「受け」の人―森繁久弥

kimgood2007-02-12

*「夫婦善哉」の絶妙な味わい
渥美清森繁久弥を目指していたという。コメディアン出身でシリアスもできる役者の頂点といえば、誰しも森繁に指を屈するだろう。渥美は浅草の舞台でも、ちょっと出てはほかの芸人のお株を奪うような攻めの演技の人だったらしい。それは映画に出ても同じで、仲間内の評判は良くなかった、と小林信彦が書いている。『寅さん』シリーズも始めの何回かは、渥美の演技は激しいものだ。おそらくあれが大人しい寅さんでは、以後のシリーズは無かったのではないか。
それほど森繁の映画を見ているわけでもないが、見たかぎりで言えば、渥美と違って基本的に「受け」の演技の人ではないかと思う。「駅前」シリーズや「社長」シリーズを見ても、飄々として、頼りないくらいの存在感の演技をしている。「駅前」の何作目かで軍人上がりの旅館の主人役のときは、さすがに声に張りを持たせていたが、かえってそれが目立って見えるほどに抑えの演技に徹している。ここらへんが名優といわれる理由ではないか。
ところがこれも評判を取った「恍惚のひと」が、その抑えの演技が逆に出て、ボケのひどさが伝わってこないきらいがあった。名演技と言われる作品だが、残念ながらぼくは買えない。森繁の演技に軽さがあるので、テーマが深刻なぶん救われる気もするのだが、あの映画はもっと激しいほうが良かった、と思う。
誰だったか有名な女優さんが、森繁のことを、演技の終わったあとにボソっと何か付け足すのが絶妙の人だ、とどこかで発言していたのを読んだことがある。たしかによく見ると、ボソっと何かを言っている。
森繁はNHKのアナウンサーとして満州に赴任していたことがあって、そこでの顛末を書いた文章が、これまた一流である。ほかにも何作か本を出していて、この人は何をやらせても一流を行く人だ。


森繁がシリアスもできると評判を取ったのが、豊田四郎監督の「夫婦善哉」で、原作は言わずとしれた織田作之助。大阪の老舗のぼんぼんが芸者(見ずてん、ということは娼婦)に入れ上げて、勘当される。どうにか生計(たつき)の糧はくれるものの、次第に出入りがしづらくなってくる。男にはまったく生活能力がなく、金ができると遊女屋に行って散財するしか能がない。女はそういうダメ男でも惚れていて、自分で店を持って、どうにかやっていこうとする。成瀬が描いた「浮雲」の世界を、もっとソフトに、コミカルにしたものと言えるだろう。
マキノ雅弘の自伝『映画渡世―地の巻』を読むと、森繁に「夫婦善哉」を勧めたのがマキノらしい。『次郎長三国志』で石松を演じた森繁の勘の良さに感心し、マキノは彼を買っていたようだ。


それにしても、かつてはひものような、どうしようもない男というのがいたもので、それを小説や映画にして共感を呼ぶような文化的な下地があったということだろう。佐藤忠男氏が「かつての男はよく泣いた」と面白いことを言っているが、その伝を借りれば「かつてはダメ男がもてた」と言えそうである。
部屋のなかに小さな七輪があって、寝起きそのままの乱れた頭、しどけない丹前姿で、小さな鍋でじゃこを炒りつけるシーンがあるが、真剣な顔でやっているだけに哀れを誘う。そういうところが憎めない男なのである。


森繁の相手が淡島千景で、艶にして純、彼女の良さがとてもよく出ている。ゆかた姿で窓際に行き、昼日中、カーテンをさっと閉めるシーンがある。森繁はこちらへごろっと体を返して、「またか」のような表情を作る。何気ないところだが、味わいが深い。
森繁の子どもが遊びに来たときに、英語を習っていると聞いていたので、酔客から聞いた「ウエルカム」と「マイ・ダーリン」を繰り返すシーンには、思わず落涙。ぼくはこの手のセッティングにとても弱い。

この映画の評判が良く、以後、森繁、淡島コンビの映画が続々作られることになる。その走りが「駅前」シリーズで、フランキー堺三木のり平がレギュラーでからむ。1作目、淡島の居酒屋で3人の男が身振り手振りをまじえてかけ合い漫才のような演技をするところがある。おそらくアドリブであろう。絶品の呼吸で、嬉しくなってくる。
やがて森繁、淡島に恋心が芽生える。淡島は早めに戸締まりをする。ひとりカウンターで飲んでいた森繁がラッキョウを口に入れようとすると、2階への階段にさしかかりながら、淡島が目線を送りながら「わたし、それ嫌い」と言う。ここにも大人の文化がひょいと顔を出す。粋なことをするものである。
あるいは、昔なじみの女淡路恵子が森繁の旅館に客でやってくる。上野の山で夜の逢い引きとなる。二人で歩いているときに森繁が着物のたもとをたぐるような様子をする。すると女が「持ってますよ」と着物の胸もとから懐紙を見せる。森繁はやや苦い顔をして「違わぁ、タバコだよ」とやり返す。もうその女とは切れる、という意味である。ここにも大人の文化が顔を出す。
何もかもあけすけな現代から見れば、羨ましいような奥深さである。そんな男女のやりとりをじっくり見届けるのも、旧い映画を見る楽しみである。きっと昔の人も、そういう場面ではニヤッとしたはずなのだ。


*追補――文中「じゃこ」は「コンニャク」の間違い。藤山寛美がこの演技を見て「かなわんなあ」と言ったと小林信彦が書いている。

*追補──you-tubeに三木のり平へのインタビューが見られる。NHK山川静夫が尋ねる役だが、三木は森繁は中身はなくても前に出ようとする演技で、自分は後ろに引いて、こうやってるほうだから、と言いながら両の掌をクネクネするような仕草をする。森繁を前に出る役者というのが、どうもピンと来ない。彼のコメディを見終わって、何か特別に残るものがない。逆に癖の強い役者に演技をさせて得点を稼いでいるようなところがある、とぼくは思う。渥美も舞台に上がると、ほかの人間の分までかっさらうようなことをやるので、あまりよく思われていなかったらしい。藤田まこともその口である。何かそういうのとは森繁は違うのではないか。