2014年後半の映画

kimgood2014-08-24

68 殺人の川(D)
雰囲気は「殺人の追憶」だが、もう一つ骨が細い。結局、犯人、おまえやんか、というのでは、「追憶」には到底、及ばない。しかし、韓国に連続殺人ものが多いような気がする。日本では「復讐するは我にあり」ぐらいしか思いつかない。いま佐木隆三が扱った殺人事件の犯人とのやりとりを回顧したものを読んでいるが、「復讐」の主人公は知的犯罪者でありながら、一方で非常に杜撰な連続殺人を重ねる人物で、その謎を解こうとするが、結局、佐木はたどり着けない。事実だけを書こう、とそこで決めたという。


69 ルーシー(T)
リュック・ベッソン最大の失敗作であろう。予告編ですべての能力が開かれた人間が主役と言っていたので、怪しいなとは思ったのだが、案の定である。手をさっと挙げただけで敵がバタバタ倒れたり、天井に張り付いたりするようでは、緊張感が生まれない。それにしても、すべてどこかで見た映像ばかりというのは、ベッソン老いたり、としか思えない。


70 私の愛した大統領(DL)
監督ロジャー・ミッシェル、主演ビル・マーレがルーズベルト大統領、その従姉妹で不倫関係になるのがマーガレット(ディジーが愛称)。ローラ・リニーがディジーを演じているが、さすがに身体に重量感が出ていて、彼女お得意の脱ぐシーンがない。あと女性秘書、妻がいるが、どれも何となく外貌が似ている。


イギリスからジョージ6世が妻のエリザベスと一緒に、ルーズベルトの別荘ハイドパークにやってくる。ドイツと戦うことになりそうだが、戦費が心配で、その無心にやってきたのである。吃音を自身でなじる国王に、ルーズベルトは自分自身が両足が使えないので、「吃音などなにするものぞ」と励ますシーンがある。明け方まで語り明かし、お互いの胸襟を開く。これは国難を抱える両者が、いざとなったときに頼れる相手か確かめるためである。国王夫妻の泊まった部屋にはアメリカが英国と戦った独立戦争の風刺画が飾られ、大統領の母が取り外させようとすると、大統領がそのままにさせたものという。翌日にはチェロキーインディアンの歓迎の踊り(これは妻のアイデアであるらしい。大統領は、あまりにも退屈なので途中で止めさせる)や、ピクニックでホットドッグを食することも予定されている。妻エリザベスは一連を侮辱ととるが、王は進んでその環境を受け入れようとする。とくにホットドッグに齧り付くシーンでは、記者たちが一斉にフラッシュを焚き、しかも参加者から温かい拍手が送られる。若い国王は、I have more! と声を張りあげる。これらは大統領が国王の器量を見ようと計画したものではないかと思われる。もしこんなことで短気を起こすようであれば、相手にするに足りない、というわけである。外交とはそういったもので、田中角栄が日中平和交渉で敵地に乗り込んだときに、彼の趣味が一切調べ尽くされていて、歓待のあちこちに仕込まれているのを感じて、ただならぬ国と交渉しようとしているのだと身を引き締めた話がある。


ルーズベルトが脚が悪く、身辺の女性に手を出す好色漢であったことも、この映画で初めて知った。それにマゾコンでもあるらしい。彼がデイジーをドライブに誘い、花の咲き乱れる岡で停めて、デイジーの手を自分の股に持ってくる。デイジーはそのまま何事かを始め、後ろからの引きの映像では、大統領、そしてクルマが少し上下運動する様が撮される。ベタだが、分かりやすい。複数不倫の事実を知ったあとも、一時は激情に駆られるが、結局大統領の好む構図の中に落ち着いていく。そこが今ひとつ分かりにくいところだが、大統領の魅力、そして周りにいる人々のそれへの親和性を思うしかない。


71、72 「くちづけ」「石中先生行状記」
成瀬作品なので、その項に移動。


73 でっかい、でっかい野郎(D)
野村芳太郎監督で、主演渥美清がフーテンで、病院の院長夫妻(岩下志麻長門裕之)の世話になる。みんなに無法松と言われるが、惚れているのは院長夫人ではなく、ナースの若い娘。実は彼女はほかの町でキャバレー勤め、そこのトランペッターと恋仲である。若い娘の父親が伴淳三郎で、いわゆる沖仲仕といういわれる仕事の頭領だが、もう定年を一年超えていて、引退が囁かれている。身体検査を受けさせられるが、病気持ちと診断される。文句を言いに、昔は一緒に働き今は社長の有島一郎に会いに行く。意外なことに、社長自らが辞めて、ほかに範を垂れる、と言い出す。それを聞いて伴淳は、自分は身体も悪いし、身を引く、と言い出す。この二人の会話のシーンは味わい深い。とくに有島の友情の深さを見せるところなど、押しつけがましさがなく、すっきりとしていて、好感である。
映画自体は、何が「でっかい野郎」なのか分からないが、渥美と無法松を結びつけるアイデアだけで撮ったものだろう。岩下志麻のミニスカート姿が貴重といえば貴重である。この人はコミカルなこともできた人なのだ。夫の長門裕之も余裕の芸で、実に何でもできる人だ。


74 真夏の方程式(DL)
小さな映画である。天才物理学者が解くような事件ではないのではないか。前田吟がいい芝居をしている。風吹ジュンは角度によっては、とっても年老いて見える。杏という女優は日焼けの化粧をしているのだろう。人を殺して大人になった苦悩は表現されていない。ロケ地は西伊豆町仁科というところらしい。きれいな海だ。


75 警察日記(D)
久松静児のヒット作で、森繁はこの55年に「夫婦善哉」も撮っている。抑えすぎくらいの演技で、それが味を残す。脇役陣が総出のような映画で、宍戸錠岩崎加根子だけが若々しい。いくつもの脇道が用意されていて、それが過不足なく処理される。最後は、子別れで盛り上がる趣向になっている。宍戸が想いを寄せる岩崎は、結局は身を売るようなかたちで年寄りの金持ちに嫁いでいく。単なるヒューマンで終わらせない姿勢は立派である。村の女を甘言を使って町工場の働き手として送り出すのが杉村春子で、こずるい、ぬけぬけとした感じをよく出している。告訴されようというのに、警察で昼の弁当を出して食べ始める図太さも見せる。飯田蝶子が娘を売りに出す母親で、これもまたいつにも似ず酷薄な感じを出している。久松、恐るべし、である。


76 クロッシング・カード(DL)
ショーン・ペン監督、ニコルソン主演。小さな宝石商を営むニコルソンは交通事故で娘を死なせた男を殺そうとする。出所してトレーラー・ハウスにいた男の寝込みを襲うのだが、銃に弾を込めていなかったという。そんなことがあるだろうか。銃は基本的には護身として持っているもので、いつ何時不測の事態が起きるか分からないから、いつも弾倉に充填しておくのが常識ではないのか。だから、年端もゆかない子の拳銃を使った事故が起きたりするのだと思う。もっと悪いのは、ニコルソンのその際の演技である。もう弾がないと分かった銃を何度も相手に向け、その間、なんだか魂の抜けたような表情なのである。監督は、名優ニコルソンに演技を任せたという風なのだが、それは間違いである。名優ショーン・ペンあればこそ、厳しく演技指導をすべきだったのではないか。この主人公は、夜な夜なストリップバーに繰り出し、女を買い、さしてきれいでもない別れた女房に未練たっぷりという男である。ほぼ30分で、沈没。見ているのが、つらい。彼の映画は2本、「プレッジ」「イント・ザ・ワールド」を見ている。どちらも印象があまり残っていないが、前者に墨絵のようなきれいな映像があったということ、後者は時代を違えたような映画だな、という印象が残っている。


77 摩天楼を夢見て(DL)
92年の映画で、監督ジェームス・フォレイ(有名な作品はないようだ。TVを手がけている)、出演陣がすごい。ジャック・レモン、アル・パシーノ、ケビン・スペイシー、アーレック・ボールドウィンエド・ハリスアラン・アーキンといった面々が、せりふを機関銃のように繰り出す。不動産のセールスマンなのだが、leadと呼ばれる「ネタ」を渡され、成約を勝ち取れば10%のコミッションが入る。彼らはサラリーではなくて、それで生きているようだ。しかし、渡されるリードは傷物ばかり、貧乏人、けち、精神が不安定な人……だから新鮮で、金持ちの載ったleadが欲しい。ところが、本社から来たやり手(ボールドウィン)は、上位の者にしかそれを渡さないし、最下位の者は辞めてもらうと宣言する。病気で入院する娘を抱えた老いたジャック・レモンは必死である。一番の稼ぎ頭のパシーノは怪しい哲学と精神論で客をたらし込む。余裕があるように見えるが、眼前の契約がふいになったら、ランチも食べられない、と嘆く。アーキンは性格が弱く、狙った客の居間へと入っていけない。相手の発言を繰り返す癖がある。ハリスは大口はたたき、会社に大きな不満を抱えるが、実行力がない。


92年の時点でこの映画を見ていれば、世界がこれからどんな方向へ進むか分かったかもしれない。究極の資本主義を見るようだ。競争心を煽り、責任は全部当人にあり、ジャンクの不動産でも買ったほうが悪い。高級車に高級腕時計――それが欲しかったら死ぬほど働け、というわけである。契約額が大きいから、ものにしたときの喜びも大きい。それが麻薬となって彼らはこの異常なビジネスから抜けることができない。、


パシーノがレモンから手柄話を聞くシーンがいい。身振り手振りで成果を語るレモン、それをすぐ近くで椅子に腰掛けながら熱心に聞くパシーノ。何かレモンからパシーノへの演技派の王位譲渡のようなシーンである。しかし、レモンが取ってきた8万ドルの契約は、ただセールスマンの話を聞くのが好きな、精神に問題のある老夫婦であり、いずれ破約になるものだと支店長に指弾される。パシーノはレモンを独立のパートナーと考えるが、さて……、というわけである。パシーノに年をとった、荒んだ感じがあって、それが怪しい、まがいもののセールス話法を繰り広げる人物にぴったりである。


彼ら営業マンが使う手口は、日本でも見られるもので、あなたの応募した景品が当たったから渡したい、ついてはいま当地に出張に来ていて、明日には発たないとダメなので、今日、時間を取ってもらえないか、と電話勧誘するのである。もしかして、それはアメリカ発だったのか?


78 フランキー&アリス
多重人格ものだが、当人が犯罪者でも何でもないので、単なる過去の絵解きで終わってしまう。ハル・ベリー期待の映画だったが、残念である。ステラン・スカルスガルド精神科医で、例によって離婚予備軍である。過去の忌まわしい事件を思い出すシーンでは、三重人格が交互に現れ、ほとんどエクソシスト状態である。ハル・ベリーも肉付き豊かに、おばさん化が進んだ感じがする。仕方ないか、あれ(「ソード・フィッシュ」)から13年も経つのだから。


79 NO
チリの政変(穏和な革命?)を扱ったもので、若い広告屋の考えた、楽しい、みんなが参加できるCMが大成功。国際的イメージを上げるだけのつもりの選挙が波乱を呼ぶことに。フィルムがドキュメントっぽい安手の感じがするのと、焦点が合ってない感じもする。エンドロール脇に出る映像はきちんとしているから、本編は意図的にああいうザラッとした感じのものにしたようだ。それが成功しているとは言えない。それと、いつ選挙合戦が始まったのか、よく分からないうちに火花が散り始める。事が終わって、主人公がスケボーで町を滑るシーンは、爽やかでいい。ガエル・ガルシア・ベルナルが主役、あの「アモーレス・ペロス」「モーターサイクル・ダイアリーズ」での彼の清新さを見て、この人は世界的な俳優になると思ったものだ。



80 ジャージー・ボーイズ(T)
イーストウッドの音楽もので、『バード』以来である。テンポがよくて、若々しい演出である。いつものプレッシャーをかけてくるような重い足取りではない。画面の切り替えが見事で、楽しいな、と思っているうちに終わってしまった。代表作「シェリー」を歌った「フランキー・バリとフォー・シーズンズ」を扱っている。バリの声は女性みたいで、よくモンスター扱いされなかったものである。バリはソロになってからもヒットを飛ばしている。ボス的な存在のボブが、メンバーの知らぬ間に多額の借金を抱えていたことが分かり、チームは解散に。しかし、借金はバリが返済している。ソロのCan't take my eyes off you(君の瞳に恋している)なんか、なかなかいい。これからミュージカル『アニー』もやってくる。まさかミュージカルの復活はないが、年に何本かでも来てくれれば、それがうれしい。


81 アバウト・タイム(T)
何も中身を知らずに見て、まずタイムトラベルものと知って、やや狼狽。間違っちゃったな、と思ってみていると、これがけっこうイケルのである。ただ、出会いに失敗したからといって何度も時間を戻したり、初夜をどんどんバージョンアップするなど、悪趣味である。アル中で、ダメ男から逃れられない妹を救うために時間を戻したのはいいが、子供が女の子から男の子に変わっていて、慌てて元に戻すようなことをしている。あとで、3人目の子をつくろうと決心したときに、父親の癌が進行。元気だった頃の父親に会おうとすると、その生まれてくる子に関係してくるということで、父親との本当の別れを経験する……というのだが、いま一つ理屈がよく分からないうちに映画は終わってしまった。父親役のビル・ナイ高田純次みたいないい加減さが売り物で、この映画でもその雰囲気を遺憾なく発揮している。妻役のレイチェル・マクアダムズはキュートである。


82 石榴坂の決闘(T)
主演中井貴一、妻が広末涼子、友人に高嶋政宏、仇に阿部寛藤竜也が薩摩の官僚。なかで藤竜也が訳知りの人物を演じて、無理がない。広末は顔に妙な線が走るのが気になる。中井は堂に入ったもので、目線ひとつで演技をやってしまう。しかし、なぜああもバタ臭い阿部寛桜田門外に使わないといけないのか分からない。


初めて主君と会うときに、近う寄れと言われて、中井が右膝を立てたまま、主から短歌を書いた短冊を貰う。あれは礼儀として適ったものなのだろうか。橋のたもとで一人の着物を着た男が、いかにも強欲そうな背広姿の男に、借りた金を即座に払えと脅している。そこに中井がやってきて、少しの猶予を与えてやってはどうか、と頼む。しかし、取り巻きのやくざも短刀を出して、息巻く。ところが、周りで見ていた町人風、職人風の中から、次々と何々藩の何々と名乗って出てくる。身は一般人にヤツしても、心は武士だ、みたいなことを言う。こちとら延々と百姓の家系だから、このシーンには大いに白ける。最近、武士、侍の魂が日本人にはある式のことを言うが、彼らだけが日本人だったわけではない。大半は庶民が歴史を作ってきたはずで、為政者は恐々とそれに乗っかっただけではないか。中井は主君亡きあと、13年も仇討ちを狙っているという設定だが、つねに小机の上に狙う相手の名を記した書状を置いてあるのは、どうしてか。それも年数が経っているのに、いかにも白々として新品のようである。少しは古びさせたほうがリアリティがあるのでは?


83 サード(T)
飯田橋ギンレイが名画特集を組んでいて、今回は1作で入れ替え制である。20分ほど遅れて入ったので、冒頭のシーンが分からない。だいぶ前に見た映画で、片桐夕子が出てきたときに、なぜかつて彼女が好きだったのかが分かった。森下愛子がよく脱いでいる。永島敏行は「遠雷」もいいが、これもハマリ役ではないか。そのお母さん役を島倉千代子がやっているのは、どうしてか。顔がパンパンに膨らんでいるのが愛嬌である。息子のパンツ一丁の姿を見て、お母さんも女なんだから、何か着なさいよ、というシーンはそのままパスされるが、本来、大事な台詞な気がする。お千代さん、演技は下手でもない。高校生売春など、こんな時代にもあったのね、である。監督東陽一、脚本寺山修司で、自分の短歌(身を捨つるほどの祖国、というやつ)のもじりなんかを中でやっている。絶倫、身体じゅう入れ墨だらけのやくざをやっている峰岸徹がいい。薬でもやっている感じが出ている。しかし、深くなろうとして浅く作ってしまったような映画である。


84 ディア・ブラザー(DL)
ヒラリー・スワンク主演、脇がサム・ロックウエルで、キレ役者ゲーリー・オールドマンを少し情けない感じにした顔つきである。残虐殺人事件で無期懲役を受けた兄を救うため高校卒業資格を取り、大学で法律を学び弁護士となった自殺罪の人物がスワンクである。結局、DNA鑑定の不一致と警察の不正な証言獲得が明かされて無罪に。どれも手抜かりなくきっちりと描かれていて好感である。スワンクもサンドラ・ブロックと同じく見て損のない女優の一人かもしれなし。美人でないことが、彼女の利点として働くかもしれない。


85 海の上のピアニスト(DL)
もちろんテイム・ロス主演だが、脇がプルイット・テイラー・ヴィンスという役者で、アップにすると目がちょろちょろ動くので印象が深く、TVシリーズメンタリストでもよく目が泳いでいた。たくさん映画に出ているし、TVにも出ている相当な役者さんなのかもしれないが、目立たない良さがあるかもしれない。この映画をずっと見なかったのは、一生を船の上で暮らした人間には自ずと限界があると思うからで、彼が地上に降り立たない理由も、廃船と一緒に死ぬのもハナからわかりきったことだ。彼が見初めた乙女は官能的でさえあって、ナターシャ・キンスキーを思わせる。監督は「シネマ・パラダイス」「顔のない鑑定士」のジュゼッペ・トルナトーレで、上手いことは上手い。ティム・ロスが嫌みなく演じていてグッド。ジャズの勃興期であるらしく、どっちが創始者かと争う場面があるが、ロスが弾きまくるジャズはフリージャズの世界だ。

86 プロミス・ランド(T)
ガスバン・サントの項へ。


87 インサイド・マン(DL)
前に一度見ている映画である。やはりよくできている。デンゼル・ワシントンジョディ・フォスター、クライブ・オウエン、クリストファー・プラマー、ウイレム・デフォー、そしてややこしいキウエテル・イジョホーと役者が揃っている。ジョディ・フォスターがしっくりこない、デフォーが意外と弱い、など気になるところがあるが、金を盗まないバンクラバーは珍しい。コンゲームの新しい形かもしれない。スパイク・リー監督で、ぼくはDo the right thing と25hoursしか見ていない。たくさん撮っているが、あまりクロスすることがないのはどうしてか。


88 イコライザー(T)
これは今年の収穫の1つだろう。スローモーションだとか、絵を荒らすとか、余計なことをしているが、全体は締まっていて、見応えがある。アジアの暴力映画を参考にしたな、というのは武器がトンカチだったり、すぐ身近にあるものを使う点と、じっくり殺していく怖さを強調している。行方の分からない女の居場所を聞くのに、「水を飲まないか」とか「お前は美しい」などと言いながら、手を握ったり、背後に回ったりするのである。ただのドンパチより手が込んでいる。それはラストの大ボスを殺す工夫にも表れている。これは次作が来るだろう。ロシアマフィアのマートン・ソーカスがケヴィン・スペーシーに似ているが、もっと灰汁が濃い。


89 武士の家計簿
森田芳光の項へ。


90 哀しみのサスペクト(T)
脱北者が愛する妻を奪われ、生き残った愛児を探す、という設定で、そこに政府幹部の暗躍が絡むという設定である。少し「哀しき獣」と似ている。後者で悪人経営者を演じた役者が政府高官である。脱北者を追う刑事とのあいだに情感が通うというのが、ありがちだが、映画の印象を良くしている。政府高官が狙うものが、実は化学兵器ではなく、麦の増産に画期もたらす新種というのがミソかもしれない。北は南からそれを送られ、互いに和解のムードが広がる。アクション場面で寄りのカット、拡大カットばかりなので、誰が誰とどう闘っているのか分かりにくい。はっとするような新しい技はなかった。カーチェースには見るものがあった。階段を逆向きに降りるシーンで、ジャッキー・チェンで同じようなおのがあったような……と思ったが、思い出せない。映画の冒頭に監督が出てきて、ハリウッドみたいにお金を使えなかったから不満が残った式のことを言うが、これは何のつもりか。観客に失礼である。


91 グッドモーニング! ベトナム(DL)
ベトナムのきれいな人が見たくて、また見てしまった。本当はタイ人らしく、いまはもう母親役なんかやっている。Youtubeで見ても、悲しくなるだけである。副大統領ニクソンがめためたにやられている。軍の検閲が厳しく、戦況がまずくなっているからこそ、硬直した考えの人間たちが破天荒な主人公を押さえ込もうとする。それを隊の将軍がサポートするのがアメリカらしいか。


92 ザ・レイド(DL)
アジアが鉈や包丁を持つと恐い。組み合って、顔面に銃をぶっぱなすというのは新奇ではないか。建物が要塞化していて、政府も手を出せない、という設定はおかしい。軍隊いっぱつで終わりのはずである。続編が来ているが、さて、どうするか。


93 浮草(DL)
小津の項へ。


94 居酒屋兆治(DL)
健さんが11月10日に亡くなった。テレビで特番が組まれ、生前の様子が流された。江利チエミへの墓参を欠かさなかったという。誰にでも平等に接する人であったらしい。冥福を祈りたい。健さんやくざ映画をどう扱うか、テレビ局には逡巡があるようだが、そこを抜かして健さんはありえない。


「居酒屋兆治」は歌手(加藤登紀子ちあきなおみ細野晴臣)やコメディアン(小松政夫左とん平)などが目立つ。とくに加藤登紀子の癖のない演技、左とん平の落ち着いた演技が光る。兆治は忍耐の人で、かさにかかって悪罵をぶつける伊丹十三や、彼を会社から追い出したかたちになる佐藤慶などに恨みを抱かない善人である。いい人でありすぎるのだが、健さんには複雑な事情の人間を演じるのは難しいだろう。家業を潰してまでもカラオケに狂う美里英二が白眉である。


田中邦衛がアドリブかと思うようなことをする。店の勘定といって、手製の貯金箱なのか、そこに1万円を入れる。多すぎるからと加藤登紀子が断ろうとする。健さんもその金を戻そうとして、田中邦衛からそれをひったくろうとするので、田中が「やるか」と喧嘩の振りをする。健さんが呆れたような、吹き出したような顔をする。「酒が入ると、なにするか分からない」と健さん。これがナマな感じがして、いいのである。あともう一つ、大滝秀次が30歳下の教え子と結婚する。それでナニのほうは大丈夫なんですか、と聞くときに、最初は少し笑って言葉を継がない。そして、また話し始める、その間が絶妙なのである。健さんが及ぶところではない。大滝が朝に卵3個の話をして、「悲惨です」と言うところは、やや分かりにくい。もう少し整理したほうがいいのではないか。


大原麗子健さんの昔の恋人で、彼女はいまだに健さんを思っているという設定である。過去に生きる女で、精神的に不安定である。健さんキングコングの映画を見に行ったが、あれは自分だ、と言うシーンがあるが、ちょっと不自然である。真剣すぎて、せっかくキングコングを出したおかしさみたいなものが表現されていない。店に突然やってきて、さっといなくなった大原を雨中に追ったが姿が見えず、健さんが橋の上、身を隠した大原がその下という絵柄が美しい。泣かされるシーンである。


客として池部良が二度、ホルモン焼きの師匠東野英治郎も二度登場する。池部がいま一つ何を商売にしているか見当がつかない。茶色の大きな鞄を持っている。役所勤めなのか。少し、サジェスションが欲しいところである。刑事役で小林稔侍が妙な癖のある感じが出ていてOK。いい人なのか意地が悪いのか分からない。最後に健さんの「時代遅れの酒場」で終わるが、加藤登紀子の歌を健さん流にすっきり歌っている。好感である。映画の音楽担当は井上堯之である。


95 フェルメールの謎(DL)
IT関連で成功した男がフェルメールに魅せられ、その絵を復元したいと考える。デビッド・ホックニーの本には、絵描きが鏡などを使って絵を作成したことが書かれていて、それに刺激されて、フェルメールの細密描写の秘密を探る、というドキュメントである。前からフェルメールにはその種の指摘をされてきたが、実際に鏡を作り、そこに対象を移し込んで、下に置いた白紙にそのままの色を再現していく。ちょっとでも色が違えば、レンズの絵と合わさらないが、もしまったく同じ色が塗られれば、鏡と紙の境が消えてしまう。その原理を使って、ほぼ200日かけて絵を再現し、ホックニーの称賛を浴びる。なかにホックニーの浮世絵風の絵が出てくるが、味がある。



96 ギャビー・ダグラス・ストーリー(DL)
「エージェント」でアメフト選手の愛する妻を演じたレジーナ・キングが子ども3人のお母さん役。離婚した貧困家庭だが、体操の才能ある娘をオリンピックまでやるスト−リーで、実話らしい。もともとは特殊な病気をもった赤ん坊だが、それが後年災いになるということはない。自分の可能性を信じて、遠くにいる中国人のコーチのところへ移り住み、ホームステイしながら練習に励むが、大事な予選で失敗し、落ち込むが、家族の励ましで復活する。アメリカでこの辺の映画を作ると、ほぼ外れがないのは、文化かなと思う。


97 ストックホルムでワルツを(T)
ワルツではなくジャズ、それもスウェーデン。小さな町の電話交換手をしながら、子どもを両親に預け、音楽に入れ込む。子のために映画監督などと結婚するがうまくいかない。ミュージシャンだった過去を持つ父親から疎まれる。レコード会社に言われ、ユーロビジョンコンテストでポピュラーソングに挑むが、得点ゼロ。一度、アメリカに呼ばれるが、黒人と組んで歌うこと自体が拒否され、さらにエラ・フィッジェラルドに自分の歌を歌えとさとされる。舞台で脚光を浴びるが、自殺未遂で難しい状況に。ビル・エバンスに自分で吹き込んだテープを送り、一緒にやることに。それが本国でも放送され、彼女の声明は上がることに。


主演女優の歌がうまい。それはもちろんなのだろうが、それを聞いているだけで時間が経ってしまう。自ら家庭を、男関係を壊していく様子は痛ましい。結局、自分のタイプではないと言う、凡人のベース弾きと結婚する。それはNYで、彼に捧げると言って、新曲を歌うからである。それが、何だかワルツという曲で、題名はそこから取っている。女優が誰かに似ているなあと思い続けながら見ていたら、エレン・ディレゲネスであることに気づいた。自らがゲイであることを公言したテレビ司会者である。彼女のショーはYoutubeで楽しむことができる。


98 チェイス(T)
インド映画で、舞台がNY、親の遺恨を晴らすサーカス団の話だが、双子の仕掛けはとっても懐かしい。曲馬団の名を思い出す。サーカスの演目に踊りも歌もあるから、途中でそれをやっても違和感がないし、わざわざその設定を選んだこちに敬意を表したい。ただ、最終決着まで長すぎる。カーチェースも、最後はボンド張りに逃げおおすというのであれば、興奮も半減する。でも、インドには期待である。


99 ゴーンガール(T)
フィンチャーで、ベン・アフレック主演、その妻がロザムンド・パイク。サイコな妻にはめられる話だが、どう見てもアフレックは疑わしくないし、そんな演出もしていない。では、この映画は何を見るのか。狂気の妻が帰ってきて、ベッドを別にしているはずが、子どもまでつくっちゃうアフレック。どうしょうもないなぁ、と思わせる映画か。ロザムンドの化粧あるなしの変身が見物。


100 イングリッシュ・ペーシェント(DL)
名作である。原作マイケル・オンダーチェ監督・脚本アンソニー・ミンゲラ、ぼくはNINE、つぐない、インタープリター、コールドマウンテンを見ている。主演、レイフ・ファインズ、ジュリエット・ビノシェ、クリスティン・スコット・トーマス、ナヴィン・アンドリュース(インド人少尉)、コリン・ファース(秘密工作員寝取られ男)、ウイリアム・デフォー(ファース同僚?)。2時間40分の大作だが、まったくゆるみがない。この映画のビノシェは純朴で、かつ愛する人が次々と死んでいくという不吉なものを持っている女である。彼女は地雷撤去係のインド人に惚れるが、そのあとの爆弾処理の場面は目を開けていられなかった。妻を寝取られて頭にきたコリン・ファースが砂漠の地図を何千枚とばらまいたというところが、よく分からなかった。そのせいで、ナチスの進行を許し(エチオピア?)、ウイリアム・デフォーも捕まり、拷問で手の親指を落とされる。復讐の意味もあって、寝取った男、いまや全身やけどのレイフ・ハインズに近づく、という設定である。


冒頭のシーン、墨絵かな、踊る人かなとおもっているうちに、飛行機の翼が見え、その下のまるで女の裸のような、ダリの絵のような砂漠が映り、本編へと入っていき、しばらくすると先のカリグラフが洞窟絵の泳ぐ人だと分かった。全員、役にきっちり収まって、間然するところがない。クリスティンも潔く脱ぐ。砂漠の猛威もきちんと描かれる。決して登場人物が多くないのに、大作の匂いさえする。このゆったりとして筋の運びは貴重なものである。


101 バンクーバー朝日(T)
カナダ移民となった日本人の野球チームを描いている。主人公たちは2世で、日中事変、真珠湾と進むうちに圧迫がひどくなってくる。そのなかで、バントと盗塁で優勝(どのレベルなのか分からないし、その後も他地域から誘いでゲームをやりに行っている。なにかで読んだことがあるが、かつては中国人より日本人は下品で、ずるいと言われていたようである。そういうなかでもカナダでは日本人にチームを持たせたのだから立派なものである。ゆっくりとして作りで、町のセットもよく出来ていて好感である。残念なのは3点。試合に勝って仕事場でカナダ人に「よくやった」と褒められたときに、妻夫木が「あれだけしかできなくて申し訳ない」と謝ったときに、「あれだけって?」とカナダ人が笑って妙な間がある。「あれだけでもすごいぜ」と言わせたらどうだったのだろう。さらに、妻夫木がホームに突っ込んでゲームセット。そのときにスローモーションで起き上がってから、チームメイトに行くまでに妙な間がある。仲間がわっと集まってきてもいいし、声を挙げるでもいいし、何かもっとはっきりした演出が欲しい。あと、遠く球場を望む日本人娼婦たち、彼女たちはその場に参加できないということなのだろうが、彼女たちも一緒に参加させればもっとおもしろいものになったのではないか。どうも史実というより、変なリアリティを出そうとして、かえって変なことになったのではないか。野球がお高くとまったハイソなもののわけがない。あと一人、誰かが何かいうと即座にきつい口調の突っ込みを入れる男がいるが、これは現代の若者のしゃべり方。


監督は「舟を編む」の石井祐也、脚本が奥寺佐度子、彼女の作品にはあの吉田大八「パーマネント野ばら」がある。あと相米慎二「お引越し」、平山秀幸しゃべれどもしゃべれども」、成島出「八日目の蝉」(未見)、細田守おおかみこどもの雨と雪」(アニメ、未見)などがある。とても実力者のようです。


102 インサイド・ジョブ(DL)
リーマンショックを引き起こしたグリーディな輩を告発するドキュメントである。サマーズ、グリンスパンなど錚々たるいかさま師が登場する。モーゲージローン証券化し、ジャンクと知りながら優先的に売りまくり、一方、それが破綻しても儲かる仕組みまで作っていたという。学者も、そして格付け機関も、責任をとらない。こんな腐れ資本主義を放っておくアメリカというのは、どういう国なのか。