「大いなる幻影」にはコケた  ―ルノワール入門

kimgood2006-12-03

ギャバンのあどけなさ
ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」、1937年の作で、主演のジャン・ギャバンが33歳である。ルノワールは同年に「望郷」をギャバンで撮っている。ギャバンは芸人の子で、若い頃は場末のキャバレーなどで歌っていたという。ルノワールは画家ルノワールの次男で、映画作りのためにオヤジの絵をほとんど売り払ったと安岡章太郎の『僕の20世紀』に書かれている。
映画は第一次大戦でドイツの捕虜となったギャバンらが脱獄を企てる話である。となればハラハラドキドキを当然期待するわけだが、いっかなそういう展開にならない。あろうことか、部屋の床下に脱出用の穴を掘り、いざ決行という日に、ほかの収容所にマレシャル(ギャバン)、ローゼンタール(マルセル・ダリオ)、ボアルデュー(ピエール・フレネー)の3人が転出させられるのである。そりゃないでしょ、である。
フランス兵のかわりにやってきたのがイギリス兵で、彼らはほとんどピクニック気分。中にテニスラケットを持っている人間が何人かいる。誇張はしているのだろうが、第一次大戦までは戦争を牧歌的に描くことが可能だったのである。ぼくは戦争映画をほとんど見たことがないが、「MASH」「地獄の黙示録」「プラトーン」「ディアハンター」「コールドマウンテン」「父親たちの星条旗」「ジャーヘッド」、どれを取っても牧歌的な作品など一切ない。
この映画は、捕虜の扱いが手厚いのが印象的である。国際法に則った措置なのだろうが、すでにその時点でヨーロッパにはそういう慣習が出来上がっていたということである。2次大戦での日本の残虐な捕虜の扱いが非難されるのも、むべなるかなと思う。映画では、捕虜の家族からの仕送りなども自由で、粗食のドイツ兵より捕虜のほうが格段にいいものを食べるという逆転現象が起きる。
ある時、ドイツ側にも大きな木箱入りの差し入れがあり、捕虜まで呼んで蓋を開けると、中は本ばかり。怒ってドイツ兵が火をつけるところは、のちのナチス焚書を思い出させる。
マックイーンの「大脱走」はこの映画のアレンジ(おそらく)。掘った砂をマントなどで隠し、ズボンの脚から地面に落とすシーンはまったく同じ。それにしても、彼我の緊迫度の違いに愕然とする。それに、脱出を企てる人物の造型は「大脱走」が勝る。エンタメ映画の作劇術が格段に進歩したのである。
そのかわり、「大いなる幻影」では、ある種の美学が描出されている。収容所長は貴族出で、同じ階級のボアルデューを丁重に扱う。自分たちはこれからは没落していくばかりだと心情を打ち明ける。最後、ボアルデューが犠牲になることでマレシャルとローゼンタールが脱出に成功するが、収容所長(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)はその行為を崇高なものとして認める。
かつてダンディズムというのがあった。それを、やせ我慢と訳してもいい。あるいは「義を見てせざるは勇なきなり」とも。その種の美学が映画からも失われたし、現実からも失われた。
収容所長は戦傷者で全身やけど、頸椎や背骨も銀でつないである。彼がアルコールを飲むとき、膝を曲げ、体全体を後ろにグッと反らせて一気に杯を空ける演技が面白い。まるでエビが跳ねるようだ。中で2回、その奇妙な動作をやる。
後半はモレシャル、ローゼンタールの逃避行だが、さして面白いものでもない。ローゼンタールはユダヤ人の成り金で、そのことでモレシャルとひと悶着あるが、それも興趣を盛り上げるようなものでもない。
出来は二流と言わざるをえない。ルノワールの名作に挙げられる一作だが。
タイトルの「大いなる幻影」は、モレシャルが逃避行の途中で「こんな戦争は終わらせなきゃいけない」と言ったときにローゼンタールが「それは君の幻想さ」みたいなことを言う。おそらくそこから取ったものではないだろうか。
ギャバンという役者は日本でとても人気のあった人らしい。ぼくの年代になると、アラン・ドロンの脇に回ったやくざ映画の人という印象しかない。しかし、この映画を見ると、とてもチャーミングなことがわかる。悪ガキがそのまま大人になったような感じで、しかもどこかに含羞がある。
ルノワールでもう1作「スワンプ・ウォーター」を見た。これは1941年の作で、アメリカへ亡命していたときに撮ったものである。ジョン・ヒューストン監督の父親ウォルター・ヒューストンが出ている。アン・バクスターが健気でかわいい。
取り立てて何がという作品ではないが、湿地帯に逃げ込んだ冤罪の男が、ぬれぎぬが晴れて、そこからいざ抜け出せるとなったとき、元の生活には戻れないと躊躇するシーンがある。「グリーンマイル」に長く囚人生活を送った人間が出所が決まって自殺する話が出てくるが、似たようなシチュエーションである。
30年代の映画を探ってルノワールに出会ったわけだが、いまのところどこがいいのか分からない。「望郷」「ゲームの規則」「フレンチカンカン」などを見ないことには話は始まらないようだ。