の何物かに手を伸ばす。昔の人が、おにぎりをほっぽり出すなんてことがあるだろうか。中におかずもなしに山盛りのご飯に食らいつくシーンがあることを思えば、ここは不穏当である。


高田美和、瀧映子の女優陣の演技がひどい。それにつられてか、美和の父親が殺された事情が分かったときに、市が目をパチパチさせて驚くのは、名優勝新らしくない。戦いが終わってのセリフ、「おれは明神様のご来光を拝みに来て、この仕込み杖を使うつもりはまったくなかった。それを抜かせたのは、お前たちがみんな悪い」は、いただけない。「お前たちがみんな悪い」は不要である。勝新は自分と市をダブらせるように生きた役者といわれるが、このセリフを許したところを見ると、その説も怪しい。


★今年の洋画ベスト5

1位 ものすごくうるさく信じられないほど近い
2位 永遠の僕たち
3位 最強の二人
4位 断崖に立つ男
5位 声をかくす人

邦画はDVDで見たのが「探偵はバーにいる」、これは次作が作られているようだ。日本映画らしくない乾いた人間関係、ユーモアのあるセリフ、スマートな展開、言うことなし。しかし、たいがい2作目は不作で終わるが、ぜひその神話を崩してほしい。あとは「我が母の記」。伊豆の山奥の川や緑が美しい。邦画は旧作しか見ていないので、格段、言うことなし。豊田四郎の再評価を望む、といったぐらいである。彼の「甘い汁」にはやられた。先頃亡くなられた小沢昭一先生が女衒のような役をやっていて、軽快な動きがいい。飲み屋が密集した路地を水たまりをよけながらピョンピョン歩き、宙に浮いた風船に手を伸ばして煙草の火を点けようとするシーンがいい。